若い修行僧が仏の道を踏み外したのは・・・「雁の寺」を観て | パンクフロイドのブログ

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せっかく若尾さんのアンコール上映が組まれたと言うのに、同じ時期にシネマヴェーラ渋谷で新東宝の特集と秋吉久美子の特集が重なったために、シネマヴェーラのほうを優先してしまい、結局観る事ができたのは、この作品のみに留まりました。でも、角川シネマは大映作品に関連した特集をすることが多いので、若尾さんの出演した未見作品もいずれ観られるでしょう。

 

角川シネマ 有楽町

若尾文子 映画祭 より

 

製作:大映

監督:川島雄三

脚本:舟橋和郎 川島雄

原作:水上勉

撮影:村井博

美術:西岡善信

音楽:池野成

出演:若尾文子 三島雅夫 木村功 高見国一 中村鴈治郎

1962年1月21日公開

 

衣笠山の麓にある灯全寺派の孤峯庵は、岸本南嶽(中村鴈治郎)の雁の襖絵で名高く、雁の寺とも呼ばれていました。桐原里子(若尾文子)は南嶽の妾でしたが、彼の死後、孤峯庵の住職慈海(三島雅夫)に引き取られ世話を受ける身となります。

 

孤峯庵では小坊主の慈念(高見国一)が寺の下働きを全て仕切っていました。彼は若狭の貧しい寺大工の子として育ち、口減らしのためこの寺に預けられ、宗門の中学校へ通っています。しかし、慈海は常に慈念に厳しくあたり、同じく貧しい家庭に生れた里子は、住職に虐げられている慈念を不憫に思います。

 

やがて、慈念は軍事教練を嫌い、無断欠席をする日が多くなります。担任の宇田竺道(木村功)からそのことを聞いた慈海は激怒します。里子は慈念を庇いますが、慈海は容赦しませんでした。その後、里子は若狭西安寺の住職木田黙堂(西村晃)から慈念の生い立ちを聞き、慰めようと彼の部屋に忍び入り深い関係を持ちます。

 

ある日、夜更けに酩酊して帰った慈海は、何者かに襲われます。その夜明け、壇家の平吉(伊達三郎)が兄の葬式を頼みに狐峯庵を訪れます。里子は慈海が不在のため、同じ宗派の源光寺に慈念を使いにやらせますが、源光寺では慈海は昨晩帰ったと言います。

 

慈海の行方は分からないまま、源光寺の雪州(山茶花究)は慈念の宰配で葬儀を行います。慈念は里子に和尚は雲水に出たらしいと告げ、彼女は自分に何も知らせず旅立ったことを不審に思います。やがて出棺が行なわれ、担いだ人々は棺桶が異常に重たいことを不思議がりますが、滞りなく葬式は終わります。

 

慈海の失踪を知った本山では、一時的に宗門の中学教師の宇田を孤峯庵に入れることに決めます。里子は慈海のいない寺にいることはできず、身の回りを整理して寺を出ようとしていました。その際彼女は、南嶽の描いた子雁に餌を与える母雁の襖絵が、無残にも剥ぎとられているのを見つけ、慈海の失踪が何だったのかを一瞬にして悟ります・・・。

 

一応、若尾文子主演の映画でありますが、愛憎ドラマの観点から、里子より慈念のほうに目が向いてしまうのは致し方ありません。慈念は貧しい寺大工の家の出で、口減らしのため慈海の寺で僧としての修業を積んでいます。しかし、元々彼は捨て子であったのを寺大工の親に拾われた経緯があります。

 

慈念が自分の出自を必死に隠すのは、里子への接し方とも微妙に繋がってきます。慈念は自分が捨てられたことにより、実の母親を恨むと同時に、顔を見たこともない母親に思慕の念を強く抱いてもいます。

 

里子は日頃住職に虐げられている慈念を何かと庇い優しく接しています。慈念にとって彼女は謂わば聖母のような存在。しかし同時に、里子は慈海の妾であるという現実が目の前にあります。慈念にしてみれば娼婦の母親に抱く感情に近いものがあります。

 

おまけに、色香のある里子は少年にとっては性の対象ともなり得ます。近くの部屋で若尾文子が三島雅夫とよろしくヤッていたら、そりゃ悶々としますわな。しかも、彼女のほうからお誘いが来る状況になったら、断ることはほぼ不可能。聖母のような里子と深い関係を持ったことにより、慈念には近親相姦をしたような罪悪感が残り、仏に仕える身としての葛藤も生じます。

 

里子の誘惑は、単に慈念の身を気の毒に思い衝動的に発した行為なのか、それとも何か下心があっての行動なのか、その真意は掴めません。彼女は常に男に対して受け身の姿勢を取っているので、すれからしの男にとっては実に都合の良い可愛い女です。でも、慈念に対しては積極的な行動に出ています。おそらく、慈念に纏わる出自の秘密が彼女に火をつけたと思われます。

 

それに対して慈念が罪の引き金を引くきっかけになったのは、里子との肉の交わりが大きいです。慈海に対する積もり積もった鬱憤が前提にあるのは勿論ですが、やはり里子の聖母としての幻想が崩れた点は、慈念にかなりの打撃を与えたと思えます。里子が慈念に情をかけた末での行為とは言え、彼女も罪深いことをします。

 

一般的に“完全犯罪”は、自分が犯人であることが分からぬよう工作するのですが、慈念の場合は犯行が明らかになっても構わない節が見受けられます。南嶽の描いた雁の親子の襖絵を剥ぎ取ったのは、里子へ向けたメッセージでもあります。慈念は達観した心境になっていて、それは深い絶望の裏返しとも思えます。

 

若い修行僧のドラマに引っ張られたおかげで、若尾文子の色がだいぶ薄められた感はあるものの、彼女の愛らしさは十分味わえます。慈念を演じた高見国一は目力が強いのが印象的で、台詞を極力少なくしたことが功を奏したこともあって、自身の出自と里子への想いに苦しめられる様が直に伝わってきます。三島雅夫は表と裏の顔を使い分ける役を得意としており、ここでも一見人当たりが良さそうで、裏では慈念を邪険に扱う坊主を巧みに演じ分けていました。