本心を打ち明けられない不器用な女の子 「アメリ」を観て | パンクフロイドのブログ

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こうのすシネマ

午前十時の映画祭 より

 

 

製作:フランス

監督:ジャン=ピエール・ジュネ

脚本:ギヨーム・ローラン ジャン=ピエール・ジュネ

撮影:ブリュノ・デルボネル

美術:アリーヌ・ボネット

音楽:ヤン・ティルセン

出演:オドレイ・トトゥ マチュー・カソヴィッツ リュフュ ヨランド・モロー

2001年11月17日公開

 

アメリは幼少の頃に、心臓に障害があると勘違いした父親の誤診によって、学校に通うことができず、元教師の母親から自宅で教育を受けました。同じ年頃の子供たちとの接触のないまま育ったため、想像力は豊かですが、周囲と満足なコミュニケーションがとれない不器用な少女になっていきます。やがて成人したアメリ(オドレイ・トトゥ)は、実家を出てアパートに住み、モンマルトルにあるカフェで働き始めます。

 

ある日、彼女は自宅でダイアナ妃事故死のニュースを聴いた際に、持っていた化粧水瓶の蓋を落としてしまい、蓋を追っていくうちにバスルームのタイルの中から小さな箱を発見します。箱の中には子供の頃の思い出の品が入っており、アメリは探偵の真似事をして、以前彼女の部屋に住んでいた人物を探し出し、箱の持ち主に返そうとします。子供の頃の思い出と再び会えたことを喜んでいる中年男の様子を見て、アメリは人を幸せにすることに喜びを見出すようになります。

 

周囲の人々に小さな幸せを与えるアメリですが、肝心の彼女に関心を持ってくれる相手はなかなか現れません。そんな折、スピード写真のボックス下に捨てられた証明写真を収集する趣味を持つニノ(マチュー・カソヴィッツ)の姿を目にします。アメリはニノの置き忘れた証明写真のアルバムを手に入れると、それを返す口実で彼に近づこうとします。

 

ところが、元来見知らぬ人との付き合い方が分からない彼女は、ニノの前に姿を見せることができず、様々な謎のメッセージを残すことで、アメリの存在を知らせようとします。その結果、ニノにアルバムを返すことはできましたが、彼との出会いのチャンスを失ってしまいます。尻込みするアメリを見て、彼女のアパートの向かいに住む老画家が、何とか恋の後押しをしようとするのですが・・・。

 

本作は公開時に観ているのに、ほとんどの場面が記憶からスッポリと抜け落ちているのに驚きました。僅かにニノがバイクで男を追っていくうちに、証明写真を収めたアルバムを落とすシーンだけは辛うじて憶えており、ほぼ初見の感覚での鑑賞でした。ひとつひとつの場面をチェックすれば、気の利いているエピソードが揃っており、決して忘れる類のものでもないのですが、何故思い出せなかったのか自分でも不思議なくらいです。

 

映画は、少女時代に普通の社会生活を送れなかった女性が、恋愛に臆病になりながらも、自分と同じ匂いのする男を射止めるまでを描いています。アメリはユーミンの歌詞に出てくるような戦略家の面を持っています。ただし、ゲームのように楽しむ類のものではなく、相手とのコミュニケーションの取り方が分からないために、やむにやまれぬ切実な事情から来ています。

 

したがって、自分が表立つ行動を避け、裏から手を回し、相手を意のままに操り、最終的に自分の望んだ結果を手に入れようとするのです。それは恋愛に限らず、障碍者の店員に意地悪をする八百屋の店主に対して、ゾロよろしく制裁を加えることもあれば、家に引き籠っている父親を外の世界に足を向けさせようと画策もします。ただし、策士策に溺れる面が無きにしも非ずで、ストーカーに付きまとわれている同僚の女性を助けるため、別の同僚女性に目を向けさせることに成功するものの、害を被る女性が変わっただけという失敗も見せます。

 

それでも、自分の存在を一切気づかせずに、作戦を実行するところなど、一人で“スパイ大作戦”をやっているかのよう。そんなアメリも、いざニノの前に姿を現すとなると二の足を踏み、二人がなかなか結ばれずに観客を焦らすあたりは、作り手も心得ています。40年前に彼女の部屋に住んでいた男を探すくだりは、ちょっとしたハードボイルド風味があり、恋愛映画でありながら、サスペンスやミステリーの要素が随所に散りばめられています。

 

ヒロインのオドレイ・トトゥは、彼女以外の人選は考えられぬほどのハマリ役。オドレイ・トトゥの他にも、ルノワールの「舟遊びをする人々の昼食」ばかりを描いている偏屈な老画家、好きな女性店員の行動を店で見張っているストーカー男、肝っ玉おっかさんのカフェの店主など、個性的な面々が彩りを添え、映画を活気づけていました。