この世による刷り込み | Sojourner's Journal

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‘人はみな草のようで、
その栄えは、みな草の花のようだ。
草はしおれ、
花は散る。
しかし、主のことばは、
とこしえに変わることがない。’
Ⅰペテロの手紙1:24&25

この世(を司る悪魔)によって、いろいろな噓・偽りに、我ながら騙され、刷り込まれてきたものだと思う。例えば・・

 

友達は多い方がいい、外交的・社交的な方がいい、偏差値が高い人は頭がいい、リーダーであるべき、人がたくさん集まる家は素晴らしい、痩せている方がカッコいい、英語やフランス語等が喋れるとカッコいい、白人はきれいでカッコいい、スポーツできる人はカッコいい、死は損失、ホワイトカラーはブルーカラーより上級、定期健康診断を受けるべき、自虐史観・・・等々、数え上げるときりがないくらいある。

 

最も大切な原点となる考えの基本を、この世ではなく神・真実に求めないと、このような騙しに簡単に刷り込まれてしまう。

 

では、神にある原点とは何か?それは、人はひとりひとりが神によってユニーク(唯一無二)に創造されているという点であると思う。この点を先ずしっかり押さえなければならない。・・・それは、上に挙げたような生き方や考え方だけのことではなく、肉体もそうであると思う。ひとりひとりの体も違っていて、十把ひとからげに考えてはならない。

 

その昔、中学2年生を受け持っていた時のこと、ひとりの男の子のある言葉を鮮明に覚えている。その子は、普段は目立つことのない静かな生徒だった。(ただ、とてもハンサムな子だった。(^_-))その子が(どういう弾みだったのか覚えていないが)ある時こうキッパリと言った。「先生、僕大きくなったらケーキ屋さんになりたいんだよ。僕ケーキを作るのが大好きなんだ!」・・今はきっとケーキ屋さんで生き生きと働いていると思う。

 

みんながリーダーでなくていい、みんなが数学で5を取らなくていい、みんなが走るのが速くなくていい、・・ただ、何をすることが好きか、どのような面に向いているか、それを捜しながら生きることができたらいいなと思う。自分の人生をどう生きたいかを模索する若い時に、様々のこの世の刷り込みや騙しに惑わされないでいたいものだと思う。そのために、自分の頭でしっかり考えるという姿勢を養っていかねばならない。私の経験からすると、それはとても困難だ。そこで頭に浮かぶのが以下の神のことばである。親や大人たちの、未成年たちに対する責任は非常に大きい。そもそも、大人たちがこの世に騙されているのだから。

 

「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」箴言22:6

 

この聖句は、「子どもにクリスチャン教育をせよー!」と「クリスチャンたち」は教えているようだが、果たしてそうだろうか?