終始針の筵に座らされているような映画 「82年生まれ、キム・ジヨン」を観て | パンクフロイドのブログ

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82年生まれ、キム・ジヨン 公式サイト

 

公式サイトより

結婚・出産を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨン。常に誰かの母であり妻である彼女は、時に閉じ込められているような感覚に陥ることがあった。そんな彼女を夫のデヒョンは心配するが、本人は「ちょっと疲れているだけ」と深刻には受け止めない。しかしデヒョンの悩みは深刻だった。妻は、最近まるで他人が乗り移ったような言動をとるのだ。ある日は夫の実家で自身の母親になり文句を言う。「正月くらいジヨンを私の元に帰してくださいよ」。ある日はすでに亡くなっている夫と共通の友人になり、夫にアドバイスをする。「体が楽になっても気持ちが焦る時期よ。お疲れ様って言ってあげて」。ある日は祖母になり母親に語りかける。「ジヨンは大丈夫。お前が強い娘に育てただろう」――その時の記憶はすっぽりと抜け落ちている妻に、デヒョンは傷つけるのが怖くて真実を告げられず、ひとり精神科医に相談に行くが・・・。

 

製作:韓国

監督:キム・ドヨン

脚本:ユ・ヨンア

原作:チョ・ナムジュ

撮影:イ・ソンジェ

美術:イ・ナキム

音楽:キム・テソン

出演:チョン・ユミ コン・ユ キム・ミギョン コン・ミンジョン キム・ソンチョル イ・オル イ・ボンリョン

2020年10月9日公開

 

日本は韓国ほどあからさまな男尊女卑の風潮はないにせよ、子を持つ母親にしろ、独身女性にしろ、生きづらい社会構造になっているのではないか、そんな疑問を投げかける他人事とは思えない映画でした。

 

また、監督のキム・ドヨンがジヨンに対して不躾な振る舞いをしてくる人々を、微に入り細に入り観客に嫌悪を持たせるような描写をして、それっていいんですか?と針を刺すようにチクチクと指摘してくるので、こちらも実生活で似たようなことをしてないかと我が身を振り返りたくなります。特に男は針の筵に座らされるような気持で鑑賞するのではないでしょうか。その意味では、本作は女性への支援を促す啓蒙的な役割を果たしていると言えましょう。

 

ジヨンの夫テヒョンは一般的な夫に比べると、家事や育児に協力的で、善き夫、善きパパです。でも、そんな彼ですら無意識に妻をイラッとさせる言動をしてしまうのですから、女性への無理解の根は相当深いと見なければなりません。特に韓国や中国では、同じ子供でも娘より息子が大事にされる傾向が強く、真摯で誠実なテヒョンでも男優先の社会の影響を強く受けていると思わせます。

 

一番の問題は、女性が傷つく言葉を何の意識もせずに使う無神経さにあるのかもしれませんね。ジヨンが独身時代に会社の会議において、理事と呼ばれる男が女性に対して次々と失礼な発言を連発し、女性社員から秘かに顰蹙を買う場面があります。女性チーム長は角が立たないように彼を窘め、その場は丸く収まるのですが、如何にもオヤジがやらかしそうな一件。

 

ジヨンは企画チームから外されたことで、この女性チーム長に嫌われているのではないかと疑っていましたが、彼女がジヨンを選ばなかったのは、先を見越しての深謀遠慮があったと明らかになります。ここでも、結婚をした後の女性が仕事を続けることの難しさをさり気なく描いています。

 

女性の社会進出を立ち塞ぐ壁となっているのは男ばかりではありません。年配者には昔の慣習や価値観から主婦に専念させたがる傾向があります。特にジヨンの姑はその想いが強く、嫁が仕事を再び始めるため、息子が育児休業しようとしているのを知ると、血相を変えて止めに入ります。その挙句、ジヨンの母親のミスクに嫁が精神的におかしくなっていることまで喋ってしまいます。

 

ミスクは姑とは対照的に女性が働くことに理解があります。彼女自身も教師になるのが夢だったにも関わらず、家庭の事情で断念した過去があるだけに、娘には同じ思いをさせたくない気持ちが強いのです。したがって、姑と同じくらい古い考えを持つ夫のヨンスが、時代とズレた感覚の発言をすると怒りが爆発してしまいます。

 

若い世代は、比較的子連れの母親に理解と寛容さがあるように思われますが、終盤のカフェにおいて、男女の会社員が娘を連れたジヨンへの心ない対応を見ると、世代、階層、性別に関係なく、無理解な奴はどこにでもいるのだと哀しくなります。ただし僅かに救いなのは、ジヨンに無理解な姑やヨンスも彼女のことを気に懸けている点。でも、今時の基準に対応できなく、結果的にジヨンを追いつめているのが残念です。しかも、ヨンスは父親なのに娘の好みのパンを間違えているし(笑)。

 

それに比べると、父親や叔母たちに散々甘やかされてきた末っ子のジソクは、多少成長の跡が窺えます。ジヨンは長い間、父親から贈られた弟の万年筆を欲しがっており、彼女の入院の際にジソクは万年筆をあげます。てっきり、彼のお古の万年筆をそのまま譲るのかと思いきや、なかなか粋な計らいをします。ラストもその万年筆が映し出され、それに相応しい姿になったジヨンを見せて映画は幕を閉じます。

 

監督のキム・ドヨンは、女性の現状を声高に叫ぶのではなく、一つ一つ事例を挙げて、噛んで含めるように観る者に理解を求め、このままでいいのですか?と問いかけるスタンスで訴えていきます。ただし、監督は主婦を否定している訳ではなく、色々な選択肢があって、その中から自由に選べる社会が暮らしやすいのでは?と問題提起しているように思います。

 

子供時代のジヨンが姉のウニョンに行ってみたい外国を尋ねた際、姉は北欧の国ばかりを選びます。何故?と疑問に思う妹に、姉は「韓国人がいないからよ」と答えます。思わず笑ってしまいましたが、案外、息の詰まる母国に対する監督自身の本音なのかもしれませんね。