今まで何気なく読み過ごしてきたローマ人への手紙5章3節~5節を考えてみた、それを書き留めておこうと思う。
「そればかりではなく、患難さえも喜ぼうではないか。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」ローマ人への手紙5:3~5
’And not only so, but we glory in tribulations also: knowing that tribulation worketh patience; and patienc, experience; and experience, hope; and hope maketh not a shamed; because the love of God is shed abroad in our hearts by the Holy Ghost which is given unto us." Romans5:3~5
和訳:①患難→②忍耐→③練られた品性→④希望
英訳:①tribulation→②patience→③experience→④hope
英訳での③の「experience」のギリシャ語原意は、「trustiness」となっている。つまり、「信用に値する人格」という意味である。それが、和訳では「練られた品性」となっている。絶妙な訳だと思った。
また、英語で「experience」と訳された語の意味であるが、「経験」いう意味の中に、「経験から得るもの」(知恵・知識・能力等々)というニュアンスを含むことがわかった。このニュアンスがわかると、和訳が「練られた品性」となることを掴むことができる。
要するにこの箇所の意味は以下のようだと思う。
患難、困難な時を通ることで、私たちには「忍耐」が与えられる。なぜならば、患難の時には、自分の思いどおりになることは全くなく、ただただ辛抱強く神の時を待つことを学ばされるからである。
その「忍耐」を与えられることを通して、更に様々の辛い経験を通して与えられた、決して軽薄ではない、人々に信用される、高潔で練られた品性・人格を与えられていく。
そして、これらの「忍耐」や「練られた品性」が、患難の時を通ることで神から与えられたということを知る時に、そこに「希望」を見出すことができる。なぜなら「希望」を見出すことができるのは、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が注がれていることを知るからである。・・・
人それぞれに様々の患難を通らされるわけであるが、どんなに辛い時にも、「神の名」を知ることで、つまり、神という存在がどのような存在であるかを知ることによって、いつも私たちの父なる神を賛美し続けることができる真の信徒になりたいと心から思った。
それにしても、この箇所を考える中で、神のことばの深さにはあらためて驚いた。