45号線沿いを、イトコの姉ちゃんの話を聞きながら廻った。
田老では消防団の方の話。
水門の外(海側)には、たくさんの仕事をしている人達が居る。
町の消防団の方が水門を閉めに行った時、
海側から避難する人があとからあとから押し寄せて来て
なかなか水門を閉める事が出来なかったと。
自分の逃げるタイミングが無くなってしまい
津波に遭遇した方がたくさんいたそうだ。
山田町で火災が起きたとき、
炎の向こうから助けを呼ぶ叫び声がずっと聞こえていたけど、
津波で何もかも流されてしまい、炎を消す道具もなく、
助け出す手段も無く、なす術も無く、その声を聞いているしか無かったこと。
津波がひいたあとの無数の遺体。テレビでは一切映されなかったこと。
避難所では、皆が賞味期限の切れたパンやオニギリを分け合って食べていた事。
他にもたくさん、たくさん、たくさんやりきれない話を聞いた。
私も子どもの頃から何度も津波の話は聞いていた。
海の方へ行くと、至る所に水門や防潮堤がある。
防潮堤や海岸の崖の所には、昔の津波が来たラインが書かれていた。
でも、まさか、自分が生きているうちに
またこんな大きな津波に襲われるとは思っていなかった。
きっと、沿岸の人達みんながそんな思いなんだろう。
津波から生き残った人達、
みんな、あの津波を目にして、家が流されて行くのを眺め、
火災が広がって行くのを真っ暗な中で見つめ、
数えきれないほどの亡くなった人の遺体を見て。。。
瓦礫の中を毎日歩くとき、どんな気持ちがするのか。
瓦礫の山を毎日毎日眺めてどう感じるのか。
胸がギューーーっとなる。
震災後、私は、自分の意識や生活が少し変わったのを感じる。
晩御飯は以前より少し質素になった。
オシャレも、あんまりしなくなった。
こんなことにお金かけるなら、東北の事に使いたいって思う。
ちょっと高くても東北の製品を買う。
毎日欠かさずNHKを見る。
ドキュメント番組は全て録画し、寝る前に全て見る。
「被災何万人」と言うのではなく、
なるべく一人一人、たくさんの方のお話を聞きたいと思っている。
そして、それを忘れずにいたい。
自分でも何が書きたかったのか、良く分からないけど
一人でも多くの方が、
東北の事を忘れずにいてくれたらいいなぁって願っています。