隠居した遊び人が焼けぼっくいに火がついて家族を再び振り回す「小早川家の秋」を観て | パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:宝塚映画

配給:東宝

監督:小津安二郎

脚本:野田高悟 小津安二郎

撮影:中井朝一

美術:下河原友雄

音楽:黛敏郎

出演:中村鴈治郎 原節子 司葉子 新珠三千代 小林桂樹 浪花千栄子 森繁久彌

1961年10月29日公開

 

秋子(原節子)は小早川家の長男に嫁ぎましたが、夫に死なれてからは息子を育てながら御堂筋の画廊に勤めています。代々、造り酒屋で手広く商売をしてきた小早川家は、万兵衛(中村鴈治郎)が隠居し、現在は娘の文子(新珠三千代)のつれあいである久夫(小林桂樹)に仕事を継がせ、悠々自適の暮し。それでも、末娘の紀子(司葉子)と秋子を片づけさせるのに頭を悩ませていました。

 

そんな中で、文子夫婦、店の番頭信吉(山茶花究)、六太郎(藤木悠)は、万兵衛の最近の行動に不審を抱いていました。或る日、六太郎は信吉に命じられ、掛取りを口実に万兵衛の後をつけます。

 

すると万兵衛は、旅館「佐々木」に入っていきます。万兵衛は若い頃から女道楽にうつつを抜かしており、昔の女のつね(浪花千栄子)と再会したことから焼け棒杭に火がついて、佐々木に通っていたのでした。つねは百合子(団令子)と二人暮しで、百合子は万兵衛をお父ちゃんと呼んでいる一方、万兵衛を実の父親か疑っていました。

 

その頃、秋子には万兵衛の義弟に当る弥之助(加東大介)の世話で、磯村(森繁久彌)との縁談話が進んでいました。磯村は乗り気でありますが、秋子の気持は踏ん切りがつかない状態。一方、紀子も見合いをしたものの、決心できずにいました。紀子は、札幌に転勤した大学助教授寺本(宝田明)に秘かな愛情を寄せていたからでした。

 

万兵衛の亡妻の法事の日、小早川家は嵐山で一晩楽しく過ごしました。ところがその夜、万兵衛の容態が急変し、一時は親族を呼ぶ騒ぎになります。それでも翌朝になると、万兵衛は、ケロリとして皆を安心させます。万兵衛は性懲りもなく、つねと一緒に競輪を楽しみ、その晩佐々木家で過ごします。ところが、再び心臓の発作を起してしまいます・・・。

 

映画の冒頭で、弥之助が磯村と秋子を引き合わせる場面から始まったため、秋子の再婚話で話が進んでいくのかと思っていました。しかし実際には、万兵衛がつねと焼け棒杭に火のついたことから、周囲が振り回される話が軸となって展開されます。

 

万兵衛は家族に内緒で、過去に関係のあった女と密会する訳ですが、家族もそのことは薄々お見通しで、確信を得るために従業員の一人を尾行させます。万兵衛も茶目っ気があり、尾行してきた従業員を茶房に誘う余裕を見せます。そんな父親の奔放な行動に対し、娘の文子がネチネチと嫌味を言っては責め、入り婿の久夫を慌てさせます。文子役の新珠三千代は、脇役で輝いた作品が何本もあり、この映画もその1本に加えたいほど、万兵衛役の中村鴈治郎との遣り取りが楽しいです。

 

その一方で万兵衛も文子も、紀子と未亡人の秋子の良縁には気を揉んでいます。昭和30年代半ばの日本は見合い結婚も多く、紀子と秋子には縁談が次々と持ち込まれます。当時の女性は現在と比べものにならないほど、結婚への圧力が強かったです。その反面、この映画のように最後は本人の意志を尊重するのが一般的だったように感じられます。選択の自由がありながら、なかなか結婚できなく少子化に悩む現在と、どちらがいいのか判断がつきかねますね。

 

それはともかく、この映画は役者の使い方が何とも贅沢。しかも旬の若い役者がメインではなく、ヴェテラン俳優のオールスター映画になっている点がミソと言えます。主役の中村鴈治郎の外連味たっぷりの芝居は勿論、浪花千栄子の関西弁は、大阪と京都を舞台にしたこの映画では水を得た魚の如く嵌っています。短い出番ながらも、杉村春子が憎まれ口を叩きつつ、涙を見せて場を攫う辺りは流石名女優と言えます。

 

また、森繁久彌、加東大介、小林桂樹が一緒に出演していると、社長シリーズのような空気が感じられ、医師役の内田朝雄や親族の一人に遠藤辰雄が居ると、悪役で鳴らす二人と小津映画の組合せに不思議な雰囲気がもたらされます。笠智衆や望月優子クラスでも、刺身のつまのような扱いなのが、逆に勿体なくも感じられます。

 

時折映し出される街並みや日常風景は、当時の一般庶民の暮らしぶりが偲ばれ、しばしの幸福感をもたらします。勿論、昭和30年代半ばにも様々な社会問題はありましたが、真っ当に働き、真っ当に暮らしていれば、それに見合う生活が保証されていました。そんな日本の古き良き時代を映し出す映画だからこそ、グローバリズム、ポリコレ、LGBT等がまかり通る現在の息苦しさと比較し、そんなこととは無縁だった時代を余計に懐かしく感じられ、多幸感を味わえたのかもしれません。