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hana&おいしいモノ☆

   柴犬のハナと、いろいろ日記
       (ズボラなため不定期更新です)



今日もハナがねらっているよ~


じぃぃぃぃぃぃぃ








クンクン
今日の晩御飯は何ですか?








カニかまを一切れもらってご満悦でしたヾ( ´ー`)








45号線沿いを、イトコの姉ちゃんの話を聞きながら廻った。

田老では消防団の方の話。
水門の外(海側)には、たくさんの仕事をしている人達が居る。
町の消防団の方が水門を閉めに行った時、
海側から避難する人があとからあとから押し寄せて来て
なかなか水門を閉める事が出来なかったと。
自分の逃げるタイミングが無くなってしまい
津波に遭遇した方がたくさんいたそうだ。

山田町で火災が起きたとき、
炎の向こうから助けを呼ぶ叫び声がずっと聞こえていたけど、
津波で何もかも流されてしまい、炎を消す道具もなく、
助け出す手段も無く、なす術も無く、その声を聞いているしか無かったこと。

津波がひいたあとの無数の遺体。テレビでは一切映されなかったこと。

避難所では、皆が賞味期限の切れたパンやオニギリを分け合って食べていた事。
他にもたくさん、たくさん、たくさんやりきれない話を聞いた。


私も子どもの頃から何度も津波の話は聞いていた。
海の方へ行くと、至る所に水門や防潮堤がある。
防潮堤や海岸の崖の所には、昔の津波が来たラインが書かれていた。
でも、まさか、自分が生きているうちに
またこんな大きな津波に襲われるとは思っていなかった。
きっと、沿岸の人達みんながそんな思いなんだろう。

津波から生き残った人達、
みんな、あの津波を目にして、家が流されて行くのを眺め、
火災が広がって行くのを真っ暗な中で見つめ、
数えきれないほどの亡くなった人の遺体を見て。。。
瓦礫の中を毎日歩くとき、どんな気持ちがするのか。
瓦礫の山を毎日毎日眺めてどう感じるのか。

胸がギューーーっとなる。



震災後、私は、自分の意識や生活が少し変わったのを感じる。
晩御飯は以前より少し質素になった。
オシャレも、あんまりしなくなった。
こんなことにお金かけるなら、東北の事に使いたいって思う。
ちょっと高くても東北の製品を買う。
毎日欠かさずNHKを見る。
ドキュメント番組は全て録画し、寝る前に全て見る。
「被災何万人」と言うのではなく、
なるべく一人一人、たくさんの方のお話を聞きたいと思っている。
そして、それを忘れずにいたい。


自分でも何が書きたかったのか、良く分からないけど
一人でも多くの方が、
東北の事を忘れずにいてくれたらいいなぁって願っています。










岩泉の家の近くには小さなホテルがあって
窓にはたくさんの洗濯物がかかっていた。避難所になっていた。

仕事が休みだったイトコの姉ちゃんが沿岸を案内してくれた。
ばあちゃん家を出て、海の方へ向かう。
山道を越えて小本の海へ行った。
松林の松は一本残らず消えていた。
道路がえぐられ、穴があいている。
水門も越えて、右からも左からも津波来て、
ここでぶつかって渦巻いてさ、土を抉ってったんだって。

ほれ、そこが◯◯ちゃん家あったとこ。
指差す方を見ると、全然違う景色になっていた。
家がたくさんあったはずなのに何も無い。
この辺りの人達は、裏の小山へ駆け上がって助かったらしい。
近くの中学校も、生徒はみんな逃げて無事だったみたいだ。
小本から45号線に向かう。
山おりたら、景色が違うから、何も無いから。
姉ちゃんが話してくれる。
下り坂を降りながらしばらくしたら、何も無くなった街が見えて来た。
涙が出た。出続けた。
だって、分からなかったから。一瞬、ここがどこなのか。
信号はもちろん消えていて、他県の警察官が交通整理をしてた。

至る所に自衛隊のキャンプ?が出来ている。
道路の両端には瓦礫の山。折れ曲がった鉄骨。
打ち上げられた大きな船や、
無惨に壊れてしまった建物を横目に山田町へ向かった。
山田町は他と違ってた。
津波の後、火災が起きて街が黒焦げになったのだ。

町よりも、ほんの2~3m高くて無事だった役場へ行った。
ここにも、いろんな県から応援が来ていた。
公務員の方、ボランティアの方。物資の仕分けや配達をしてた。
道順を聞き、山田南小へ向かう。
体育館は避難所になり、何百人もの人達が避難生活を送っていた。
校庭には、自衛隊が作った大きなシャワーテントが2つあった。
スミマセン、子ども達に物資を持ってきました。
学校の方に話し、荷物を渡した。
必要な人はどうぞ」ロビーには、
衣類や食べ物や、赤ちゃん用品などがきちんと仕分けされて置かれていた。
どこかの団体の方ですか?と聞かれたが、
いえいえ個人です。とだけ言って、小学校をあとにした。
ここで避難生活してる方に申し訳なくて、写真、撮れなかった。

帰り道は、ところどころで車を降り、歩いた。
高さ10m以上ある田老の防潮堤の上に登った。
家が無い。壊れた車や、打ち上げられた漁船や、瓦礫ばかりだ。
もう、涙は出なかった。
あの景色は圧倒的だった。
延々と続く瓦礫の山。家の跡。散乱している様々な物。積み重なった車。

自分がどれだけ小さく、無力で、ちっぽけか突き付けられた。
ただ、呆然と海を見るしかなかった。
ホント、圧倒的な無力感しかなかった。