思い出したことが多々あった。学校の南側を国鉄が走っていた。駅に近く 減速していた。

学校の斜面に座り 喫煙している生徒がいると駅からの連絡。騒動になった。

更なる騒動は 通過していく列車にむけて 放尿を始めた生徒数人がいたと駅からの連絡。これには教師たちは本気で怒った。


私たちはこの路線で時折 温泉のある隣の町へ出かけた。湯船が目的ではなかった。

そこには 数件のストリップ劇場がある為だった。

見に行く事には みな即賛成。だが それぞれ好みが違い A劇場のB嬢だ。いや C劇場のM子だ。

列車内で 大声を張り上げていた。ひとり 興奮して 見る前から鼻血を出したやつがいた。

私は ようだれをたらしていたかもしれない。


私も好みのタイプがあり ファンクラブを作った。プラカードも作り舞台の下から それを振っては応援した。

これはうけた。一緒に見ていたFが「文化祭で わしらがストリップやろう!」「望むところだ。」

即 乗った。クラスの女の子たちから聞かれた。「どんな踊り?。きれいな人おるん?」

「こんな風だった。」と机の上で踊ってみせながら「おまえらのほうが きれいだ。」口からでまかせを 平気で言うもので 彼女たちからもうけた。


本気で文化祭に向けて準備をしていたら 計画が担任にもれた。

「わしも 車を買ったばっかりなんだ。わしの立場もかんがえろ!」


後 どの位 治療をを続けたら 「安定した寛解期」を得ることが出来るのだろうか?。


それが判れば 精神的に随分楽だと思う。自己管理にも嬉しさも伴うと思う。

されど この病気 その目処がつきにくい。その目処を推し量る明確なるものさしもない。

きっといつかは 治療と自己管理による成果が出て 安定へと向かうときが来ると思うのだが、それまで

長く、あてどない。いったりきたりの時がある。


検査結果が良好な時 医師に退院の時期を聞いた時と、 それが悪い時 医師にその時期を聞いた


時とでは 同じ医師でも答えは違っていた。


患者として 検査結果が悪いときほど 気持ちは不安定。医師からは 少しでも好材料を聞きたいもの


なのである。


他の人々のブログを読むにつけ 学業や就労の制限が病状安定の要素の一つだと判ってはいても


 それらによって 病状が不安定になっていくという内容に触れると 昔日の自分の姿を見せられている

様で 心が痛む。


皆が 早くよくなります様にと 願わざるを得なくなってくる。


後者を優先させようと思ったのは 昨年の2月ごろだったか?。

気持ちが妙に 晴れ晴れして 新しい可能性を感じたことを覚えている。

賃金は2の次。腎臓への負担軽減を第1にして 在職中 ハローワークへ。

受けてみたい会社はあったが 試験日 面接日が就労日と重なり ミスマッチだった。


ネフローゼ故に 県の難病支援センターにも相談したこともあったが・・・・・。


56人以上従業員がいるところは 障害者を雇用しなければならない。障害者枠とも思ったが

障害者ではないので この枠からも外れた。「6級か7級の障害者だったら・・・」といわれた。


失業後 2社受けたがともに駄目だった。

1社は 2ヶ月だけの 短期雇用。軽い気持ちで受けにいったら 8人受けに来ていた。

もう1社も 倍率3.5倍だった。

2社受けて感じたこと

やんどころない病いがあっても 相手が望むものは 「何がどれだけできるか。」である。

病いに甘えず 病いに負けず 自分磨きに注力するしか 病身のわが身には切り返す機会は訪れないのかもしれない。

 苦戦中の我が身だが 根の部分からは 心腐ってはいない。

それは「透析中以外のときは普通の人間として生きたい。」そういって逝った人等を知っているためかもしれない。

PS 結果はさて置き 市 県 国 様々な行政窓口の活用も一法かとも思う。

    自身の肌に合う 相談相手をもつけておいて損はない。