老境に入った男が美少年と出会い苦悶する「ベニスに死す」を観て | パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

製作:イタリア フランス

監督:ルキノ・ヴィスコンティ

脚本:ニコラ・バダルッコ ルキノ・ヴィスコンティ

原作:トーマス・マン

撮影:パスカリーノ・デ・サンティス

音楽:グスタフ・マーラー

出演:ダーク・ボガード ビヨルン・アンデルセン シルヴァーナ・マンガーノ ロモロ・ヴァリ

1971年10月2日公開

 

ドイツ有数の作曲家・指揮者であるグスタフ・アシェンバッハ(ダーク・ボガード)は休暇でベニスへやってきました。蒸気船やゴンドラの上で不愉快な思いをした彼は、避暑地のリドに着くと、ようやくホテルの最上級の部屋をあてがわれます。サロンには世界各国からの観光客で賑わっていました。

 

やがて、アシェンバッハは、ポーランド人の家族に目を留めます。そこには母親(シルヴァーナ・マンガーノ)、三人の娘、一人の息子、家庭教師がいました。特に、母親の隣に座った美少年のタジオ(ビヨルン・アンデルセン)に目を奪われます。その時からアシェンバッハは、完全にタジオの虜になってしまいます。

 

ところが、避暑地は空が鉛色に淀み、おまけに過去の忌まわしい記憶が甦り、一層憂鬱な気分に落ち込んでいきます。重苦しい天候に耐え切れなくなったアシェンバッハは、ホテルを引き払おうと決意しますが、駅に着くと自分の荷物が手違いでスイスに送られてしまったため、ホテルに引き返せねばならなくなります。

 

それからの彼は、タジオへの思いを隠そうとせず、少年の行く所には、常にアシェンバッハの熱い眼差しがありました。しかしこの頃、ベニスには悪い伝染病が蔓延し始めていました。街のいたる所に、消毒液の匂いが立ちこめ、病に冒された人々が行き倒れになっているのを、アッシェンバッハは目撃します。

 

地元民はその事実をひた隠しにしていましたが、彼は銀行でイタリアの通貨に両替した際に、銀行員から街にコレラが拡がっていることを、そっと耳打ちされます。それでも彼はベニスを去ろうとせずに、化粧をほどこし、若づくりをして、タジオの姿を追い求めて彷徨うのでした・・・。

 

十代の頃に名画座で、「地獄に堕ちた勇者ども」との二本立てで観て以来の鑑賞でした。これくらい記憶の抜け落ちている映画も珍しく、冒頭における無免許のゴンドラの船頭との遣り取りや、ホテルの庭で演奏するロマ?の場面は憶えていそうなのに、初めて観るような感じでした。微かに憶えていたのは、死期の迫ったダーク・ボガードの顔に、白髪染めの染料が垂れてくる描写くらい。

 

老音楽家が美少年を追い回すという、私にとってはやや退屈と思われる内容なので、忘却の彼方にあるのは致し方ないと思いつつ、今回も序盤に寝落ちしかけました(笑)。ただし、若い頃に観た時とは違い、老音楽家の孤独と死への怖れがひしひしと伝わってきました。アッシェンバッハの回想から、幼い娘の死、演奏会における屈辱的な酷評を経て、失意のうちにベニスを訪れたことが徐々に分かってきます。

 

保養地に着いたものの、そこは家族連れが多く、余計に彼は孤独を感じ気が滅入るようになります。おまけに、街中では消毒液があちこちに撒かれ、外国の新聞には伝染病が流行っている記事が載っています。アッシェンバッハはホテルの従業員や、流しの演奏家に確かめようとしますが、ベニスは観光客で潤っているため、建前ばかりで本音を喋りません。

 

不安な状況でも、老音楽家を彼の地に留まらせているのは、美少年のタジオがいるから。一度はベニスを離れようとしたものの、手違いで荷物がミュンヘンに届かないことが分かり、アッシェンバッハはベニスに留まらなければならなくなります。駅員には怒りながらも、そのことを知った時の彼の嬉しそうな顔と言ったら(笑)。

 

アッシェンバッハはかつて家庭を築いていたこともありますし、女郎屋で女も買っています。バイセクシャルの可能性はありますが、必ずしもゲイとは断定できません。タジオを追い回すのも、性的なことを抜きにして、単に彼の美しさに惹かれたに過ぎないように見えます。アッシェンバッハのタジオに対する乙女チックな接し方が、そのことを裏づけています。

 

では、タジオはアッシェンバッハの事をどう思っていたか?何回も顔を合せているので、老音楽家を意識していたとは思いますが、正直彼の心中は分かりません。ただし、時折アッシェンバッハを挑発するような表情も見せるので、十代の小悪魔な少女が大人の男を振り回す感じに見えなくもないです。

 

やがてアッシェンバッハは、銀行員からベニスで起きている事実を報らされます。ここから先は、現実に起きているのか、アッシェンバッハの妄想なのか、観客に判断がつきにくい話が展開されます。彼はポーランド人の一家にベニスから離れるよう警告しますが、次の場面では彼の夢だったことが明らかになります。

 

また、フロントでポーランド人一家の荷物を目にして、彼らがチェックアウトするのを匂わせながら、その直後にタジオが浜辺で友達と諍いを起こす場面に移ります。その場面も、アッシェンバッハの死の直前に見せるため、彼の夢である可能性も高いです。そもそも、老音楽家が事実を知って、タジオもベニスを去ることに気づきながら、そのまま浜辺にいるのも不可解で、果たしてタジオの一家が実際にベニスを発ったのか、興味は尽きません。

 

先に退屈な内容と書きましたが、これはあくまでストーリー上の事。ヴィスコンティの上流階級の描写は相変わらず堂に入っていますし、美少年を介しての老いに対するあがきやもがきは、50代の私には切実なものに感じられます。娯楽映画好きには単調で陰々滅々した内容に気が滅入るものの、結構見どころの多い映画ではあります。でも、仮に20年後に観る機会があったら、また内容をすっかり忘れてしまっているかも(笑)。