再発時 「きっと 快復するんだ。」と心でそう叫んだ時 自分の場合、そう叫びながらも

どこか 心空虚だった。手応えがなかった。

自分の場合 否!。 男性の場合: くすりの量 検査も結果 医師の言質等 客観的なデータ 材料があって

初めて心の叫びも 根拠あるものと化してくるのである。理屈先行なのである。


一方 女性:理由なくして自身に「快復するんだ。」等 言い聞かせることができる部分があると感じる。

繰り返し言い聞かせているうちに 自身 そのように様換っていくことだできるという、人生においての事実を女性は 体自体で知っているように感じる。

それは 生命を産み出し 大半のことを包括的に受容する部分に優れている女という性に生まれつき備わっている部分なのかもしれない。


腎臓を病んでいる人がいたら

音もなく舞い落ちてくる 今の雪のように

「必ず安定してくる。」心静かに 繰り返してみるのがが良いと思う。

今朝も壁塗りの能天気娘を駅まで送っていった。

朝 出かけるときは暗い。道行く車はヘッドライトをつけている。凍結のためそのスピードは緩慢である。

車間距離も広い。


家に戻ってくる頃は 少し明るくなっている。東の空は淡い朱とブルーに変化している。


窓外は雪である。

そういえば 再発の頃 寒さから隔離された部屋から 雪舞いを見続けなければならない日々があった。


自己管理を怠りながら

「早く ステロイドから開放されたい。就労したい。で、ないと差がついてしまう。」

甘い期待感・焦り・疎外感等々 混沌としたそんな思いに心 奪われていたように思う。

気持ちの置き所が定まらず ネフローゼという この病気を憎み 忌み嫌うだけの自身だった。


この病気と正面から向かい合おうとせず 自己逃避するだけの自分がそこにいたように思い返す。


後日 思ったことの1つに

「夜明け前が最も暗い。心も体も最も寒い。」がある。

原題も日本語のタイトルもよかった映画。

「The way We are」=2人が共に一諸だった月日。「追憶」である。バーバラ・ストライサンドが歌っていたこと

後で知った。


「An officer and a gentleman」=一人の士官そして一人の人間として。

「愛と青春の旅立ち」である。 日本語のほうがよかったか・・・・?。


蟹すきを食べながら 息子と配偶者が会話していた。

「ちょうそかべ という人物がいたろう・・・?。」

「長宗我部・・・。戦国武将だったかな?。」と配偶者。

蟹の身を 取り出しながら娘。

「壁の塗りなおしをするの?」と本気でとってきた。

配偶者と息子、2人とも「・・・・・。」「・・・・。」となった。

「ちょうそかべって かべやさんじゃあないの?」繰り返しとった後 ばつが悪くなったのだろう。

「短大キャンパスの隣に 4大のキャンパスがあるんだけど そこの薬学部の人って 何しゃべっても

反応が薄いの。能面のようで まったく表情がない。笑いのつぼが判らないのよね。」

自分の就労時代: 3人こんな他愛のない会話をしていたのだろうか?。

失業して 夕食時のこんな会話にも 笑ってつき合う事が出来始めた自分である。


「就労先で嫌なことあっても 子ども2人とこんな会話を 時おりでも 交わすことが出来るがゆえに 配偶者も仕事に注力できているのか。」とも感じた 今宵だった。