西部劇+任侠映画?「荒野の渡世人」を観て | パンクフロイドのブログ

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ラピュタ阿佐ヶ谷

OIZUMI 東映現代劇の潮流 2024 より

 

製作:東映

監督:佐藤純彌

脚本:石松愛弘

撮影:星島一郎

美術:江野慎一

音楽:八木正生

出演:高倉健 ジュディス・ロバーツ ケネス・グッドレット

        ケブン・クーニィー ロン・リー クライブ・サクソン 志村喬

1968年6月15日公開

 

侍の血が流れている父親(志村喬)を持つ混血青年のケン・カトウ(高倉健)は、ならず者5人に両親を殺されます。彼は復讐を誓って、5人の無法者を追う旅に出ます。その途中、ケンは両親を殺した一味のうちの二人と遭遇します。ケンは素早く銃を抜こうとしますが、それを阻止したのは老ガンマンのマーヴィンでした。

 

彼はケンの腕では勝目がないと判断し、両者の間に入ったのでした。ケンはマーヴィンに反発を覚えたものの、いつしかマーヴィンの冷静な判断力とガンさばきに惹かれ、彼から様々なガン・テクニックを学びます。

 

やがて、ケンはひなびた田舎町で一味の一人ビリーを探しあてます。ところが、ビリーはマーヴィンが長年探し求めていた息子でした。マーヴィンは我が子を庇おうとしますが、卑怯な手でケンを撃ち殺そうとした息子を自らの手で始末します。

 

その後、ケンはケンの父親に腕を斬られた牧場主のフランコを探し当てます。二人は町の酒場で果し合いをすることに決めますが、フランコは妻ローザの説得を蹴り、秘かに仲間を集めて酒場に潜り込ませ、ケンを亡き者にしようとします。一方マーヴィンは正面から対決しようとするケンを案じ、自ら盾となって彼を護ろうとします。

 

そして激しい銃撃戦の末に、ケンは敵を倒したものの、マーヴィンを失ってしまいます。ケンはフランコの卑劣な遣り方に憤り、彼の牧場に戻ります。そして、フランコの息子マイクの前で父親を撃ち殺します。マイクは怒りのあまり、ケンを撃ちます。弾丸を肩に受けたケンは、ローザの応急手当を受けた後、町の保安官に引き渡されます。

 

ところが、ケンの父親を殺した一味にはまだカースンが残っていました。カースンはこの町の有力者で、保安官ともツーカーの仲でした。彼は牢屋に入れられたケンを、裁判を経ずに始末しようとするのですが・・・。

 

題名だけで一目瞭然のように、西部劇と任侠映画を合体させたような内容になっています。珍品の部類に入りますが、当時流行っていたマカロニウェスタンほどドぎつくはありません。

 

映画の冒頭で登場人物たちが英語を字幕なしで喋っていて、この先どうなるやらと思っていたら、本編が始まった途端に外国人俳優が日本語の吹替えで喋っていて一安心しました(笑)。ただし、冒頭に少しだけ出ている志村喬を除けば、高倉健以外は外国人ばかりの状態で、健さんはかなりアウェイ感があったように思われます。それでも、健さんの台詞は任侠映画で用いるやくざ言葉が多くて、妙なミスマッチ感があり、これはこれで十分楽しめました。

 

舞台が外国にも関わらず、任侠映画の要素が散りばめられている点は他にもあって、単身敵地に殴り込みをかけに行ったり、ラスボスとの対決では最後に刀で決着をつけたりと、任侠映画の王道を貫いています。また、主人公が日本人と外国人の混血児という設定のせいか、良くも悪くも日本人の心情が如実に表れています。父親を悪党と信じたくない少年を慮っての沈黙、危機管理意識の薄さからくる無防備な行動等、日本人ならば同胞として理解できる面も、外国人からすると理解に苦しむ場面も散見されるかもしれません。

 

物語がテンポ良く進むため、観ているこちらも話にノッていけます。また、ケンとマーヴィンの交流から生まれる、師匠と弟子、疑似親子の関係も胸に沁みます。ただし、父親を殺されたマイクがケンと和解するまでに、かなり尺を使ったため、後半は間延びした感が否めませんでした。「シェーン」を思わせるラストシーンも、スベッた感じがしました。

 

ただ、健さんのフィルモグラフィを見ていくと、後の出演映画の下地となった作品として、それなりに重要だったようにも思えてきます。外国人俳優との共演で言えば「ザ・ヤクザ」「ブラックレイン」、「シェーン」を思わせる物語で言えば山田洋次の「遥かなる山の呼び声」と言った具合に、この映画を糧にして更なる飛躍を遂げたのではないでしょうか。