東日本大震災によせて③ | hana&おいしいモノ☆

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   柴犬のハナと、いろいろ日記
       (ズボラなため不定期更新です)


岩泉の家の近くには小さなホテルがあって
窓にはたくさんの洗濯物がかかっていた。避難所になっていた。

仕事が休みだったイトコの姉ちゃんが沿岸を案内してくれた。
ばあちゃん家を出て、海の方へ向かう。
山道を越えて小本の海へ行った。
松林の松は一本残らず消えていた。
道路がえぐられ、穴があいている。
水門も越えて、右からも左からも津波来て、
ここでぶつかって渦巻いてさ、土を抉ってったんだって。

ほれ、そこが◯◯ちゃん家あったとこ。
指差す方を見ると、全然違う景色になっていた。
家がたくさんあったはずなのに何も無い。
この辺りの人達は、裏の小山へ駆け上がって助かったらしい。
近くの中学校も、生徒はみんな逃げて無事だったみたいだ。
小本から45号線に向かう。
山おりたら、景色が違うから、何も無いから。
姉ちゃんが話してくれる。
下り坂を降りながらしばらくしたら、何も無くなった街が見えて来た。
涙が出た。出続けた。
だって、分からなかったから。一瞬、ここがどこなのか。
信号はもちろん消えていて、他県の警察官が交通整理をしてた。

至る所に自衛隊のキャンプ?が出来ている。
道路の両端には瓦礫の山。折れ曲がった鉄骨。
打ち上げられた大きな船や、
無惨に壊れてしまった建物を横目に山田町へ向かった。
山田町は他と違ってた。
津波の後、火災が起きて街が黒焦げになったのだ。

町よりも、ほんの2~3m高くて無事だった役場へ行った。
ここにも、いろんな県から応援が来ていた。
公務員の方、ボランティアの方。物資の仕分けや配達をしてた。
道順を聞き、山田南小へ向かう。
体育館は避難所になり、何百人もの人達が避難生活を送っていた。
校庭には、自衛隊が作った大きなシャワーテントが2つあった。
スミマセン、子ども達に物資を持ってきました。
学校の方に話し、荷物を渡した。
必要な人はどうぞ」ロビーには、
衣類や食べ物や、赤ちゃん用品などがきちんと仕分けされて置かれていた。
どこかの団体の方ですか?と聞かれたが、
いえいえ個人です。とだけ言って、小学校をあとにした。
ここで避難生活してる方に申し訳なくて、写真、撮れなかった。

帰り道は、ところどころで車を降り、歩いた。
高さ10m以上ある田老の防潮堤の上に登った。
家が無い。壊れた車や、打ち上げられた漁船や、瓦礫ばかりだ。
もう、涙は出なかった。
あの景色は圧倒的だった。
延々と続く瓦礫の山。家の跡。散乱している様々な物。積み重なった車。

自分がどれだけ小さく、無力で、ちっぽけか突き付けられた。
ただ、呆然と海を見るしかなかった。
ホント、圧倒的な無力感しかなかった。