なにせ 市街地アーケードが活況な頃のこと

ダンジりの寄付集めは順調だった。

「あの店が何万円なら うちは その上をいかせて頂く。なにせ うちの方が老舗ですから」

「北組班長が何万だした。ならば私も東組の班長その上を寄付させて頂きます。」

プライドも絡まり 修理しても余りかえる程の寄付額になっていった。

さらには、店の客達のなかからも「ここの町内のダンシリの修理だったら寄付したい。」

そんな人々さえもでてきた。


こうなってくると青年部員達のお尻がかゆくなってくる。

「青年部の慰労会を開かしてもらおう。部長 町内役員の承認をとってこい。」とあいなり、部長は承認をとってきた。

皆.ここぞとばかり呑んで騒いだ。慰労会は、一日や一週間では終らず.月を越してもまだ呑み歩きツケを廻してくる猛者達もいた。

町内会役員達の眉は吊り上がっていったが、なにせ予算は余りに余っているのを青年部員並はを知っている。その為 全ったく屈託はない。

そう.一件だけ、慰労会だと称し 飛行機で北海道へ行き  遊びほうけ その上、蟹を食べすぎてコッパンをだした3人がいた。これは自費にさせられた。当然である。


呑みほうけても尚 あり余る寄付金。それでもって最高級の材質で修理したダンジリ 町内の宝物であった。 自慢であった。

だが、重くなり過ぎて シャッター街となり、引き手か不足してしまった今では 昔日の様なカはない。

青年部員達も すでに還暦 声はでても カはでない。

よそから引き手を借りて やっと前進である。 

今年は息子もかっぱりにいく予定である。

病身の母と供にみようと思っている。

                      PS早く寝て 疲労を抜き切りたい。