原田芳雄が新しいやくざ像を見せる 「反逆のメロディー」を観て | パンクフロイドのブログ

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シネマヴェーラ渋谷

相米慎二を育てた男

プロデューサー 伊地智啓の仕事 より


反逆のメロディー


反逆のメロディー


製作:日活

監督:澤田幸弘

脚本:佐治乾 蘇武道夫

撮影:山崎善弘

美術:千葉和彦

音楽:玉木宏樹

出演:原田芳雄 佐藤蛾次郎 地井武男 藤竜也

    富士真奈美 梶芽衣子 須賀不二男

1970年7月22日公開



淡野組が解散し、哲(原田芳雄)は腹違いの兄立花(梅野泰靖)が縄張りを持つ土地にやって来ます。立花は服役しており、組長の留守中、立花組は矢東会から送られて来た武沢(曽根晴美)たちに押えられていました。哲は偶然、出会ったゲバ作(佐藤蛾次郎)と共に、矢東会の経営するサウナでひと暴れすると、武沢に「立花の腹違いの弟が戻って来たので、あんたたちは東京へ帰ってくれ」と促します。


武沢たちが引き上げようとした時、立花組の若い者(沖雅也)が物陰から現れ、矢東会のドス健(永山一夫)と相討ちになります。やくざ二人の葬儀を終えると、哲は本格的に立花組の再建に乗り出します。町の貧しい人々を苦しめている企業を襲い、土地の権利金を奪い返し、地元の人々に感謝されます。


そんなある日、淡野(須賀不二男)が峰田(深江章喜)を連れて上京してきます哲は羽田に迎えに行き、峰田から淡野が矢東会、緒方組、相賀組を解散させるため、説得をしに来たことを知らされます。淡野が車に乗り込もうとした時、群衆の中に隠れていた男が、突然淡野目がけて突っ込んで来ます。哲は身を挺して淡野を救い、男はそのまま行方をくらまします。


男は星野(地井武男)が経営するビリヤード場に逃げ込み匿われます。男は滝川政次(藤竜也)で、淡野に殺された組長の仇を討つため、淡野を狙う機会を窺っていたのです。星野は内縁の妻亜紀(梶芽衣子)に当座の隠れ家として滝川を友人の家に案内させます。


その直後、哲が星野のビリヤード場に現れます。哲は滝川を差し出すよう迫り、星野は哲の要求を拒否し忽ち乱闘となります。やがて、取り押さえに来た警官たちとも揉み合いとなり、二人はブタ箱にぶち込まれます。その後、釈放された哲は、淡野に呼び出されます。淡野は立花組の若い者が桐亜建設を脅していることを話し、手を引くように仕向けます。しかし哲は、「自分は組長じゃないので、子分に命令はできない」と即答を避けます。


その後、哲は星野に会い、星野から滝川を預かってもらうよう頼まれます。そして、二人は兄弟分の盃の代わりに、互いの腕時計を交換します。一方ゲバ作は、一向に桐亜建設に仕掛けをしない哲に痺れを切らし、単身建設現場に殴り込みをかけ、リンチを受けた挙句殺されます。また、星野も亜紀を連れて出かけようとした時、何者かにガラス越しにドスを突き刺され息絶えます。


哲は峰田に呼び出され、桐亜建設の重役や県警の木原警部(青木義朗)立ち合いの元、製鉄工場建設にあたり、立花組へ警備の依頼を要請されますが、警察に協力して犬になることを拒否します。その結果、立花組は警察から手入れを食らい、出所した立花も何者かによって殺されます。それから数カ月後、工場完成のパーティー会場に、哲と滝川が姿を見せます。


任侠映画にニューシネマの要素を持ち込んだアナーキーな雰囲気があります。本来、義理と人情の世界と反骨精神のニューシネマとは、水と油の関係なのですが、これがいい按配に融合しています。この2つの異なる要素を体現しているのが、哲を演じる原田芳雄です。ファッションや髪型からして、従来のやくざ像とは一風変わっています。乗っている車もジープで、手下もオートバイを使用しています。こうしたキャラクターは、彼以外に考えられないほど嵌っています。


淡野組が解散したことによって、哲はどの組にも属さないフリーの立場でいられます。腹違いの兄が仕切る立花組は、親分が服役しているため、姐さんのお竜(富士真奈美)が、矢東会の下で自分たちの縄張りを守らねばならない立場にいます。そこに哲が現れ、今までのやくざ世界の秩序を掻き乱していくのです。


哲は淡野組が解散したことに納得できず、やくざの意地が燻り続けています。矢東会のシマで苦しんでいる人々を助けることによって、多少憂さを晴らす役に立っています。ただし、哲がやったことは彼自身の力でできたわけでなく、解散した淡野組の後ろ盾があったことで成し遂げられたことが、徐々に明らかになります。


桐亜建設の下請けを行なっている淡野は、立花組が桐亜建設の地上げを妨害するのを快く思ってはおらず、哲に手を引くよう仄めかします。他の相手ならば即座に拒否する哲も、かつての親分子分のしがらみを断ち切ることは容易ではありません。この葛藤が任侠映画のフォーマットを踏まえており、反骨精神の象徴とも言えるニューシネマの要素を取り入れても、物語の土台が揺るがない要因となっています。


その一方で、藤竜也、佐藤蛾次郎、地井武男、梶芽衣子、青木義朗と個性的なメンツを揃えていながら、敵役となる悪役が弱いのは惜しまれます。矢東会の幹部の曽根晴美は今回穏健派で調整役のタイプ。せめて肝となる淡野、淡野の右腕・峰田、腹違いの兄・立花の3人にアクの強い役者を配していればと思わずにいられませんでした。



光る女


光る女


製作:ヤングシネマ85共同事業体 大映 ディレクターズ・カンパニー

配給:東宝

監督:相米慎二

脚本:田中陽造

原作:小檜山博

撮影:長沼六男

美術:小川冨美夫

音楽:三枝成章

出演:武藤敬司 安田成美 秋吉満ちる 出門英

    レオナルド熊 中原ひとみ すまけい

1987年10月24日公開


松波仙作(武藤敬司)が、北海道滝ノ上の山奥から東京へやって来ます。東京へ出たまま地元に戻らない桜栗子(安田成美)を心配して、彼女を探しに来たのでした。しかし、東京に不案内な仙作は荒涼とした埋立地へと来てしまいます。


その埋立地では女がゴミの山の上に立って歌を歌っていました。そのかたわらでは男がピアノを伴奏しています。女は人前で歌を歌えなくなったオペラ歌手の小山芳乃(秋吉満ちる)で、男は尻内(すまけい)という秘密クラブのオーナーでした。仙作は尻内が栗子の居場所を知っていると聞き、デスマッチを売り物にする「クラブ・ジョコンダ」に出向きます。


リングの上では2人の男が戦っており、その戦いを客たちが面白そうに見物していました。仙作は尻内からデスマッチに勝ったら、栗子の居所を教えると言う言葉に誘われ、その勝者と対戦し相手をねじ伏せます。仙作は栗子が働いている新宿のスナックを訪ね、厚化粧した栗子と再会します。栗子は仙作との再会を素直に喜びますが、北海道へ帰る気がないことを仙作に伝えます。


仙作は栗子を説得するため東京に留まり、ジョコンダのリングに上がり生活費を稼ぎます。彼にとって東京で唯一友達と言えるのは、同じ職場でダンサーとして働く北海道出身の赤沼(出門英)でした。赤沼もまた逃げた女房を探しに東京へ出て来ていましたが、別の男と暮らしていることを知り、その現実から逃避するため酒で体を壊していました。


ある日、仙作は栗子が風邪で寝込んでいると聞き、見舞いに行きますが、そこで尻内と栗子が抱き合っている光景を目撃してしまいます。女を食いものにし、死を賭けた男たちの戦いを傍観者のように眺める尻内に我慢がならず、仙作はジョコンダのリングで尻内に闘いを挑みますが、無残な敗北を喫します。しかし皮肉なことに、仙作が痛めつけられるたびに、芳乃は悲鳴のような声で「アリア」を歌い、いつの間にか人前でも歌えるようになります。仙作は尻内に負けたことで栗子に別れを告げ、滝ノ上へ戻る決心をします。


仙作は出発前に、スィミングスクールのインストラクターもしている芳乃にプロポーズします。芳乃は競泳に勝ったら、嫁になってもいいと仙作を挑発。仙作は賭けに勝ち、二人は水を抜かれたプールで結ばれます。そのとき遠くで消防車のサイレンが鳴り響きます。新宿駅西口のバスターミナルで、赤沼が芳乃からもらった「アリア」のテープを聴きながら、バスの中で焼身自殺をしたのでした。事件の最中に流れていたテープが評判を呼び、芳乃はコンサートの舞台で成功し、本物のオペラ歌手となります。


このことをきっかけに、仙作と芳乃は住む世界が異なりますが、芳乃は彼を追って北海道までやって来ます。しかし、仙作とはすれ違いになり、芳乃は赤沼の残した息子に会います。一方、仙作は友人から役場に女のかすれた声で「仙ちゃん、助けて」という電話がかかってきたことを知らされます。栗子に違いないと思った仙作はヒゲをそり、真っ赤なスーツを着て、再び東京へ舞い戻るのです。


芝居に関して素人の武藤敬司と秋吉満ちるをキャスティングした時点で、相米慎二監督はマトモな映画にする気はなかったと思われます。ただし、二人に関しては意外と役に嵌っています。武藤はデスマッチの試合をする選手の設定から、プロレスラーの一人として選ばれたのでしょうが、素人の芝居が却って武骨な男を際立たせるのに役立っています。


秋吉の台詞回しは、アメリカ育ちのせいなのか、棒読みのようにぎこちなく、その点はいただけないものの、アリアは吹替えとしても、歌手としての立ち振る舞いはさすがに様になっています。また、プールの場面で一瞬でもちゃんとオッパイを見せていたことは、個人的に大いに評価できます。二人に比べると、安田成美には見せ場となる場面が少なく、刺身のつまにしか見えませんでした。仙作が絶望感を味わう、すまけいとの濡れ場は、映画の肝となる場面にも関わらず、露出もほとんどなくヌルい描写なのが残念。


また、デスマッチという謳い文句なのに、リングで繰り広げられるのは、ガチンコ勝負というよりも地味なプロレスにしか見えない試合と言うのも何だかなぁ。地下プロレスらしい雰囲気のあるセットは、十分場を盛り上げるのに貢献しているのにねぇ・・・。オーナーの尻内がいかにも趣味人らしく振る舞っているのに、試合の後に大衆演劇のような歌と踊りを客に見せるセンスってどうよ?と思いつつも、本来負の部分となる点が、逆に印象に残るのも事実。物語が破綻していることが更に輪をかけていて、シュールで混沌とした雰囲気を醸し出します。相米作品の中でも珍品に近いカルト映画でした。