イップスからの生還①に続きます。
イップスを患う前のゴルフはまずまず順調でした。
始めてしばらくしてメンバーになり直ぐにクラブHDCP12となりました。その頃でした、パープレー(72と71)で回ったりホールインワンも2回ありましたが、私はいわゆるシングル入りはその頃に諦めました。当時(働き方改革なんて言葉すらなかった時代です)は仕事に脂がのっていて土日の出勤も頻繁にあって思うようにプレーが出来なかったからです。
休日出勤の予定が急にキャンセルになって、当日予約なしに飛び込んでプレーさせてもらったり(プレーできなかったことはないです)、課題クリアーのためにレンジに向かったりしてたのでそれはそれで楽しんでいました。
私としては、ゴルフにハマっていましたので、コツコツとやってれば、いずれA.S.は達成できるだろうと、それを目標にやっていました。75歳くらいまでには実現できると考えていましたが、イップスを患って紆余曲折の末79歳でA.S.が実現しました。
私のイップスは30yds以下の距離で発症しましたが、それまでは同伴者から「プロみたいなアプローチだね」なんて言われて気を良くしていました。
その頃の日本のプロのアプローチは低い出球で強スピン。着地してからツッツーと止まるボールでした。ろくに練習もせずに見よう見まねで覚えた(*1)のですが私の場合典型的な手打ちでした(今のプロは米国流の松山英樹のような、体幹を使ってゆっくり高いボールですね)。
この手打ちが曲者で、当時は全く気付かなかかった(手打ちと言う言葉すら知らなかった)のですが、後でイップスで七転八倒することになります。
*1:当時は若かったし、変に器用でしたので師匠(故人)に教えてもらうとその場で出来ました。しかし、1週間もすると忘れているので「ゴルフ練習帳」にいろいろと書込み、身に付けるようにしてきました。RNDの少ない割にスコアがそこそこ出せたのはこの練習帳のご利益だと思います。
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