そう!。月単位 季節単位とはいっても振り返れば それらの経過も早かったかとも感じる。

だがいざ入院している身ともなると 朝からが長い。TVにも 読書にも飽きが来る。延々と アクセントに欠く 時間が流れる。30分、否!、15分間でさえ することがなく 心不冴えの時は長く 退屈であった。

ましてや自由が利かない為に 僻み根性さえ 心もたげてきたものだった。

蛋白尿が陽性で浮腫んだ体や Moon Face 中心性肥満は 泣いても 落ち込んでも決して恢復はしてくれなかった。私には 奇跡はおこらなかった。

同病で自分よりも長く入院しているにも拘らず 自分よりも重い人と自身の病状を較べ まだましかな・・・?。

そんな姑息な算盤勘定で 自分で自分を納得させていた自身がその頃いた。

自分より早期に退院していく友に「もう、再発させるなよ。」と見送りながら胸中では「また どうせ戻ってくるくせに。」とつぶやく自身もいた。


退院し学校や 仕事に復帰すると 当初は「あつものに懲りて なますをふく」が 時の経過と共に「喉もと過ぎれば」になって行く自身だった。

ネフローゼ腎でありながら それが面倒で 邪魔で仕方なかった。振り向くのさえ嫌だった。

建設的で改善的な生活ならいいのだが 自虐的な時期が結構私にはあった。

それゆえの反動だったのだろうか・・・?。

50歳を越えたあたりからだったか・・。ひびの入っていながらも自身の弱さに耐えてくれてきた我が腎臓への申し訳なさを抱き始めた。

自分の腎機能に見合う就労生活が不可欠だと感じ始めてきた。身勝手なものである。

生命力に満ちている若い時の自己管理が 将来の腎臓病生活を支配しているようにも感じる、今である。

それぞれに自己管理の方向 否定も肯定も 正直できない。










 


ネフローゼにかかった人なら                                                   文頭~文末の1行に 期待 希望 失望 後悔 焦燥 そんな感情が 長い闘病生活のなかに於いて複雑に交錯していること 否定できないのではないか。


ステロイド投与 長い踊り場 副作用 快復への兆し 恢復 再発 ステロイド・・・。

私の場合 月単位ではなく 季節単位以上だったようにも思う。

副作用 私の場合は ムーンフェイス 中心性肥満 にきび 筋力低下 胃潰瘍。思春期の頃はつらかった。ひと目が気になって仕方なかった。恢復をもたらせてくれるステロイドを 憎みながら 服用していた。

私が 覚悟ある人間だったら 淡々とした態度でステロイドを服用しその時々の心に浮かぶ言葉を

客観的な文章にでもしていたかもしれない。

思うに私は 根底の部分では このネフローゼから逃げていた。否!。仕事の忙しさに事寄せて 自身ネフローゼであることを封印していたように思う。


ネフローゼであることをもっと早期に自覚して 自身の腎機能に見合った生き方をしていたならより健常者に近い生活が約束されていたのかもしれない。

若いうちの1ヶ月の自己管理は 加齢してからの3ヶ月のそれに該当するかもしれない。


息子は教習所の試験に合格。

妻娘は アパート契約終えて帰ってきた。後 残すは自分のことである。力を尽くさねばと思う。

祝いに 急遽 ささやかだが 家族4人で外食となった。月末の日曜日 先週は給料日だったのか 店は混んでいた。

今夜はアルコールの日だが 明日のために我慢しよう。

1:体が血液に対するには 万年筆がインクに対するのと同じ。


2:男が酒に対するのは 女が化粧に対するのと同じ。


3:体が心に対するのは 曲が詞の同じ。


桜もちをたべた。一足早い季節を感じた。


明日が教習所の本試験日だが

息子の通勤用の中古の軽4を買いに行った。

日ごろ寡黙な息子 嬉しそうな表情で車種を選んでいた。


ネフローゼの腎臓に注意を払いながら

息子同様 私も方向を定めて上伸しなければならない。