樋口一葉の世界を映像で再現した「にごりえ」を観て | パンクフロイドのブログ

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ラピュタ阿佐ヶ谷

戦後独立プロ映画のあゆみ-力強く PARTⅡ より

 

製作:文学座 新世紀映画

監督:今井正

脚本:水木洋子 井手俊郎

原作:樋口一葉

撮影:中尾駿一郎

美術:平川透徹

音楽:團伊玖磨

出演:丹阿弥世津子 芥川比呂志 三津田健 久我美子 長岡輝子 淡島千景 山村聰 杉村春子

1953年11月23日公開

 

第一話:十三夜

せき(丹阿弥世津子)は夫である原田の酷い仕打ちに耐えかね、実家に戻ってきます。母(田村秋子)は娘の話を聞くと、憤慨し出戻りを許しますが、父親(三津田健)は、「離縁をすれば子供は原田のものだ。同じ不運に泣くならば、原田の妻で泣け」と言い、「涙を分け合って皆で泣こう」と諭すのです。そして、車屋を呼び娘を送り返します。しばらく行くと車屋が突然「これ以上引くのが嫌になったから降りてくれ」と言いだします。不躾な申し出に車屋の顔を覗くと、それは幼なじみの録之助(芥川比呂志)でした・・・。

 

第二話:大つごもり

女中のみね(久我美子)は、育ててくれた養父母(中村伸郎・荒木道子)に頼まれ、奉公先の女主人・あや(長岡輝子)に借金2円を申し込みます。ところが、約束の大みそかの日、あやはそんな話は聞いていないと突っぱね、娘のお産に立ち会うため出かけてしまいます。あやが車屋で出かけようとした時に、20円の入金があり、みねはこの金を茶の間の小箱に入れておくように頼まれます。やがて、放蕩息子の若旦那・石之助(仲谷昇)が実家を訪ね、そのまま寝入ってしまいます。みねは、小箱から黙って2円を持ちだし、訪ねてきた養母に渡してしまいます。主人の嘉兵衛(龍岡晋)が戻ると、石之助は金を無心し始め、義理の息子と折り合いの悪いあやは、50円を歳暮代わりに渡して厄介払いをします。その夜、主人夫婦は金勘定を始め、茶の間の小箱をみねに持ってこさせるのですが・・・。

 

第三話:にごりえ

銘酒屋「菊乃井」の売れっ子酌婦・お力(淡島千景)は、昔の男・源七(宮口精二)に付きまとわれていました。源七はお力に入れ上げたあげく、仕事が疎かになって落ちぶれ、今では土方仕事をしながら、妻子と長屋住まいをかこっています。源七はお力と別れてもなお忘れられず、妻(杉村春子)からは毎日愚痴をこぼされ、責められていました。お力には互いに好き合う朝之助(山村聰)ができたものの、一度は惚れた男の惨状を知るがゆえに、鬱鬱とした日を送っています。そんなある日、妻の小言に弦七はぶち切れ、お初は怒って子供を連れて、家を出て行ってしまいます。

 

樋口一葉の短編「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の三編を、オムニバス形式で描いた作品です。今井正監督は、不幸な女の境遇を遣る瀬ない思いで描くことに長けており、3人の女に対して感情移入せずにはいられない気持ちに持って行きます。3編とも不幸な女の影にだめんずありで、それぞれの男のキャラの違いも楽しめます。

 

ちなみに本作は、1953年のベスト10の1位を獲得しており、小津の「東京物語」や溝口の「雨月物語」より上に来ています。キネ旬1位と言っても千差万別で、個人的にはかなり懐疑的なのですが、日本映画黄金期の1950年代の1位は、無条件に価値があり、この映画もスクリーンから目が離せませんでした。

 

今井監督の演出も然ることながら、脚本は水木洋子と井手俊郎の日本を代表する脚本家が手掛けています。更に役者も名優揃いで、さながら文学座のオールスターキャストの趣きがあります。「大つごもり」では、後妻の娘の一人に岸田今日子、車夫に北村和夫、「にごりえ」では冷やかしの客に小池朝雄、縁日のカップルの女性に加藤治子、店の用心棒役に加藤武を配するなど、ほんの端役でも芸達者な役者が演じているため、今観ると非常に贅沢な感じがしてきます。

 

「十三夜」はパワハラ、モラハラ夫に我慢のできなくなった妻が実家に帰ってくるものの、父親に諭され、夫と子供の家に戻る話です。現代的な感覚では、父親が娘に対して無慈悲に見えるかもしれませんが、明治時代を背景にした物語であることを考えれば、父親が断腸の思いで娘を帰したことが理解できます。せきの弟は高級官吏の原田の口添えで昇進を果たしており、離縁すれば子供を失うばかりでなく、弟の出世にも響きます。せきもその事が分かるだけに、自分の感情を抑え、離縁することを踏み止まろうとします。せめてもの慰みは、両親が彼女の事情を知って、一緒に泣いてくれる事。

 

彼女が夫と子供の許に戻る途中、車夫が幼馴染であったことに気づき、第二のドラマが展開されます。こちらもせきの夫ほどではないにせよ、だめんずの気配が濃厚。せきが結婚したことをきっかけに、身を持ち崩したことを匂わせます。そんな落ちぶれた幼馴染の姿を見たことによって、せきは辛い身にありながらも、不思議と落ち着きを取り戻します。この二人の遣り取りは勿論の事、せきの両親、弟の立ち振る舞いから、明治時代の人々の佇まいの美しさに心が洗われます。

 

「大つごもり」は、奉公に出ている下女が、恩人である叔父夫婦の苦しい状況を救うために苦悩する話です。奉公先の女主人の人をイラつかせるキャラの匙加減が絶妙で、物語を面白くしています。彼女の振る舞いを目にすると、奉公人が居つかないのも、先妻の子である石之助が放蕩息子になった理由も、瞬時に理解できます。根っからの悪人ではないものの、気分次第でコロコロ言う事が変わり、この手の人物が実は一番始末に負えず、厄介な存在なのかもしれませんね。約束を反故にされたみねは、魔が差して、茶の間の小箱から2円を抜いて叔母に渡してしまいます。その後、発覚されそうな危機が訪れ、最悪の事態が想定される中、思わぬところから助け舟が現れます。だめんずとハサミは使いよう。粋な終わり方でした。

 

「にごりえ」は、かつて好き合った男に付きまとわれる酌婦の話です。源七は妻子がいるにも関わらず、お力に入れ込んだ挙句、現在は土方の仕事と女房の内職で食いつないでいる状態。しかし、お力の事が忘れられず、たびたび店の前に現れ、お力に遭える機会を窺っています。今で言えばストーカーなのですが、二人の事情を知る店の者は、手荒な真似をして追い返そうとはせずに、お力自身も朝之助という上品で誠実さもある紳士と巡り会いながら、煮え切らない態度を取ります。

 

一方、源七の妻のお初は、仕事にも行かず、酒ばかり飲む亭主に意見をするものの、源七には嫌味としか聞こえず口論となります。お初は真っ当な正論を言っているのですが、源七には気が滅入るばかりで、どんどん悪循環に嵌っていきます。それでも、お初は夫に頭を下げ、これまで通り夫婦生活を続けるよう頼み込むのに対し、源七は怒りが収まらず修復不可能な状態となります。その後、お力と源七は悲惨な末路を辿り、お初と幼い息子も、劇中では示されていませんが、おそらく苦難の道を歩むものと思われます。

 

主要人物はいずれも自ら不幸な道を選択したとしか思えず(お初の場合は気の毒に思えますが)、身から出た錆と見えなくもありません。特にお力は、朝之助と一緒になれる機会がありながら、自ら棒に振ったようにも思え、猶更その思いが強くなります。でも、理屈通りに割り切れないのが人間というもの。むしろ、お力は血の通った女と言えるかもしれません。