アディクション | Sojourner's Journal

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‘人はみな草のようで、
その栄えは、みな草の花のようだ。
草はしおれ、
花は散る。
しかし、主のことばは、
とこしえに変わることがない。’
Ⅰペテロの手紙1:24&25

大谷翔平選手の通訳だった水原一平のスキャンダルで、この世が大騒ぎしている。その騒ぎには乗りたくはないが、ひとりの神の信徒として思ったことを今日は書こうと思った。

 

アディクション(中毒・依存症)には様々の種類がある。主なものは様々の種類のドラッグだろう。コケイン、大麻、アヘンに加えて、医療に用いられる薬さえも中毒になり得る可能性があるらしい。

 

ドラッグに加えて、酒、タバコ、セックス、スマホ、ギャンブル、食べ物(特に甘い食べ物)・・等々の様々のアディクションがあると思う。いったんそこに陥ってしまうと、抜け出すのが容易ではない。

 

アディクションは病気のカテゴリーに入るらしいが、私は、全部ではないが、多くが悪霊の攻撃によるものと思われてならない。

 

悪霊=悪魔=サタンは、私たちひとりひとりの一番の弱点を知っている。その上、一番私たちが弱っている時に攻撃してくる。その目的はその人の命や人生を台無しにすることである。そして、この霊の攻撃は人の目には見えない。その見えない悪霊による激しい攻撃が存在することを知り、神や周りの人々に助けを求めることは非常に大切なことだと思う。重ねて書くが、悪霊の攻撃が存在することを先ず知ることが重要であると思う。

 

尋常の域を超え、何かに憑りつかれたようにそこに陥ってしまう場合は、それは悪霊による攻撃であると私は思っている。

 

一平さんのことは何も知らない。だからどうのこうのと言えないが、日本中がまた善悪二元論でどうのこうのと論評しているように思える。いつもそうだ。小室圭さんの時も同じ、ロシアによるウクライナ「侵攻」の時も同じ、ガザによるイスラエル「攻撃」の時も同じ、いつも一枚岩の善悪で論評しがちな私たち人間の罪の傾向である。どちらを善だ悪だと簡単に言えよう。

 

イエスさまのことば、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネの福音書8:7)は重い。誰も一平さんに石を投げることはできない。罪に大小はない。私も千円位の賭けならしたこともある。一平さんと同罪である。ただ違うのは、多分彼が悪霊に憑りつかれてしまったのではないかという点である。もしそうなら、彼は悪魔による犠牲者である。罪には結果が伴う。罪の結果を、彼は人生をかけて償っていかねばならない。どうか、良き仲間たちに恵まれますようにと祈らずにはいられない。

 

更にもうひとつ。一平さんには自らの弱さを知ってほしい。「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」(Ⅱコリント人への手紙12:9)と言われる主との出会いがありますように・・。(祈り)