11時頃. 金融機関へ用事ができた。社から行く途中保育園の練習が見えた。


懐しかった。


保育士の指示で円形を描き 皆 踊っていた。ぬいぐるみが動いている様だった。


銀行の用事が終り 保育園の前を通ると 練習は終っていた。


保育士達が鼓隊の道具を仕舞っていた。


「幼児の集中力はせいぜい昼まで 教えるのも大変なら.道具の出し入れも大変、それ以上に大変で気を使うのが親への対応。」


知人の保育士が教えてくれた。


確かに、それは一理ある。


自身 保育園の役員をしながら 痛感した記憶がある。

このネフローゼという存在 本当に手間がかかる。今日も自分のネフローゼ腎をだまし乍ら.励まし乍らやっと就労を終えた。


10月は祭りの季節 30年以上も昔 以前にいた町内でのこと

町内でダンジリの修理が決まった。町内役員会に出席していた青年部部長「町内の役員達から寄付をとってこい。寄付帳はここにある。」

「まかせハンドル.」とまずは町内会長宅へ行き、その後も副会長宅等を回った。

だが、そのうち自称 町内きっての顔役K氏のご機嫌が悪いとの声が聞こえてきた。

最初にK氏宅に行ったのは私と同年令のA。

そういえば、祭りごとの寄付を断わったことのないK氏「またにせい!」と素気なかった。

そのらち理由が聞こえてきた。

「町内のワシをさしおいて 皆の後から寄付にくるなどもっての他! このワシが、最初の頁に名を記し、金額を書く。それから町内を回れ!」ということだった。

「成程、合点。今後こそ まかせハンドル」と、結納屋で 最高の寄付帳を購入し 「おおそれながら」と持っていった。寄付は凄かった。帯封だった。

皆、得意満面で帰えってくると、今後は町内会長のご機嫌が大変なことになっていた。

「ならば また寄付帳を買って きて、一番先に書いてもらえ」 そんな安直なことに落ちついていった記憶がある。故に町内には数冊の寄付帳がある。


あっちにいってもワシが: こっちにいってもワシが 町内そこらじゅうワシ ワシだらけの町内だったが、修理が終り、いざ、祭りとなれば 皆、イケー ススメーでひとつになっていった。

今.住んでいる町は、住宅地 静かなところが取柄であろうか・・・。

休日を 今日の様に脱疲労日として受容できはじめたのは


平成18年以降 50歳を超えてからだと記憶している。


それまでは、休日を脱疲労日にすると 平凡すぎる自身の人生が、さらに平凡になってしま


い さらに細やかすぎるものになっていくようで それが怖くて受容したくなかった様に想う。


受容できはじめた一因は 加齢に伴う休カ減と思っている。