魔術によって変貌を遂げていく女たち 東野圭吾「ブラック・ショーマンと覚醒する女たち」を読んで | パンクフロイドのブログ

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私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

 

本書はバーのマスターとマジシャンを兼任する食えない男・神尾武史の策士ぶりにニヤニヤさせられる連作短編集です。

 

トラップハンド

陣内美菜は清川に誘われ、「トラップハンド」という隠れ家的な店に連れて行かれます。美菜は清川の注文したブルーハワイが出される前に、彼の所有する別荘を根掘り葉掘り聞き出そうとします。清川はブルーハワイに関する蘊蓄を披露しつつ、別荘に関して語り出します。ところが、彼はブルーハワイを飲んでから暫くして眠気を催し、バーのマスターの神尾武史にトイレまで連れて行かれます。トイレから戻った武史は、美菜に婚活を確かめた上で、結婚相手の査定は厳正にやらなくてはと謎かけをします。果たして、武史の真意とは?

 

リノベの女

文光不動産リフォーム部に所属する神尾真世は、上松和美から2LDKの部屋を1LDKにリノベーションして欲しいと依頼を受けます。和美は40歳前後の美人の部類に入る独身女性で、彼女がどんな部屋を望んでいるか、具体的にイメージするため、真世は和美の所有するもうひとつの古い一軒家を内見させていただけないかと打診します。ところが、和美は無碍なく断ったばかりか、他社に頼むことを仄めかします。真世は再度和美との打ち合わせ場所に、叔父の経営する「トラップハンド」を選び、プランを詰めようとします。そこで、思いがけず武史が和美の亡き夫と知り合いであることが分り、和美から彼女の実兄である竹内祐作とのトラブルの話し合いの場に、この店を使わせて欲しいとお願いされるのですが・・・。

 

マボロシの女

火野柚希は妻子持ちの高藤智也と付き合っており、今夜もジャズクラブのライヴが終わった後に、「トラップハンド」で落ち合う約束をしていました。ところが、智也が事故に遭い、柚希と武史が向かった病院で息を引き取ります。それからの柚希は抜け殻のような状態になり、親友の山本弥生は彼女を心配します。そんな折、柚希は弥生を誘って「トラップハンド」に連れて行き、智也が死亡した夜に飲んだシンガポール・スリングを口にすることで彼を偲ぼうとします。智也の死から立ち直れない柚希は、武史から智也が横須賀のライヴハウスで演奏した話を聞いたことをきっかけに、彼に所縁のある土地を次々に訪れます。すると、彼女の知らなかった事実が出てきます。挙句の果てに、智也と若い女性が一緒に写る写真を見せられ、どうしても彼女の正体を確かめずにいられなくなるのですが・・・。

 

相続人を宿す女

真世は年老いた富永夫妻から、突然リフォームの計画を一旦保留したいと申し出があり困惑します。彼女が秘かに老妻の朝子から事情を訊くと、息子の遥人と離婚した諸月沙智が、遺産の主張をしてきたと言います。遥人は8ヶ月前に沙智と離婚したばかりか、5ヶ月前に急死していました。ところが、沙智のお腹には子供が宿っており、その子は遥人の遺産を継ぐ権利がありました。沙智のお腹の子供の父親が遥人でないと証明するには、老夫妻が裁判を起こし、DNA鑑定などをする必要があり、その間にリフォームを計画していたマンションを含む全遺産を売却されたら、手の打ちようがありません。真世は叔父の武史に相談し、武史は朝子から手付金を受け取った上で、沙智の身辺調査に取り掛かるのですが・・・。

 

続 リノベの女

介護施設に勤める石崎直孝は、入居者の末永久子から、東京に在住する彼女の知合いの山村洋子に話を聞きに行くことを頼まれます。久子の娘の奈々恵は亡くなっていましたが、洋子から届いた手紙には街で見かけたと書かれていたからです。奈々恵の死は自殺であったため、洋子には娘が亡くなったことを伏せており、石崎は奈々恵が亡くなったことを洋子に悟られないようにしながら、奈々恵が生きていることを確かめに行く羽目になります。その一方で、久子の口座の残高は危機的状況にあり、このままでは施設から退去してもらう状態にありました。石崎は洋子から奈々恵と思われる女性が入って行った店を教えられます。そして「トラップハンド」を訪れ、武史に聞き込み調査を行うのですが・・・。

 

査定する女

真世は裕福な40歳前後の栗塚正章から部屋のリフォームを依頼され、カタログにないソファを見るため、栗塚と共にショールームを訪れます。お目当てのソファは見つかりませんでしたが、真世はその店で働く陣内美菜と遭遇します。美菜は「トラップハンド」の常連客で、二人は顔見知りでした。また、美菜はたびたび店に男を連れてきては、マスターの武史に結婚相手に相応しい男か品定めを頼んでいました。真世と美菜は仕事を終えてから「トラップハンド」で落ち合い、真世は美菜に栗塚が彼女に気があることを伝えます。丁度、店にはベレー帽のおやじが居て、美菜は何故か彼が気になる様子でした。その後、美菜は栗塚と食事をした後、彼を「トラップハンド」に連れて行きます。美菜が今まで連れてきた男には厳しかった武も、栗塚に対しては太鼓判を押します。後日、美菜は栗塚と観劇した後、一人で「トラップハンド」を訪れますが、そこで人生を左右する思わぬ事態に見舞われます・・・。

 

ここからは感想です。

 

1話目の「トラップハンド」は落語で言うところの枕の部分にあたり、軽めのオチになっています。ただし、この話に登場する結婚相手を査定する女・陣内美菜は最終話にも再び現れ、一話目とは異なる印象を抱かせます。

 

「リノベの女」は未亡人が以前に住んでいた一軒家を、真世に立ち入らせないことから、読者にも不信感を与えます。更に実兄と夫の遺産相続で揉めた上に、兄から本物の妹かどうか疑惑をかけられます。したがって遺産相続の有無以上に、彼女が本物の上松和美かどうかに焦点が当てられます。兄の竹内の下衆っぷりにうんざりさせられる一方で、武史が彼を撃退させるために仕掛けた“罠”は実に痛快でした。

 

「マボロシの女」は道尾秀介の「カラスの親指」にも通じる仕掛けが用意されています。また、冗談では済まされないかなり大掛かりなものとしては、デヴィッド・フィンチャーの「ゲーム」のような映画もありました。こう書くとネタバレになってしまいそうですが(笑)、特に珍しいオチという訳ではありません。ただし、本来柚希とは敵対関係にある筈の人物が、仕掛けに協力してくれた点は心に響くものがあります。

 

「相続人を宿す女」は6編の中で一番トリッキーと言えるかもしれません。お腹の子を盾に亡き夫の遺産を乗っ取ろうとするのではないかと読者に疑いを抱かせつつ、その野望を武史がどのように打ち砕くのかと思って読んでいると、思わぬところに着地するのが意表を突きます。トラブル?が一段落した後、武史は真世にル・キャドゥー・アーンジェを飲ませた上で「先入観は舌の力を奪う」と諭します。正にその言葉を証明するかのような一篇でした。

 

「続 リノベの女」は、武史が「リノベの女」で竹内とのトラブルを回避させることに成功したが、別の方向から違う矢が飛んできて、再び事態を収拾せねばならなくなります。「リノベの女」の上松和美と続編に登場する末永奈々恵の関係を語るとネタバレになるので、そこには触れないでおきますが、末永久子の口座残高の件まで一挙に解決してしまう手際の良さは、お見事と言う他ありません。

 

「査定する女」は1話目の「トラップハンド」を踏まえた上で、陣内美菜の隠された一面を覗かせる一篇となっています。結婚願望の強かった美菜が意識を変え、新たな人生を歩もうとする展開もなかなか読ませますが、二重三重の仕掛けを用意してもうひとひねりしてくるところが、東野圭吾の面目躍如と言えます。そして、美菜や真世のみならず、我々読者も武史の掌で転がされていたことに気づかせられます。

 

昨年刊行された加賀恭一郎シリーズの「あなたが誰かを殺した」では、往年のアガサ・クリスティばりの外連味たっぷりのトリックで大向こうを唸らせました。それに比べると、本書は軽みのある短編集で、タイトル通りマジシャンの魔法によって、女たちが現状に留まらず次々と覚醒していく内容になっています。いずれの短編も意外性のある展開で、十分読者を楽しませてくれます。著者がミステリー作家として、当分の間第一線で活躍し続けることを証明する作品でした。