AM ノートを買いに行った帰路 子ども達が通っていた保育園が運動会をやっていた。

子ども達がお世話になっていた保育士の先生達の顔も遠眼に見ることが出来た。その方へ行ってみた。

丁度 父母の会の会長拶挨になった。

私も10数年前 マイクを持って会長挨拶をした。

今日、見物席から聞いていたが 誰も本気で会長挨拶など聞いているものなどいなかった。へと同じで、早くお終れ、そんな感じであった。

それに第1 外でのマイク挨拶 声が拡散しすぎて何を言っているのか判らなかった。

グラウンドのすずかけの木が 太く大きく成長していたように見えた。。それによって時の流れを感じた気もした。


後,連合町内のお祭りがあると聞きその方へも行ってみた。

もう15年以上やっているという。

結構 近くなのだが、今まで行った記憶がない。

街並みを歩いていると懐しい顔々に出逢った。

懐かしさにしたり 昔日を振り返るよりも 大切なのは、今。

今の自分に注力することが 安定・上伸の key pointと感じてはいても 少々、懐しくもあった。

昔日の自身に出逢った様な、そんな気もした。

息子は 隣りの町内の焼肉大会へ。

親せきより美味なるオカキを頂いた。

少々の Resume

注カしても細やかすぎるのだが やらなければ` 点は線に。その線は安定した型にはなってこないことも痛感している。

Fatigueがくる前 磨いても磨いても歯の汚れがとれなかった。そうしているうちに疲労感 襲来。

体調の変化を感じとらなくてはならぬ。と再々,痛感した先週だった。


簿ぐもりのなかでも 羽田発広島行きのB787 dream linerがみえた。


すでに県境あたりまで 高度を捨てて西進か?!


R/wは?


9日振りにalchol 350 ml


美味であった。


息子と妻が、何やら会話している。


秋刀魚もいいが トンチリもいい云々


知人からみかんとブドウを貰った。


やはり後者の方が美味だった。


なにせ 市街地アーケードが活況な頃のこと

ダンジりの寄付集めは順調だった。

「あの店が何万円なら うちは その上をいかせて頂く。なにせ うちの方が老舗ですから」

「北組班長が何万だした。ならば私も東組の班長その上を寄付させて頂きます。」

プライドも絡まり 修理しても余りかえる程の寄付額になっていった。

さらには、店の客達のなかからも「ここの町内のダンシリの修理だったら寄付したい。」

そんな人々さえもでてきた。


こうなってくると青年部員達のお尻がかゆくなってくる。

「青年部の慰労会を開かしてもらおう。部長 町内役員の承認をとってこい。」とあいなり、部長は承認をとってきた。

皆.ここぞとばかり呑んで騒いだ。慰労会は、一日や一週間では終らず.月を越してもまだ呑み歩きツケを廻してくる猛者達もいた。

町内会役員達の眉は吊り上がっていったが、なにせ予算は余りに余っているのを青年部員並はを知っている。その為 全ったく屈託はない。

そう.一件だけ、慰労会だと称し 飛行機で北海道へ行き  遊びほうけ その上、蟹を食べすぎてコッパンをだした3人がいた。これは自費にさせられた。当然である。


呑みほうけても尚 あり余る寄付金。それでもって最高級の材質で修理したダンジリ 町内の宝物であった。 自慢であった。

だが、重くなり過ぎて シャッター街となり、引き手か不足してしまった今では 昔日の様なカはない。

青年部員達も すでに還暦 声はでても カはでない。

よそから引き手を借りて やっと前進である。 

今年は息子もかっぱりにいく予定である。

病身の母と供にみようと思っている。

                      PS早く寝て 疲労を抜き切りたい。