元レーサーが身体を張って教え子の暴走を止めようとするが・・・「ヘアピン・サーカス」を観て | パンクフロイドのブログ

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シネマヴェーラ渋谷

大井武蔵野館になってみた より

 

朝一の上映が始まる前に、館内には大井武蔵野館の最終日の模様の映像が流れていました。大井武蔵野館が1980年代半ばに独特の企画でユニークな上映を行なっていたのは、一部のマニアの間では知られていました。今でこそ大井町の隣の大森にあるキネカ大森にまで時々足を延ばすこともありますが、都心から少し離れた地域にあることもあって、一度も足を運ばぬまま閉館になったのは悔やまれてなりません。その最終上映だったのが「ヘアピン・サーカス」でした。

 

 

製作:東京映画

監督:西村潔

脚本:永原秀一

原作:五木寛之

撮影:原一民

美術:樋口幸男

音楽:菊池雅章

出演:見崎清志 江夏夕子 笠井紀美子 戸部夕子 睦五郎 館信秀

1972年4月5日公開

 

ライバルの三沢がレース中に事故死したことによって、島尾俊也(見崎清志)はレース界から去りました。島尾は現在自動車教習所の指導員を務めてはいるものの、無気力な生活を送っています。

 

そんなある日、島尾は小森美樹(江夏夕子)と再会します。彼女は一年程前、島尾に運転を習いにきた娘でした。美樹は高速道路でカモを見つけてはスピードを競い、相手の車を挑発して事故に追いやる若者のグループの一員で、女王然と振る舞っていました。

 

美樹は驚異的な運転の才能がある一方、反抗的な態度は危うさも感じさせました。その美樹の車体には菊のマークが描かれていました。それは美樹が挑発し、ヘアピン・カーブで撃墜したカモの数を表していました。

 

島尾が無謀な運転は身を亡ぼすと忠告したにも関わらず、美樹の車に描かれたマークの数は増えていきます。島尾は美樹に危険な遊戯をやめさせなければならない使命に駆られ、身を持ってスピードの恐ろしさを教えるべく、夜の駐車場で待機するのですが・・・。

 

映画の冒頭、首都高を走る車載カメラの映像と菊池雅章による音楽によって、一気に映画に引き込まれます。さしたるドラマはなく、映像と音楽が渾然一体となって観客を惹きつける点においては、クロード・ルルーシュの「男と女」からラヴストーリーのみを抜いたかのような感じさえあります。

 

本作も「男と女」同様に、音楽が映画の附属という位置づけではなく、劇中で流れるジャズが映画になくてはならぬほどの存在感を放っています。サントラのCDがあったならば、このジャズを流しながら「リッジレーサー」をプレイしたい気分にさせられます。

 

映画は島尾の回想シーンを随所に挿み込みながら、彼がどんな過去を背負って現在に至っているのかが語られていきます。その島尾に想いを寄せるのが美樹。島尾に対しては片想いである一方、レーシングドライバーだった島尾の技術を越えたい気持ちがあり、相手を挑発しては公道でレースを挑む行動にも繋がっています。

 

そんな美樹に対し、島尾はライバルだったレーサーの事故死による影響から、現在は自動車教習所の指導教官に甘んじています。妻子との平穏な暮らしを続ける反面、時折レーサーとしての血も騒ぎます。そんな彼が、教え子の美樹と再会し、彼女たちが一般道で相手の車を煽り、無謀な走りをすることによって、事故を引き起こすのを見て見ぬ振りができなくなります。その結果、美樹たちに勝負を挑んで、暴挙を諫めさせようとするのが大まかな話の流れです。

 

首都高で次々と車を追い越していく際の爽快感は勿論の事、夜の公道でのレース場面は、きちんと撮影許可を取っているのか心配になるほどスリルに満ちています。昔はこんな無茶な撮影もできていたのかと思うと隔世の感がありますね。

 

配役に関してはかなり地味。主役の見崎清志は本職のレーシングドライバーであり、相手役の江夏夕子も映画への出演は少なく、専らテレビドラマに力を入れていた模様。少しばかり調べたら、目黒祐樹と結婚していたのですね。脇役陣はレーシングチームの監督の睦五郎、教習所の生徒役の富田仲次郎と田坂都くらいしか知りませんでした。ただ個人的には、歌手の笠井紀美子が事故死したレーサーの恋人を演じていたのが、ちょっとした驚きでした。

 

島尾の回想シーンに出てくるレースは、公道を使用していたことと観衆が東洋人だったことからマカオでしょうか?様々なカテゴリーの車が参加していて、葉巻型のフォーミュラーカーが懐かしかったです。作品自体はクールな描写に徹しながら、レース場面では観客を熱くさせていました。この対比も本作の魅力のひとつだったように思います。