「はじまりへの旅」「美女と野獣」を観て | パンクフロイドのブログ

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はじまりへの旅 公式サイト

 

 

チラシより

ベン・キャッシュ(ヴィゴ・モーテンセン)と6人の子供たちは、現代社会に触れることなくアメリカ北西部の森深くで暮らしていた。父仕込みの訓練と教育で子供たちの体力はアスリート並み。みな6ヶ国語を操り、18歳の長男は名立たる大学すべてに合格。しかしある日入院していた母・レスリーが亡くなり、一家は葬儀のため、そして母の最後のある“願い”を叶えるため旅に出る。葬儀の行われるニューメキシコまでは2400キロ。チョムスキーは知っていても、コーラもホットドッグも知らない世間知らずの彼らは果たして、母の願いを叶えることが出来るのか・・・?

 

製作:アメリカ

監督・脚本:マット・ロス

撮影:ステファーヌ・フォンテーヌ

美術:ラッセル・バーンズ

音楽:アレックス・ソマーズ

出演:ヴィゴ・モーテンセン ジョージ・マッケイ フランク・ランジェラ

2017年4月1日公開

 

序盤から野性味溢れる一家の生活に驚かされます。その一方で、ベンの子供たちへの教育や生活スタイルが、全面的に肯定されて描かれていたら困るなぁと思って観ていました。特に妻の葬儀に向かう途中で、スーパーマーケットに立ち寄った際の、彼らの行動は看過できなかったからです。また、妹夫婦の一家や妻の両親に対するベンの言動が思慮に欠けるため、傲慢な感じも拭えませんでした。ただし、私が怖れていた心配は、最終的に杞憂に過ぎなかったです。

 

ベン一家はキリスト教徒ではありませんが、キリスト教原理主義者に陥りかねない危うさを持っています。キリスト教原理主義者は、進化論を否定するあまり、自分の子供を学校に通わせず、親が直接子供に学問を教える場合があり、ベンもまた己の価値観に基づいた教育を子供たちに授けています。確かにベンのスパルタ教育とも言える子供への教えは、学校に通う以上の成果を上げており、妹夫婦の子供たちとの差は歴然としています。

 

その一方で、あまりにも世間の常識とかけ離れた生活を送っているため、長男のボウドヴァン(ジョージ・マッケイ)のファーストキス後の行動に見られるように、家族以外の者との距離の取り方に齟齬をきたしています。したがって、ベンが普通の人々の価値観と折り合いをつけつつ、妻の願っていた散骨を行なえるかが見どころとなってきます。

 

ただし、子供たちの今後に関して妻の父親と交わした約束や、散骨に至るまでの過程は、相手の同意を得ていないと言う点において実に微妙。それでも、子供たちが自分の意志で人生を選ぶ点が重要で、快く長男の出発を送り出す一家の姿には、「雨降って地固まる」の諺が象徴されていたように思えます。余談になりますが、ベン一家では考察することを放棄する「興味深い」というフレーズは禁句のようで、私の記事ではこの常套句をしばしば使う傾向にあるので、今後は注意していきたいです(笑)。

 

 

美女と野獣 公式サイト

 

 

公式サイトより

ひとりの美しい王子が、呪いによって醜い野獣の姿に変えられてしまう。魔女が残した一輪のバラの花びらがすべて散る前に、誰かを心から愛し、愛されることができなければ、永遠に人間には戻れない。呪われた城の中で、希望を失いかけていた野獣と城の住人たちの孤独な日々に変化をもたらしたのは、美しい村の娘ベル。聡明で進歩的な考えを持つ彼女は、閉鎖的な村人たちになじめず、傷つくこともあった。それでも、“人と違う”ことを受け入れ、かけがえのない自分を信じるベルと、“人と違う”外見に縛られ、本当の自分の価値を見出せずにいる野獣──その出会いは、はたして奇跡を生むのだろうか…?

 

製作:アメリカ

監督:ビル・コンドン

脚本:ステファン・チボスキー エヴァン・スピリオトプロス

撮影:トビアス・シュリッスラー

美術:サラ・グリーンウッド

音楽:アラン・メンケン

出演:エマ・ワトソン ダン・スティーヴンス ルーク・エヴァンス ジョシュ・ギャッド ケヴィン・クライン

        ユアン・マクレガー イアン・マッケラン エマ・トンプソン ネイサン・マック ググ・バサ=ロー

        オードラ・マクドナルド

2017年4月21日公開

 

「美女と野獣」は過去にジャン・コクトー版、ディズニーアニメーション、レア・セドゥ主演版など、何度も映画化されていますが、いずれも未見です。本作が初めての映像体験となります。結末は凡そ予測でき、したがって個人的には、ヒロインが野獣の姿をした王子を理解した上で、如何に説得力を持って二人が結ばれるかに興味が絞られます。この点に関しては、細部にまで気を配った演出が功を奏し対応できていたと思います。

 

また、魅力的な敵役が物語を活性化している点においても申し分ありません。ルーク・エヴァンスの濃い顔立ちは、ベル(エマ・ワトソン)にしつこく付きまとう粗野なガストンにはぴったり。序盤におけるナルシストぶりに辟易させられ、話が進むにつれ悪辣さが表面化し、終盤では卑劣な行為が炸裂します。

 

ベルの父親モーリス(ケヴィン・クライン)を森に残し、狼の餌食にしようとしていたことを指摘されても、モーリスを精神病患者に仕立て上げ病院に収容しようとし、城から戻ったベルにも野獣に魔法をかけられたと彼女の口を封じ込め、更に村人たちをけしかけて恋敵のいる城に乗り込もうとするくだりなどは、天晴れと言いたくなるほど感心してしまいました。ガストンの相棒であるル・フウ(ジョシュ・ギャッド)は、ガストンを引き立たせる役割を果たしている上に、友情と言うよりは愛情に近い感情を持ちながらその思いが報われず、ガストンが酷い男であることをより印象づけます。

 

物語の構図としては、呪いをかけられたのが王子のみならず、城の使用人たちもとばっちりを受けた設定が上手く生かされています。常にヒロインと野獣に焦点が当てられるよりも、使用人たちを介することによって、話に変化をつけていく引出しも増え、話自体も広がりを見せるからです。ファンタジー系の恋愛映画が得意でないボンクラな私にとっても、男女が周囲を気にせず恋愛に酔い痴れるより、使用人たちが二人の仲を取り持ちながら、ある程度抑制をかけてくれた方がありがたいです。

 

人は見かけで判断してはならないという普遍的なテーマを、最新技術を駆使して万人向けのドラマに仕上げたディズニーの戦略は成功し、普段この手の映画を敬遠していた私でも、劇場に足を運ばせたのだからお見事と言うほかありません。