神 三位一体 トリニティ TRINITY | 携挙・煉獄・辺獄・キリスト教・カトリック・御父・イエス・キリスト・聖霊・聖母マリア・第二の聖霊降臨・暗黒の三日間・千年王国

携挙・煉獄・辺獄・キリスト教・カトリック・御父・イエス・キリスト・聖霊・聖母マリア・第二の聖霊降臨・暗黒の三日間・千年王国

最近のアニメにヨハネの黙示録12章の内容が含まれています。
イエス様が再臨される3日前に、メジュゴリエのペーター・リュビチッチ神父様が
Facebookで全世界に伝えることになっています。
https://www.facebook.com/frapetar.ljubicic

 

 

●神の目と耳とは?

 

 ところで、あなた達は、神様とは、どこから自分を見ていると思います?作家のカトリックのキリスト教徒の曽野綾子さんは、神様が斜め後ろから自分のことを見てくれていると子供の時に思っていたそうです。ある人は、自分が対面している人と同じ目線で見ているという人もいれば、天から見ているという人もいます。一体、この中でどれが正解かと言いますと、どの答えも正解なのです。あなた達は、防犯カメラが複数設置されている、防犯カメラの監視室って、頭の中でイメージが湧きますか?モニターが一杯設置されていて、複数の角度から、同じ人を監視したりもできる部屋です。つまり、神様の目と言うのは、自分の周りに無数の防犯カメラが設置してあるように、人類を全ての位置、全てのアングルから常に見ておられるのです!これと同じで、神様の耳も自分の周りを無数に囲っているようなものなのです。私達の会話や心に思ったことは、常に神様に盗聴されていると考えることもできます。だから、小さい声で、神様に話しかけたり、何か願いことをしても、ちゃんと信じて神様に対して言えば、聞いていて下さるのです。(叶うか叶わないかは別として)神様は、自分(神様)に向かって人類(創造物)が話しかけてこられることが、お好きなのです。神様は、最初は、いつも聞き手に徹してくれるのですけど、お祈りを毎日、沢山したり、聖書をよく読んだりしている内に、神様の声が聞こえてくるようになる、信仰が強くなる人々も出てきます。

 

お祈りをしていない方がいましたら、1日1回だけでもいいから、まず、

 

「主の祈り」

 

 

「アヴェ・マリアの祈り」

 

を唱えることから始めてみませんか?

 

●神の全知全能とは?

 

 例えば、車を製造している「T社」が、いくら新しいデザインと構造の車を設計して販売しようと、神様にとっては、それは、どれも太古の昔(この世ができる前)から知っている、神様がすでに、ご存知のいずれかの情報に必ず当てはまっている情報(デザインと構造)に過ぎないのです。「T社」以外の「N社」や「H社」や「M社」の製造している自動車も全てです。絵画作品、彫刻品、陶芸品、漫画作品、アニメ作品、ゲーム作品、小説、映画作品、テレビ番組も神様にしてみたら、制作者が考案する前から、どれも神様がすでに、ご存知のものや作品にすぎないのです。それが全ての情報を、主がご存知で全知であるということなのです。例えば、アニメ作品等ありますが、神様は、今まで人間が作ってきた全てのアニメの作品も、この世が始まる前からご存ですから、当然、神様は、

 

「下界の人間の新しく作るアニメ作品の内容を楽しみしている。」

 

とか思わないわけなんですよ。それも、どれも太古の昔(この世ができる前)から知っている、神様がすでに、ご存知のいずれかの情報に必ず当てはまっている情報(アニメの内容)に過ぎないからです。なので、人類の未来も神様がご存知の、いずれかの情報には必ず当てはまっていると言えるのですが、その、神様がご存知のいずれかの情報の、どの未来を選ぶかは、今の人類の選べる自由に委ねられているとも言えるのです。つまり神様は人類が、神様の知っている、いずれかの未来の全ての情報の中から、どの情報を選びながら生活をしていくのかというのを楽しみにしていると述べたほうが正確なのではないでしょうか?そして神様が、あなたにかけてくれる御言葉は、この世が始まる前から用意されていたものなのです!

 

 全能というは、不可能がないということですので、何もない所から、突然、物質を創造したり霊魂を創造したり、何でも出来る訳なのです。神様は、ガンダム、ゾイド生命体、トランスフォーマー生命体も実際に創造しようと思えば創造できるのです。

 

 

以下のラインを境界線にして上下に

 

↑      愛の無限の情報等        ↑
---------------------------------------

↓      悪の無限の情報等       ↓

 

が無限に広がっているとします。

 

 神様は、全知全能ですから愛の無限の情報も悪の無限の情報もすでに全て完全に知り尽くしています。実は、悪魔は全知全能ではないので、人類よりは悪の情報は多く知っているのですが、悪魔自身も悪の無限の全ての情報は未だに分からないのです。たぶん永遠にわからないままだと思います。悪魔の力と悪魔の知ってる情報は、元々、悪魔が、まだ天使だったころに、神様から頂いたものです。神様は、天使が悪魔になっても、

 

「では、お前たちに与えた力と知識を全て取り上げる。」

 

とか言ってくれないのですよね。私、個人の考えとしては、そんな裏切り者達からは、さっさと力を奪ってほしいと思っているのですが…天使が悪魔になった理由の一つは、悪魔がまだ天使だった時に、神様が力を与えすぎちゃったから、その力に溺れちゃったんですよ。

 

「赤信号みんなで渡れば怖くない」

 

のように悪魔達も

 

「地獄にみんなで行けば怖くない」

 

とか思っていたのかもしれません。

 

 他に言える事は、神様は、天使が悪魔に堕落するということを、事前に予測していたのではないだろうか思うのです。神様は、

 

「天使達が堕落して堕天使になるなんて、私に予測することができなかった。」

 

等と述べられないはずです。これと同じで神様は、旧約聖書の創世記のアダムとイヴが禁断の果実を食べることも完全に予想範囲内のことだったと言えますね。私も子供頃に、アダムとイヴが原罪を犯さなければ、どれだけ現代の人間が幸せに暮らしていただろうと思ったものです。しかし、アダムとイヴが禁断の果実を食べてくれないと、今の私達が存在しないことになってしまうのです。何故なら、アダムとイヴが禁断の果実を食べてくれないと、アダムとイヴ以降に生まれてくる人間達の未来が全て変わってしまうことになるからです。もちろん、私達一人一人の魂(霊魂)は、存在していたかもしれませんが、魂(霊魂)の経験して蓄積された情報(未来)が全て違う情報(未来)になってしまうから、まったく今とは別の人間として生活しているかもしれないからです。この事実を知ると、喜ぶ人と悲しむ人の二つのパターンに分かれてしまうでしょう。悲しむ人とは、この世で不幸な人達です。喜ぶ人とは、この世の悪事を働くことが好きな悪人達や権力者達や金持ち達です。この世の悪人達や権力者達や金持ち達は、アダムとイヴが禁断の果実を食べてくれたから、今の私達があると思うわけで非常に喜ぶわけです。そのかわり、悪人達や権力者達や金持達は、地獄や煉獄は避けられません。アダムとイヴが原罪を犯したから、その子孫である人々が地獄に堕ちるようになってしまった事実は悲しいことなのですが、地獄に堕ちる人達も、プライドや自我や欲があって、それを全て完全に捨てきれないので、地獄に自ら堕ちてしまう(行ってしまう)ものなのです。天使や人間に、自由意志を与えると、必ず二つのパターンに分かれてしまうのです。一つは、神様側の陣営。もう一つは神様に反する陣営。この二つ陣営は、永遠に交わることができないことは、神様御自身が一番よくわかっているでしょうから、このことを考えると、神様は、初めから、この二つの陣営のために、天国と地獄という二つの永遠の場所を用意なされたのではという結論に達するのです。

 

 私は自分が全知全能になりたいとは思いません。理由は、苦しみの情報、怖い情報、気持ち悪い情報、汚い情報、臭い情報、残酷な情報、悲しい情報、悪い情報等も全て知るというのは、昔、「幽遊白書」という作品で、「黒の章」という、今まで人間が行ってきた罪の中でも最も極悪で非道のものが何万時間という量で記憶されているビデオテープが出てくるのですが、実際に、その「黒の章」のビデオテープがこの世に実在していて視聴するよりも恐ろしいことになると予想しているからです。なので、苦しみの情報、怖い情報、気持ち悪い情報、汚い情報、臭い情報、残酷な情報、悲しい情報、悪い情報等は、全て知りたくありません。しかし、愛の情報、善い情報、美しい情報、綺麗な情報、可愛い情報、嬉しい情報等の全てを知りたいというのはあります。でも、一瞬でそれらの全ての情報を知るより、時間をかけて徐々にその情報を味わって楽しんで知っていきたいというのはあります。神様は、苦しみの情報、怖い情報、気持ち悪い情報、汚い情報、臭い情報、残酷な情報、悲しい情報、悪い情報、愛の情報、善い情報、美しい情報、綺麗な情報、可愛い情報、嬉しい情報等もこの世が始まる前から、すでに全て完全にご存じなのです。

 

 私が全能になりたくないという理由は、もし、人間が神のような完全な全能の力を持つと、いたずらに他の者達を傷つけてしまうこともあるかもしれないのが怖いからです。もちろん煉獄と辺獄を空にできる都合のいい一部の力とかあったらほしいですけど…

 

 

 仮に人類が全知全能になれたとしたら、全ての情報を知り尽くして何でも出来るわけですので、あえて、自分から何をしたいとかなくなるんじゃないですかね?旧約聖書の創世記のアダムとイヴのように男と女を全能の力で創造して、

 

「お前達は、私の知っている全ての情報の中で、どのように人生(情報)を選んで暮らしていくんだい?」

 

と、全ての創造物達に自由を与えて、創造物達が一体どのように生きていくのか見守っていくみたいなことでもやるんじゃないでしょうかね。

 

 未だに私がわからないことがあるのですが、神様は、全知全能ですので、人類のようなわからない者達、無知な者達の気持ちは、ご存じなのだろうかと考えることがあります。聖書には、

 

イエズス様

「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです」

 

と、ありますが、しかし、私が疑問に思っているのは、そういうことではなくて、神様御自身が情報をまったく知らないということがありえない(どの情報も必ず神様が御存知のいずれかの情報に当てはまっているため。)のに、神様の創造された人類の知識や情報を知らない、わからないという苦労が神様御自身に、わかるのだろうかという疑問を抱く時があります。

 

 

●神様は、人類に才能を与える能力がある

 

 日本人は、漫画、アニメ、ゲーム(ドット絵、CG)等、本当に魅力的な上手い作品を作るものですね。私も昔は、そのようなクリエーター達が、

 

「何故、彼らは、こんなに上手い絵を描いたりできるんだろう?」

 

と、ずっと疑問に思っていたのですが、答えは簡単でした。神様の全能の力で、人間は、そのような才能をただ与えられているだけです。しかし、才能を与えられている本人達が、そのことにまったく気付いていないのです。才能を与えられている本人達がすごいのではなくて、彼らにそれだけの力を与えられる能力を持っている、御父、イエズス、聖霊が恐ろしく素晴らしい方であると思わないといけませんよ。ヘタをすれば、そのことに一生気付かないまま死んで煉獄に行く人も大勢います。漫画家等で、印税稼いで慈善活動の一つもしないで、自分達に神様から与えられた漫画の絵を描く才能とストーリーを考える才能については、神様に対して一切感謝することも御礼を述べることもない人もいますが、まぁ、神様も、あえてそれが事前に分かっていて、人々にそのような才能与えるっていうのもありますから、そのような漫画達は、死後に煉獄は避けられないでしょう。でも、以前、

で書いた記事の通り、神様は、そのような放蕩息子的な漫画達が煉獄に行っても満足なさるものなのです。地獄に堕ちるよりはマシということですね。

 

 

 東大王というテレビ番組がありますが、東大のメンバー全員この世的な知識にはたしかに長けていますが、元々、東大のメンバー全員の高度な学習能力とか記憶力とか情報処理能力とか、全部、神様が、ただで与えて下さったものなのに、誰一人としてそれに気付いていないという…世間の人達も、まったくそのことに気付ていなくて、東大のメンバーがすごいとか思ってしまう訳なんです。東大のメンバーがすごいのではなくて、彼らにそれだけの力を与えられる能力を持っている、御父、イエズス、聖霊が恐ろしく素晴らしい方であると思わないといけませんよ。東大のメンバーも、当然、神様のことも信じていないのかもしれないし、知らないのかもしれないし、神様に対して感謝もしなければ御礼も言わないという仇返し。神様は、その気になれば、東大王に出てくる東大のメンバー全員以上の学習能力とか記憶力とか情報処理能力とか他の全ての人達に、いつでも好きな時に与えられる全能の力があります。旧約聖書に出てくるソロモン王が、その例です。

 

 さらに新約聖書で、イエズス様は、

 

「ここに、ソロモンに勝るものがある。」

 

と述べておられるのですよ。

 

ちなみに東大王に出てくる東大のメンバー全員の霊的知識はゼロです。

 

 

しかし、

鈴木 光(すずき ひかる)
さんと
紀野 紗良(きの さら)

さんの

謙遜さは、イエズス様も好まれています。

 

 

 

 私は、「ダ・ヴィンチ・コード」の映画は、一切見たことがないのですが、どうやら、この映画の中で、新約聖書に出てくる「マグダラのマリア」は、「キリスト」の妻だったという内容が含まれていると、たしか、映画の宣伝の番組か何かで知ったのですが、私は、当時から、「マグダラのマリア」は、「キリスト」の妻だったという噂については、

 

「それは絶対にありえない。」

 

とは思っていました。

 

 しかし、当時の私は、「マグダラのマリア」が「キリスト」の妻ではないと、理論的に説明するだけの知識を、イエズス様から与えられていませでした。

 

 まず、この記事を、ブログの読者達に、ご覧頂いて、記事の内容を理解して頂いてからでないと、これから、私が、お話しすることは、意味不明でしょうね。

 

 

旧約聖書 創世記 新共同訳

 

 

  02:07主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 02:08主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 02:09主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。 02:10エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。 02:11第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。 02:12その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。 02:13第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。02:14第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。02:15主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。02:16主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。 02:17ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」02:18主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」02:19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。02:20人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。 02:21主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。02:22そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、 02:23人は言った。「ついに、これこそわたしの骨の骨わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼうまさに、男(イシュ)から取られたものだから。」02:24こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

 

 全知全能の神と呼ばれる、御父、イエズス様、聖霊様は、人を、男と女に創られたのです。

●神の全知全能とは?

例えば、車を製造している「T社」が、いくら新しいデザインと構造の車を設計して販売しようと、神様にとっては、それは、どれも太古の昔(この世ができる前)から知っている、神様がすでに、ご存知のいずれかの情報に必ず当てはまっている情報(デザインと構造)に過ぎないのです。「T社」以外の「N社」や「H社」や「M社」の製造している自動車も全てです。絵画作品、彫刻品、陶芸品、漫画作品、アニメ作品、ゲーム作品、小説、映画作品、テレビ番組も神様にしてみたら、制作者が考案する前から、どれも神様がすでに、ご存知のものや作品にすぎないのです。それが全ての情報を、主がご存知で全知であるということなのです。例えば、アニメ作品等ありますが、神様は、今まで人間が作ってきた全てのアニメの作品も、この世が始まる前からご存ですから、当然、神様は、

 

「下界の人間の新しく作るアニメ作品の内容を楽しみしている。」

 

とか思わないわけなんですよ。それも、どれも太古の昔(この世ができる前)から知っている、神様がすでに、ご存知のいずれかの情報に必ず当てはまっている情報(アニメの内容)に過ぎないからです。なので、人類の未来も神様がご存知の、いずれかの情報には必ず当てはまっていると言えるのですが、その、神様がご存知のいずれかの情報の、どの未来を選ぶかは、今の人類の選べる自由に委ねられているとも言えるのです。つまり神様は人類が、神様の知っている、いずれかの未来の全ての情報の中から、どの情報を選びながら生活をしていくのかというのを楽しみにしていると述べたほうが正確なのではないでしょうか?そして神様が、あなたにかけてくれる御言葉は、この世が始まる前から用意されていたものなのです!

 

 全能というは、不可能がないということですので、何もない所から、突然、物質を創造したり霊魂を創造したり、何でも出来る訳なのです。神様は、ガンダム、ゾイド生命体、トランスフォーマー生命体も実際に創造しようと思えば創造できるのです。

 

 つまり、御父、イエズス様、聖霊様は、何でも御自分のお好きなものを、いつでもどこでも創造できるのでしたら、全ての人(人類、人間)の創り主であられる、イエズス様が、「マグダラのマリア」も含めた女性達を妻として娶るような効率の悪いことをするより、初めから男なんて一人も創造しないで、女だけを永遠に創造して、ハーレムでも作ればいい話ではないですか?しかし、以下の記事にも書きました通りに、

全ての情報を完全に知り尽くして極めつくしている全知全能のお方である、イエズス様は、そんな低次元なことを、なさらなかったではありませんか?その証拠に、イエズス様は、最初に、アダムという男性を(も)創造されたからです。神様の被造物である、不完全で無知な人間でしたら、

 

 

 

人間の男性
「もし、俺が神なら、女性だけを創造してハーレムにするのになぁ…。」

 

人間の女性
「もし、私が神なら、男性だけを創造して逆ハーレムにするのになぁ…。」

 

という低次元な発想をしてしまう人々も、いるかもしれませんけどね…。

 

●結論

 

 イエズス様は、「マグダラのマリア」も含めた、他の女性達を、彼女にしたり、恋人にしたり、婚約者にしたり、妻にしたり、愛人にしようとする願望も、御自分の子孫を残そうとされるお考えも思いも一切ないのです。そして、これからも、イエズス様の気が変わられて、「マグダラのマリア」も含めた、他の女性達を、彼女にしたり、恋人にしたり、婚約者にしたり、妻にしたり、愛人にしようとすることも、御自分の子孫を残そうとされるお考えも永遠にありません。

 イエスの生涯を描いた映画「キング・オブ・キングス」には、イエスが一人の女性を助ける場面が出てきます。人々がある女性を連れて来て、イエスに言います。

 

「この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。」

 

するとイエスはそれに答えて、

 

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい。」

 

このシーンは、もちろん、新約聖書の福音書の記述にある通りに描かれていますが、この女性が「マグダラのマリア」と呼ばれる女性です。「マグダラ」(Magdala)とはパレスチナ北部にある町で、彼女の生誕の地です。彼女は長いこと「娼婦」であると解釈されてきましたが、それが誤りであることをヴァチカンは1969年に認めています。

 神様は、将棋、囲碁、チェス等の全ての棋譜も、この世が始まる前から全て御存知でした。将棋、囲碁、チェス等の全ての棋譜は、タイトルを所持している者達同士の名勝負と呼ばれるものから、素人同士の、あまりにもくだらなすぎる内容の棋譜まで無限にあるでしょう。神様は、ただ、将棋、囲碁、チェス等の全ての棋譜も、この世が始まる前から全て御存知なだけでなく、その御存じの全ての棋譜の中から、どのような手を指せば、確実に勝てるという手も一瞬で迷いなく指すことができる全能の能力があるのです。なので、「生きているどんなに強いプロ棋士の人間」も「当時、名人だったひふみん」も「AI」も、イエズス様と将棋、囲碁、チェス等で対局しても勝てるわけがないのです!「AI」の場合は、世界中の「スパコン」と「パソコン」を繋げて共同で情報処理をさせても、全知全能であるイエズス様に勝てるわけありません!所詮、「AI」も「スパコン」も「パソコン」も人間が作りだした、どこかに欠陥がある不完全なものだからです。それに、「AI」と「スパコン」と「パソコン」を作り出した人間を創造された方はイエズス様ですよ。まぁ、人間がイエズス様と将棋で対局しても、千日手(せんにちて)にするのが限界でしょうね。しかし、人間がイエズス様と将棋で対局したとしても、恐らく、千日手にすらさせてもらえないでしょう。何故なら、イエズス様が対戦相手の人の心を読んで、千日手にすらさせてくれない手を指してくるからです。

 

ヨハネによる福音書 新共同訳
08:01イエスはオリーブ山へ行かれた。 08:02朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。 08:03そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、 08:04イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 08:05こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 08:06イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 08:07しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 08:08そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。 08:09これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 08:10イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 08:11女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕

 

「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。」

 

これは、イエズス様の周りに地面に何を書いているのかを見に集まってきた来た人々の、今まで犯した罪を書いていたというのは有名なお話です。つまり、イエズス様は、あなたの全ての人生も、あなたの心の中の全てのことも、リアルタイムで常に見て知っておられて御存じて永遠に覚えていらっしゃるということです。

 

 囲碁の場合も先ほど説明した将棋の話とまったく同じです。昔、「ヒカルの碁」という作品で、主人公のヒカルの背後霊の「藤原 佐為」という架空のキャラクターがヒカルに囲碁の次の一手を教えて打たせていたという内容ですが、もし、本当に「藤原 佐為」が実在して、誰かに背後霊のように取り憑いて、囲碁の次の一手を教えて打たせていたとしても、イエズス様に敵うわけありません。では、本当に「藤原 佐為」が実在して、彼が囲碁の棋譜を全て知っているとしましょう。それでも囲碁の対局で、イエズス様に敵うことはできないのです。理由は、「藤原 佐為」が囲碁の棋譜を全て知っていたとしても、その無限とも言える全ての棋譜の中から、一瞬で、どの手を打てば絶対に相手に勝てるかという神様の全知全能のような一瞬で全てわかる完全な情報処理能力が「藤原 佐為」には無いからです。

 

 他にも、対戦型ゲームの「格闘ゲーム」や「パズルゲーム」や「eスポーツ」でイエズス様と対戦したとしても絶対に勝てませんね。神様が負けられることがあったとしたら、旧約時代のヤコブが神と戦われて勝利した時のように、神様の御計画が実行されるために、あえて神様が負けられることはあるかもしれません。

 

 麻雀の場合は、各プレイヤーの所有する手牌のパターンがランダムなので、最初から公平ではありませんので、運が良ければイエズス様に勝てるかもしれません。しかし、もし、イエズス様と4人制麻雀を打ったとします。そうなると、当然、イエズス様は、他の3人の手牌も、他の3人が、これから順番に取得する牌も、イエズス様御自身が、次に取得して出てくる牌も、全部完全にわかりきっちゃっていますから、

 


煉獄にいる飯田さんでも、


煉獄にいる小島さんでも、


煉獄にいる色川さんでも、


なかなかイエズス様に勝つのは難しいと思います。

 

私が、このブログの記事で

述べたことを

信じる人達は、

カトリックのクリスチャン

になるべきです。

 

  「ひふみん」、当然、あなたは棋士になってから、後に、これらの真実を、聖霊によって知恵を与えられて理解されたから、カトリックの洗礼を受けられたのですよね?

 

占い中毒になっている方達へ

 

 占い中毒になっている方達に、

 

「占いをやめなさい!」

 

と忠告するのは誰でもできますけど、その人が完全に占い中毒になっていたら、

 

「占いをする」

 

のも、

 

「占い師に自分を占ってもらう」

 

のも、なかなか、すぐにやめるのは難しいでしょうね…

 

 そこで、私に、占い中毒になっている方達に提案があるのですが、このブログの記事の中の「神の全知全能とは?」という記事で、

 

 

 「人類の未来も神様がご存知の、いずれかの情報には必ず当てはまっていると言えるのですが、その、神様がご存知のいずれかの情報の、どの未来を選ぶかは、今の人類の選べる自由に委ねられているとも言えるのです。」

 

と述べたのですが、

 

例えば、ある女性に彼氏がいて、その女性が彼氏と付き合い続けるべきか、別れるべきか悩んでいるとします。そこで、次のように

 

「私が、どの未来を選んだとしても、神様の御存知のいずれかの情報には必ず当てはまっていることを
私は知っており信じております。イエズス様!主の御胸でしたら、私に是非とも教えて下さい!主も御存じの通りに、私には、今、付き合っている男性がおります。今後とも、私は、この男性とお付き合いを続けるべきなのでしょうか?それとも、すぐに別れるべきなのでしょうか?どうか私と彼がお互いに、それぞれ一番幸せになれる方法を教えて下さい!この私に、どんな小さなことでもいいですので、わかりやすく『しるし』をお与え下さい。主よ、感謝致します!」

 

と、事前に意向を述べて

 

その後に自分達の好きな祈りを一言祈るのです。
例えば、主の祈り、アヴェマリアの祈り、栄昌等です。(心の中で祈っても大丈夫です。)

 

「なんで、まだ、しるしも与えられていないのに、『主よ、感謝致します!』と最後に付け加えるの?」

 

と疑問に思う方もいらっしゃると思います。

 

「主よ、感謝致します!」

 

と最後に付け加える理由は、神様に対して何かをお願いする時は、すでに神様が、あなた達の願いを叶えて下さったと信頼して、あらかじめ神様に感謝することも大事だからなのです。

 

 占い中毒になっている方達は、

 

 

「占いをする」

 

のも、

 

「占い師に自分を占ってもらう」

 

のもやめて、今、私が説明したように、何かあったら、すぐに祈る日常生活を送るようになって頂きたいものです。

 

 

御父

 

 

  私も、私の霊的指導者の方から聞くまで知らなかったのですが、「御父」は、完全な「母性愛」を持っておられるのだそうです。聖母マリア様に、完全な「母性愛」をお与えになられたのも、「御父」ということになります。父親であり、全能の神様である方が「完全な母性愛」をお持ちとは、何か不思議な感じがします。

 

  以下の冊子を、昔、私の知り合いの「プロテスタント」の信者の方にもプレゼントしたことがあるのですが、その方は、とても喜んで読んでくれました。「プロテスタント」の信者の方達も、1度は、この「御父の栄光のために生きる」の冊子を読んで頂きたいです。

 

 

御父の栄光のために生きる

 

聖母の騎士社D.ジョポロ (著)

 

聖母の騎士社 

TEL:095-824-2080  FAX:095-823-5340

 

http://www.seibonokishi-sha.or.jp/

 

主によって 主とともに 主において
御父への祈り
゛神は私の父である゛
 
天におられる御父よ、あなたは私の父であり、私はあなたの子どもです。
このことを知った私は、満ち足りて心安らかになりました!
特に私の魂が暗闇にあり、十字架が耐えがたく重いとき
゛父よ、私はあなたの愛を信じています!゛と言わずにいられません。
そうです。私は信じます。私の生涯のあらゆる瞬間に
あなたは私の父であり、私はあなたの子どもであることを!
信じます:あなたが無限の愛で私を愛してくださることを!
信じます:あなたは私を日夜見守っておられ、あなたの許しがなければ、髪の毛一本も落ちないことを!
信じます:限りなく賢いあなたは、何が私に益するかを
私以上に知っておられることを!
信じます:あなたの力は限りなく、悪からも善を引き出されます!
信じます:あなたの限りない善により、すべてのものが
あなたを愛する人の利益に変えられます:だれかの手に
打たれることがあっても、私はあなたのいやしの手に口づけします!
信じます:しかし私の中の信仰、希望、愛を強めてください!
教えてください:私の生涯のすべてのできごとにおいて、
あなたの愛の導きに従うことを。
教えてください:母に抱かれた子どものように、あなたの導きに
私自身をゆだねることを。
父よ、あなたは全知、すべてを見通し、私以上に私をご存知です:
全能のあなたが私を愛して下さるとは!
父よ、あなたは私たちがすべてを願うことをお望みですから、
私は、イエス、マリアとともに信頼をもってあなたにお願いします。
……………………………………………(ここで各自の願いを言う)
この意向のため、私はイエスとマリアの聖なるみ心に一致して、
すべての祈りと犠牲、苦行とすべての行い、
そして自分の義務に対する一層の忠実をあなたに捧げます。
聖霊の光、力と恵みを私にお与えください!
聖霊を失うこと、悲しませること、
聖霊の力を弱めることがないように、
私を聖霊の中に閉じ込めてください。
父よ、御子、イエス・キリストの名により、私はこのことをお願いします。
そして、イエスよ、あなたのみ心を開いてその中へ
私の心を入らせ、マリアのみ心とともに私たちの神である父に
お捧げください!私にどうしても必要な恵みを得させてください!
神である父よ、すべての人にあなたを知らせてください。
世界中の人があなたの優しさとあわれみを語りますように!
私の優しい父となり、あなたの目の瞳のように私をお守りください。
私がいつまでも御父にふさわしい子でいることができますように:
私をあわれんでください!
神である父、私たちの魂に甘美な期待を与えられる方が、人々に知られ、
讃えられ、愛されますように!
神である父、すべての民に及ぶ無限の優しさ、
讃えられ、愛されますように!
神である父、人類を慈しむ露、人々に知られ、
讃えられ、愛されますように!
 
マザー・ウージェニア・E・ラヴァジオ
 
1935年10月9日 カイロ使徒座区教長ジラール認可
1936年5月8日 パリ大司教ジャン・カール・ヴェルディエ認可

 

御父のロザリオ

 
神よ、私を助けに来て下さい。▼急いで助けに来て下さい。
栄光は父と子と聖霊に、▼始めのように今もいつも、世々に。
私達の父、私の父よ、▼あなたは私の真に偉大な神です。
 
●第一の神秘…
創世記に書かれた素晴らしい御父の愛を黙想します。
「神はご自分がお造りになったすべてのものをご覧になった。それは極めて善かった。」(創世記1.31)
 
●第二の神秘…
贖いのみ業に示される御父の限りない慈しみを黙想します。
「実に、神は独り子をお与えになるほどこの世を愛された」(ヨハネ3.16)。
 
●第三の神秘…
愛のご計画の中で自由な状態に人を造り、その後たとえ人が自由を悪用することがあっても、人に自由を許し続けられる御父の偉大さを黙想します。マリアは完全な自由意志によって御父のみ旨を受け入れました。
聖母と心を合わせて私達も言いましょう。
「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1.38)
 
●第四の神秘…
私達が神のみ旨を受け入れたときに勝利する御父の愛を黙想します。
イエスの教えを実行することが、御父のみ旨を受け入れることです。
「これは私の愛する子、私の心にかなうもの、彼に聞け」(マタイ17.5)
「御言葉を受け入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた」(ヨハネ1.12)
 
●第五の神秘…
日常生活の中の苦しみ、赦す苦しみ、死の苦しみの中で御父の勝利を黙想します。
「地上の生涯でキリストに一致していれば、キリストとともに復活できる。現在の苦しみは、将来私達に現されるはずの栄光に比べると、とるに足りないと私は思います」(ロマ書6.5 同8.18 参照)。
イエスは約束されます。「…私の父が私に王権を委ねてくださったように、
私もあなたがたに王権を委ねる」(ルカ 22.29)。
 
各「神秘」の後に…
 
・主の祈り                                1回
・父よ▼今もいつもあなたは私達の父               10回
・栄光は父と子と聖霊に、▼始めのように今もいつも、世々に。1回
・私達の父、私の父、▼あなたは私の真に偉大な神      1回

                                            
1936年5月8日 
パリ大司教区長ジャン・ヴェルディエ枢機卿認可
 
 

「御父の栄光のために生きる」聖母の騎士社  D.ジョポロ(著) 41~42ページより引用

 

御父
「一つの例として、ここに間もなく世を去る人がいる:この霊魂は私にとっていつも放蕩息子のような存在だった。私はこの人に良いものを惜しげなく与えた。彼は優しい天の父が無償で与えた恵みを浪費し、その上私はさらに彼を支えようと、健康と富を与えた。彼は仕事でもうけ、有り余るひどになった。私の配慮から彼は度々の幸運に恵まれ何不自由のない身分となったが、悪徳が身につき目は曇り、その後彼の人生は不始末の連続となった。しかし私の愛はあきらめることなく、彼に付き添っていた。私は彼を愛していたし、何よりも、彼から拒絶されてもいつかは彼が私の愛に答えて父であり救い主である私のもとへ戻ることを希望して彼のそばで辛抱強く生きることを喜びとしていた。

 

 ついに彼の最後の日が近づいた:彼が正気に戻り父である私のもとへ戻るよう私は彼に病気を送った。時が経ち可哀そうなこの子は74歳となり最後の時を迎えている。私は今までどおりそばにいる。今までよりさらに優しく声をかける。私は譲らない。選んだ人たちに声をかけ、私が勧める赦しを彼が願い出るよう祈りを頼む……

 

 そして今ついに、息を引き取る寸前の彼は目を開き、自分が誤っていたこと、父に至る真の道を踏み外したことにも気がつく。正気に戻った彼は周りのだれにも聞き取れない弱い声で私に言う:

 

『神様、私に対するあなたの愛がどんなに大きかったかを私は今分かりました。それなのに私は、悪に染まった生活を送りあなたに背き続けました。私は御父である救い主のことを思い出したことがありません。今あなたはすべてを見ておられます。取り乱した私が認めるこのすべての悪の業をお赦し下さい!私の父、私の救い主よ、私はあなたを愛します!』

 

 言い終えるとすぐに息を引き取った彼は今、私の前にいる。私は父の愛をもって彼を裁く:彼は私を父と呼んだので救われた。彼は償いの場で一定期間を過ごした後、永遠の幸福に入る。彼の生前私は、彼が痛悔した時に赦しと救いを与えることを楽しみとしていた。今私は、天上に居並ぶ人々ととも、永遠に彼の父となる望みが実現したことでさらに満足している。」

 

 この御父の述べている「彼は償いの場で一定期間を過ごした後」という御言葉の「償いの場」こそ新約聖書に出てくる放蕩息子の例え話に出てくる「豚の畑」であり「煉獄」以外に考えられないのではないでしょうか?

 

さらに「御父の栄光のために生きる」聖母の騎士社  D.ジョポロ(著) 60ページより引用

 

御父

「煉獄にいる信徒たちに特別な祝福を、アーメン!アーメン!」

 

と、御父御自身が煉獄という言葉を直接述べておられるのです。