今ココの意識の修正 | 天下泰平

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今ココの意識の修正《“やつは”メールマガジン(NO.146)》
9月25日は、セカンドステージ主催の講演会で愛媛県松山市を訪れました。

9月6日の鳴海周平さん&長典男さんとのコラボ講演会でもラストは松山講演だったので、今年2度目どころか今月2度目の松山です。

今回の講演会は、3分の2以上の方が初めての参加であったため、セカンドステージという組織、今行っている活動のこと、周波数についてなどの初歩的なことから説明しました。

セカンドステージは、木内鶴彦さんが臨死体験で見てきた世界と得た叡智をこの世界に生かして未来を創る組織です。

3度の臨死体験をされていることで有名な彗星捜索家の木内鶴彦さんですが、何よりも重要なのは1度目の臨死体験であり、それは完全に心肺停止となり、事実上の肉体としての「死」を体験してからこの世界へと帰還した体験であるからです。

これは「死亡体験」とも呼ばれています。

臨死体験は、まだ肉体としては完全に亡くなったわけではなく、死にかけている状態であり、これは決して多いとはいえませんが、少なからず経験する人もいる体験であります。

その時は意識はボーッとして、ベッドの上から自分の肉体を見ている幽体離脱であったり、もしくはお花畑の世界へ行って三途の川まで行き、そこで引き返して生き返るとか、そういったビジョンを見る人が多くいます。

これらは、人間の中に兼ね備えられた脳の機能であり、人体が危機に瀕すると、このシステムが自動的に働くようになって死を少しずつ受け入れるようになるのかもしれませんが、木内さんの体験したのは、死にかけた臨死体験ではなく、完全に肉体としては終わりを迎えた死亡体験であり、これは通常の臨死体験の“体験”とは、まったく違ったものになります。

人間最後の最後の瞬間は、幽体離脱で肉体から離れている状態でもなく、またお花畑で三途の川を渡って過ごすのでもなく、普段と変わらず肉体の中にいる状況であり、まさに「息をひきとる」という言葉があるように、呼吸をしていて最後に息を吸うと、次に吐くことができずに心臓も呼吸も停止してしまうようです。

ただ1つ、息が出来ないのに苦しくない。

それどころか、死にかけていた時は意識も朦朧、体もあちこちが苦しい状況ですが、それらが一気に解放されて心身ともに楽になっている状態であり、意識は死にかけている時よりもクリアですべての五感が研ぎ澄まされている感覚のようです。

「あれ?死んでないで生きている?」

そんな風に勘違いをしてしまうほど、死んだ時は生きている時とまったく変わらない意識状態が継続されるようですが、そこで寝ていたベッドから体を起こすと、まだベッドには自分の肉体が眠っている光景を目の当たりにします。

現実に生きている意識や感覚の中で、同じ世界にもう1人の自分がいる。

それはまるで双子を目の当たりにするような光景かもしれませんが、それほど肉体を離れた意識の状態というのは、生きている時と聞こえる音、景色の見え方、匂いなども何ら変わらないような状況のようです。

でも、もちろん周囲の人は自分のことは見えない。

まるで透明人間のような状態でもあり、自分自身の存在には誰も気づかないので、意識体、つまりは幽霊でいる方が思わず身をかわしてよける仕草をしないと、誰かとぶつかってしまう恐れがあると言います。

もちろん実際はぶつかってもすり抜けてしまうので、そんなことをしても無意味なのですが、幽霊初心者(?)はまだ自分がどんな状況であるのか整理がつかないため、普通に床の上を歩くし、肉体を持っている時の感覚でこの世界を過ごすようです。

ただ、頭の中で考えて誰か遠くにいる人のことを想うと瞬時にその人のもとへテレポーテーションして移動したり、また誰かの肉体に意識を合わせて入っていくと、その人の肉体、目線を借りて三次元世界に肉体を持った状態で過ごすことができたり、思ったよりも意識体はこの世界に大きな影響を与えることができるのも木内さんが体験した重要な発見であります。

そう考えると、亡くなった人たちがもたらす現実世界への影響力は計り知れないものがありますが、ただいつまでも亡くなった人たちが自由に意識体のままこの世界を堪能できるかといえば、決してそうではなく、早かれ遅かれ「お迎え」の時が来るのであり、それは五次元とも言われる膨大な意識群の中に個であるその人の意識は吸収される時が来ます。

木内さんもまた、最初は“きうちつるひこ”という個の意識でいたのが、この「お迎え」の時期が差し迫ってくるにつれて、自分自身が何者なのかの意識が薄れて、徐々に複数の意識の集合体であり、全知全能で自分がすべての存在であるという感覚となっていったそうです。

ただ、普通の人ならそのまま全体へと吸収されて再びリセットされて生まれ変わりをするのが、木内さんは「きうちつるひこ」という個でいることを強烈な意識でキープして留まり、それが“ひずみ”の磁場を生み出してバリアのように個の木内さんを守り、全体に吸収されずに意識体でこの世界を自由に回遊するチャンスを与えてくれました。

そして、自由の意識体となった木内鶴彦さんは、意識は空間だけでなく時間も飛び越えることを知り、まずは未来の世界に行き、そこで自分自身が本当に死んでいるのかを確かめに行きました。

木内さんはよく、亡くなった時は冷静になって数日後の自分を見に行くことが良いよとアドバイスをしますが、そこで自分の葬式が行われていたら死んだものと諦められますが、もしそこで葬式も行われておらず、病院のベッドなりに自分がいる未来であれば、これは臨死体験であり、再び肉体に戻って生きられる保証があるので、あとは自然に時が来るまで時空間を自由に旅をして楽しむことが良いといいます。

木内さんもまた、未来の自分を見に行ったら一命を取り留めて生きている状況であり、そこから安心して未来だけでなく、自分が知りたかった過去の歴史のこと、地球の誕生、宇宙の誕生などすべてを知る旅に出たのでした。

木内さんが最初の死亡体験で心肺停止で亡くなっていた時間は約30分ほどですが、その間に意識は時空間トラベルへと出ており、そこで意識が体験した時間は、計り知れないほど長い時間であったと思います。

そこで見てきた歴史の真実。

イエス・キリストとマグダラのマリアの本当の関係、双子だったイエス・キリストを使った復活のトリック、今の国内外の宗教界や国家の歴史を震撼させるような真実の世界をいくつも見てきたのですが、それはあくまでも個人の夢物語のような幻想とも捉えらえるものであり、何よりも木内さん自身が自分の体験が本当にあった出来事なのか、夢の出来事であったのか整理がつかなかったようです。

意識が時空間を超えて旅をする、それどころか当時を生きている人の肉体を借りて、ある程度自由に肉体をコントロールしてその時代の現実世界に介入できる。

こんなことが本当に出来るのであれば、これは事実上のタイムトラベルであり、ドラえもんの世界が現実で起こっているようなものです。

ところが生き返ってしばらくしてから、これが単なる夢物語でなく、自分自身がタイムスリップしていたことをはっきりと自覚する体験を木内さんはするのでした。

それが、四国のある神社を訪れた時。

まったく臨死体験のことなどを意識してその神社を訪れたのではなく、たまたまご縁でその神社を訪れることになったのが、神社について周囲の山々の景色(稜線)を見ていると何か不思議な感覚が生まれ、初めて訪れる神社でありながらも、ここを知っているような記憶が蘇ってきたそうです。

それは臨死体験中、この神社が火事で焼失した後に再建する時の宮大工の体に入った古代の記憶であり、そこで自分が臨死体験でこの場所を訪れていた証拠を残すため、本殿の柱に「つる」の文字を墨で書いておいたのでした。

「確かここに書いてあるはず・・・」

そう思って記憶を辿ってその場所にたどり着くと、確かにそこには「つる」の文字が書かれており、そこで木内さんは自分自身が時空間を超えて旅したことが夢物語ではなく、現実的に起こっていたことで、自分の意識が過去に飛んで人の肉体を借りたことも実際にあった出来事であることを確信したのでした。

そんな特異な経験を持つ木内鶴彦さんが見てきたのは過去だけでなく、未来の世界。

未来は限定された1つのシナリオだけでなく、いくつものシナリオが用意されており、どの未来へ進むかは今の自分たちの意識、創り出す現実次第によって瞬間瞬間に変化するものであります。

そういった意味においては、未来を変えるのは目的地を変えるのではなく、今この場にいる自分自身の意識を変えることが、結果的にたどり着く、進む未来も変えることになり、大切なのは過去でも未来でもなく、やはり今ココであります。

今この現実を生きる自分自身が変わること。

そのためのサポートとして、セカンドステージでは周波数の話、実際にこの世界に意識が生まれた時に聞いた周波数の音、そんなことを伝えて意識を修正するきっかけを伝えています。

次回は10月15日、川崎で特別講演会が開催される予定であり、これは午後の部と夕刻の部がありましたが、すでに午後の部は満席で夕刻の部も残り僅かとなっております。

是非ともご興味のある方は一度足をお運び頂けたら幸いです。


<坂上玲子×滝沢泰平 講演会>


10/15 川崎「サムハラ・ザ・ボディ」完全再現特別講演会

夕刻の部
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