戦争で運命に翻弄された人々の子供の世代がやがて一堂に会する「愛と哀しみのボレロ」を観て | パンクフロイドのブログ

パンクフロイドのブログ

私たちは何度でも立ち上がってきた。
ともに苦難を乗り越えよう!

こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:フランス

監督・脚本:クロード・ルルーシュ

撮影:ジャン・ボフティ

美術:ジャン・ルイ・ポヴェーダ

音楽:フランシス・レイ ミシェル・ルグラン

出演:ロベール・オッセン ジョルジュ・ドン ダニエル・オルブリフスキー

1981年10月16日公開

 

ロシアのバレリーナ、タチアナ(リタ・ポールブールド)はオーディションで1位を逃しますが、選考委員のボリス(ジョルジュ・ドン)に声を掛けられ、後に彼と結婚して男子を産みます。パリのキャバレーでは、バンドのヴァイオリニストを務めていたアンヌ(ニコール・ガルシア)が、ピアニストのシモン(ロベール・オッセン)と付き合った末に結婚します。

 

ドイツ人のピアニストのカール(ダニエル・オルブリフスキー)は、ヒトラーの前でピアノを演奏して称賛を受け、妊婦の妻マグダ(マーシャ・メリル)にそのことを報告します。また、アメリカ人のグレン(ジェームズ・カーン)は、自らの楽団を率いた公演をラジオ放送する最中に、第二子を出産した妻スーザン(ジェラルディン・チャップリン)に喜びのメッセージを伝えます。ところがその公演中に、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告を行なったニュースが届けられ、やがて第二次世界大戦へと発展していきます。

 

その戦争中にタチアナの夫は戦場で死亡し、フランス国籍のアンヌとその夫はユダヤ人であることから強制収容所送りになります。夫妻は途中の列車で息子を線路に置き去りにした後、離れ離れに収容された末に、夫シモンはガス室送りとなります。赤ん坊は通りすがりの男に拾われ、教会に預けられた末にダヴィッドと名付けられました。ドイツ軍の軍楽隊長としてフランスに滞在したカールはフランス人のエブリーヌ(エヴリーヌ・ブイックス)と出会い、彼女が妊娠します。その頃、グレンは戦場に赴き慰問団として音楽活動を行なっていました。

 

終戦後、タチアナは再婚してバレエ教室を営みながら、息子にバレエ教育を施していました。フランスで捕虜となっていたカールはドイツに送還されますが、ベルリンは空爆され息子は死亡していました。グレンは開放されたパリの広場で音楽を演奏し、のちにアメリカに凱旋して仲間と家族に暖かく迎えられます。その反面、広場で踊りに興じる人々の中にいたエブリーヌは「ドイツ人と寝た女」として迫害され、傷心のまま帰郷します。アンヌは強制収容所から生還し、やがて昔のキャバレーの仲間と出会い、生活のために音楽活動を再開します。その傍ら赤ん坊を降ろした駅の周辺で聞き込みを行い、息子の行方を探すのでした。

 

1960年代になると、次第に戦争を経験した世代から次世代に引き継がれていきました。タチアナの息子・セルゲイ(ジョルジュ・ドン:二役)はボリショイ・バレエ団の花形スターに成長しますが、パリ・オペラ座での公演の際に西側に亡命します。グレンの妻のスーザンは交通事故死したものの、その娘のサラ(ジェラルディン・チャップリン:二役)に音楽の才能は受け継がれ、兄のジェイソン(ジェームズ・カーン:二役)がマネージャーとして妹を支えます。

 

カールはピアニストから指揮者に転向し名声を得ますが、アメリカでの公演の際に彼がヒトラーと握手していた写真が出回ったことから、ユダヤ人がチケットを買い占め、観客が音楽評論家の2名だけの公演をする屈辱を受けます。一方、エブリーヌは故郷で死亡し、その娘・エディット(エヴリーヌ・ブイックス:二役)は、パリに出てきます。彼女は婚約者の裏切りに遭いながら、アナウンサーとしての仕事に就いていきます。

 

アンヌの息子ダヴィット(ロベール・オッセン:二役)は、親を知らぬまま成長し、アルジェリア戦争に出兵した後、作家活動によって自らの半生を出版していました。やがて、その本の表紙の著者の顔を見たアンヌの音楽仲間が、ダヴィットの元を訪れる。ダヴィッドは長年息子を探し続けていたアンヌが認知症を患って精神病院に入院していることを知ると、母親に会いに行こうとするのですが・・・。

 

本作は第二次世界大戦中の4ヵ国の人々に起きた出来事が、終戦後にも思わぬ形で波紋を呼び、巡り巡って80年代のチャリティーショーに当事者及びその子孫が一堂に会する構成になっています。登場人物の中には、ヘルベルト・フォン・カラヤン、グレン・ミラー、ルドルフ・ヌルエフ、エディット・ピアフをモデルにしたと思しき人物も含まれています。更に、複数の俳優が一人二役を演じているのも異色と言えます。

 

これだけでも、えらく興味がそそられるのですが、果たして全て巧く機能しているかと問われると口を濁したくなります。ドラマに関して言えば、アメリカとソ連のパートが些か弱いです。ユダヤ人夫婦が収容所に送られる前に赤ん坊を線路に置いたり、高名なドイツ人指揮者が過去をほじくり返された末に嫌がらせを受けたり、フランスとドイツのパートが印象に残るエピソードがあるのに比べると、特にアメリカ側は切実さに欠けるエピソードが続きます。

 

また、複数の俳優が一人二役を演じる件にしても、後のウォシャウスキー姉弟の「クラウド・アトラス」にも影響を及ぼしたかのような先見性はあったとしても、二役を演じる俳優があまりメイクを変えていないため、観る者からすると却って混乱を招いています。既に亡くなった人物の後に登場するならばまだしも、ジェームズ・カーンのように同時代に生きている人物だと、父親なのか、息子なのか、見分けがつかなくなります。「クラウド・アトラス」のようにメイクによって顔を分からなくさせて、後で種明かしをすれば洒落た作りと思えますが、本作の場合は趣向を凝らした割には、劇的な効果が表れてはいません。

 

最後も異なる国の無関係な人々が、運命の糸に手繰り寄せられたように集まる展開は、本来もっと盛り上がる筈なのに、ユニセフと赤十字主催のチャリティーショーと知らされると、ひょっとして宣伝?とやや冷めた気持ちで(寧ろ鼻白む)観てしまいます。

 

クロード・ルルーシュが監督し、モーリス・ジャールが振付け、フランシス・レイとミシェル・ルグランが音楽を手掛けるなど、この映画は大河ドラマに相応しい格調高い映画になっています。その一方で、前述したような不満点があるのが実に惜しまれる作品でもあり、絶賛とまでは行きませんでした。更に付け加えると、お気に入りのファニー・アルダンが、この頃はまだ刺身のつまのような扱われ方をされていたことにも吃驚しました。