先生もうそをいわなければならない場合があります。


子供を元気づけるために、

わざと偽ってほめたほうがよい場合もあるんですね。


実際はへたな図画でも、「よくかけた」といって、よい点をつけてやると、
その子は元気づいてしだいに上達していくことがあります。


これはうそといえばうそですが、

道徳的にも、社会的にも非難されるものではないですよね。


こんな、実験結果があったそうです

ある小学生のグループでこんな実験をします。


小学生の能力の等しい三つのグループをつくります。
第一グループには常にほめます、


第ニグループは常にしかります、


第三グループは別のへやにおいてほめもしかりもしません。


そして、それぞれに同じ問題で足し算の練習をさせました。


この実験は五日間続けられました。

その結果、第一グループは確実に成績が上昇していたのです。


第ニグループは、一時的には伸びますが、

とちゅうで停滞してしまい、効果が現われません。


第三グルーブは、三日めまでは上昇しますが、

あとは成績が下がるぱかりとなってしまいました。


つまり、このように、「うそ」によって実カが倍増されたのでした。


学生時代、感動し何度もくりかえし見た映画がある。
本もむさぽるように読んだ。


友達のコンサートあるといえば、何が何でも駆けつけたし、
絵画の展覧会も行ったものだ。


今思えば、学生時代は美しいもの、本物に触れたいという欲求が、とりわけ強かったのか。


しかし、学校を卒業し社会人となり、それも十年以上過ぎた、

私は、今、新鮮な感動を求めて映画を見たり本を読んだりしていない!


「映画なんてビデオ、DVDで見れぱいい」とか、「読書は漫画だけ」と割り切った
生活をしている。


都心の会社に就職するのは、「文化の中心だから、

いろいろたものにじかに接することができるからだ」などと言っていた気がする。


それが今では、無数のコソサートや展覧会があってもおっくうになった。

本すらまともに読まなくなってしまっている。


私は「文化活動」と呼べることを何もしていないのだ。


考えてみて欲しい。

学生時代にお金もないのによく見た映画は、いまではテレピでしか見ていないし、
コンサートにもすっかり足が遠のいてしまっている。

読書にしても、本は自分のベッドで読むことが多かった。


今は通勤時問が長いので、平日は自宅ではほとんど読書しない。

深夜にやっと帰宅するのだから風呂に入るのが精いっぽいだ。


読書は電車のなかでしかできない。

私の最後の文化の砦は電車内読書なのである。


しかし、それすらも最近は漫画に変わっている。
さらに、朝の通勤時間帯の車内では、混雑のため本を広げることも難しい。


このように、一般のサラリーマンの文化レベルは、
「きわめて低いもの」となっているのである。


だから、そろそろ、文化的な側面からいっても

自分の持ち時間を有効に使ってみなくてはならない!! と思う。


勿論、会社の仕事は一番大切なことは間違いない。
しかし、自分や家族みんながゆとりや豊かさを感じるのは、
「本物の文化に触れる時」のような気がする。


どうするのかは、簡単だ。

週末にまとめて本を読んでみる。

あるいは、女房と映画に行って見る。


土日とはいっても、何も遊ぶことだけを考えないで、
「文化活動」という視点から余暇を過ごすこともよいことだと思う。


おそらくほんの少し気持ちの持ち方を変えただけで、
あの感動にあふれた「学生時代」にトリップできると思うのだ。

もしも、あなたが上司とかリーダーとかだったとき
注意をするようなシーンがあったら

特に相手が若い連中のときには気をつけなくてはいけない。


相手に反感を持たせたのではかえってマイナス。

それは一時的にはちゃんとやるかもしれないが、心が入らない。魂が入らない。


だからまた同じように無関心、無意欲、無責任になって
記入をサボることになるだろう。


それではむしろ注意したことがアダになってしまう。

気をつけなくては。


もう軍隊式というか「オイ、コラ式」ではダメ。
「やる気」を起こさせなくてはならない。


「やる気」を失わせるような注意の仕方をしてはダメだ。

「良い結果」を得るために、「良い結果」という目的のためには、
どんな手段でもいい、要はいい結果を生むことが大切。


ガミガミいうのも一つの手段。やさしく楽しくわかりやすくいうのも一つの手段、
どちらの結果がいいかということになると「人を見て法を説け」で
相手が若いなら若い人に対する話し方、教え方。
相手がほとんどOLなら、またそのような注意のし方があるはず。


ただガミガミいっているだけでは決していい結果は生まれまい。
といっていつもニヤニヤ、ニコニコしておれというのではない。


もちろん、たまには雷を落とすことも、爆弾を落とすことも結構だろう。

要は相手の人たちが、「心から」「悪いことをした」「すまぬことをした」
「申し訳なかった」と反省するように話すことである。
そこにはユーモアも必要だろう。ウイツトも大切だろうう。


どうすれば、どんな話し方、注意の仕方をすればわかってくれるだろう、


納得してくれるだろう、

協力してくれるだろう、ということを


「寝てもさめても」というと少々大袈裟かもしれないが、
少なくともそのくらいの気持ちで勉強し、研究しなくては
目的は達せられないのではないか。