自分の場合は酷かった。急性腎炎で入院するも 日をおうごとに病状は悪化。胸水 腹水と腹痛と瀕死の病状だった。何ヶ月も入浴が出来なかった。尿瓶の日々も長かった。

その後も ステロイド服用の入退院を繰り返して今に至っている。


再発は このネフローゼ症侯群にあっては珍しくない、あっても当然といわれるが それの回数は少ないほうがいい。再発してもその病状は軽いほうがいい。振幅は狭いほうがいいのだ。


正直 生命力に満ちている若い間に病状は安定させきったのがよい。

自身の場合 それは判ってはいても 目先のことへ心も体も向かっていってしまっていた。

自己管理逸脱生活だった。


学生時代は体と勉強。社会に出れば体と仕事。礎になる部分よりも 対外的 社会的肩書きのほうへとウエイトがかかり過ぎていたと感じて止まない。


再発を自覚しても 尚 目先の成績アップ 経済力アップに向かいつづけていた。

自身ではブレーキが踏めなかったのだ。

診察室で「ステロイド」と通告されるまでブレーキを踏むことが出来なかったそんな自身だった。

若い頃からの自己管理と自愛が 20代 30代・・さらには中高年の生活のあり様を型づくっていく。

診察室での 「急ブレーキ」通告よりも 日ごろからの「小刻みなにブレーキ」を踏むことの大切さを忘れないでほしい。


今日は春の雨。

また これから 課題へ向かおう。


昔日 ワープロやパソコンが出始めた頃 将来はペーパーレスの時代になる云々といわれていた様に記憶する。

理由は 情報をそれらの中に取り込むため そうなるのだと聞いたように思う。

されど そう、なったのだろうか?!。

研修に行くと 講師がそれぞれ自分のResumeを持ってくる。

それが終わるたびに 資料は増える。

課題にとりかかる前に 整理に結構手間がかかる。

机上は 資料で溢れかえっている。


久しぶりに 夕刻散歩に出かけた。

上空は やや湿気を帯びているのだろう。コントレールが何本も観えた。

アンカレッジ発 台北行きのB747のそれも含まれていたのだろうが 双眼鏡を持っていかなかったので確認は不可だった。

このシップの後には 関空行きのB747が 時折姿を現す。

いつだったか 時刻も忘れたが ここ時刻のあとぐらいだったか?。DOHA発 関空行きのB777の機影もあったような気がする。


そうそう 昼前 配偶者の機嫌が妙によかった。

息子が 車で 買い物に連れて行ってやると言ってくれたのがその理由であった。

たくさんの袋を 両手に下げて帰ってきていた。


娘の研修・着任後 今度は自分の研修。それにしても昨日の研修は 手ごたえを感じた。

日ごろからの勉強は 嘘をつかない、とも思った。

JRで県庁所在地へ。早朝でてよる帰宅。

朝 駅に着く時 関空発の1番機か?。上空を北西へと飛んでいく。


昨日帰路 列車が駅で止まった。その上空にコントレールが見えたので つい列車から降りて見上げているうちに 列車が発車しはじめた。「おい、おい」と走って 運転席をたたくと止まってくれた。

ローカル線ならではだと思った。


こんなローカル線 都会から来たビジネスマン達は驚き失笑する場面がある。

列車のドアは自動ではない。列車の外側に 「開く」というボタンがある。列車内には「開く」と「閉める」

というボタンがある。押さなければ開閉しないのである。

自動ドアが当たり前の彼らのなかには いつまでも外で待っている人がいる。

後から来た人に 先を越され「ヘーェ」という表情で 列車内にはいってくる。

さらに ローカル線で単線 途中の駅で いきちがい列車の通過を待つため 余分に数分待つ時がある。これも 彼らは「へーェ 」となっている。なかには 携帯電話でそのことを伝えている人もみたことがある。

行きは 北から南へ。駅舎の桜の蕾は硬いままだが 南下するにつれ開花していく。


配偶者は 娘のアパートへ。今朝 ベッド等が届くため出かけた。

骨折した80歳の母のほうは 今日 転院。これからそれにでかけようと思っている。


それにしても 寒い。腎臓病の人たちは体を冷やさないように もう1枚 着たりはいたりした方がよいと思う。