hana&おいしいモノ☆ -16ページ目

hana&おいしいモノ☆

   柴犬のハナと、いろいろ日記
       (ズボラなため不定期更新です)


翌日の12日は、さらに信じがたい出来事が起こる。
福島の原発1号機が水蒸気爆発をおこす。
14日には、続いて3号機、2号機までも。。。

福島沿岸の街の人達は地震や津波だけではなく、
原発からの放射能被害までも受ける事となってしまった。

東京にも、この日までにたくさんのセシウムやストロンチウムなどといった放射性物質が降り注いだ。らしい。
私がその事実を知ったのは事故数ヶ月後。気を付けてももう遅い。

原発事故以降、東京では節電の日々が始まった。
スーパーも真っ暗だった。しかも品物も無い。
お米もお水も、インスタント食品も売り切れ。牛乳や卵も無い。
どの棚も空っぽで、最初の日は何も買えなかった。
ごはんと缶詰類の食事になった。
それでも、温かいゴハンを食べられるんだ。
避難所の人達の食事の事を想像し、悲しい気持ちになる。




地震がおこって数日経つ。テレビに齧り付く毎日。
ようやく親戚達と連絡が取れるようになった。
宮古に住む姪っ子一家が一番心配だった。
津波が来た時間が時間だったので、
港の方にいってやしないかと気が気ではなかった。
3/12送信したらしい数日遅れのメールが届いた時の気持ちは忘れない。
「ろうそくで生活しています。生きてるってみんなに伝えて」
メールを読んで、わあわあ泣いた。
人の無事を知って、あんなに嬉しかった事は今まできっと無かった。
親戚知人には、家が2階まで浸水した人、家が無くなった人もいたけど
とりあえず、みんな命だけは無事だった。良かった...と、思っていた。
でも
従姉の旦那さんの妹さん家族3人が陸前高田で安否不明。
このことは、夏におじさんと会って、話を聞くまで知らなかった。




両親は、経営している飲食店で募金を募り始めた。
お客さんが、あたたかな気持ちを募金箱に入れて下さる。
ある程度の額になった時、
直接届けに行こうとなった。
4月5月の連休で岩手に行く事になった。
せっかく行くんだから、車に積めるだけの物を持って行こう。
みんなで相談して、子ども達の喜ぶ物をも持って行こうと決まった。
ジュースや駄菓子、おもちゃ、マスク、詰めるだけ詰んだ。
いろんな支援団体の方から様々なアドバイスをいただいた。
ネットで、子どもの数が多い避難所を調べる。
隣りに幼稚園も併設されている山田南小学校へ行く事に決めた。


お父ちゃんと、旦那と私、そしてハナ。
ガタガタになった東北道を、盛岡に向かって出発した。
高速では、かなりの数の自衛隊や警察車両を見かけた。
九州からだったり、四国からだったり、日本全国から応援がやって来ていた。

いつもなら2、3日はゆっくりしていく盛岡の親戚の家に寄り、
みんなの元気な顔を見てからすぐに岩泉へ向かった。







あれから1年が経ちました。
あっという間だった。

あの日、ワタシは
「あ、14時半過ぎたし、そろそろハナの散歩に行こうかな~」
って、ハナにハーネスをつけようかと思ったとこだった。
「ハナ~お散歩、行こっかぁー」なんてやってたら、
揺れはいきなりドンッとやってきた。
私はとりあえず、リビングの買ったばかりのテレビと、
その横の背の高いラックを両手で押さえていた。
でも、でも、、、全然揺れは治まらない。
それどころかひどくなっている気さえする。

パソコンラックの上の物が落ち、食器棚のスライド扉が凄い勢いで開いたり閉まったりして、中のお皿が右に左に揺れ動いているのが見えた。
他の部屋からも、ドンッバンッって、大きな音が聞こえて来た。
揺れている時間がとてもとても長く、永遠にも感じられた。
心の中で
「どうか収まって下さい。お願い!早くおさまって~!」と叫んでいた。
ハナは私の足下にピッタリとくっついて、ブルブルふるえていた。
もしかしたら、このまま死ぬのかなあ。。。なんて考えすら浮かんで来る。

揺れが収まって、テレビをつけ、そのまま旦那に電話をかけた。
何度もかけて、やっと繋がった!
涙がとまらなくて何を言ってるのか自分でもわからない。
「こわいよこわいよ」ってただ泣いてた気がする。
ハナは震えながら、私の側から離れようとしない。
旦那の「大丈夫だな?」の声を聞いたところで通話が切れた。

部屋を見て回った。食器は無事。
ガス栓を止める。
パソコンラックの上の物を、戻す。
本部屋に行くと、
3つあるうちの一番古い本棚の本が、全て散乱して山になっていた。
落ちた本の角が当たって、下に置いてあった段ボールが穴だらけになっていた。
ハナは余程恐かったのか私の側から離れない。

リビングに戻って、テレビを見た。
信じられない情報ばかりが私の耳に聞こえて来る。
震源が東北沖.......?
東京であれだけ揺れたんだ(震度5強)
向こうは?!大丈夫なのか!?
おじちゃん!おばちゃん!甥っ子に姪っ子!
電話をかけまくるけど、誰にもつながらない、
携帯、家電、メールどれもダメだ。伝言ダイヤルにもメッセージはない。
盛岡、宮古、岩泉、一関、みんな無事なのか
一晩中、泣きながら何度も何度も電話をかけ続けた。

それからはずっとテレビに釘付けだった。
地震から1時間くらいあと、津波の映像を見た。
噓だ。うそだ。噓だ。
知っている街の名ばかりが、テレビで叫ばれる。
「◯◯は壊滅状態です!」「◎◎は壊滅状態です!」
壊滅ってなに?!どういうこと?!
「住人の2万人の安否確認がとれていません。」
2万人てどういうこと??

夜には各地で火災まで起きてしまった。
地震に襲われ、津波に襲われ、その上に火事まで......
しかもあの日は、雪が降っていた。。。
寒かった。

その日から、
親戚や知人の安否が確認出来るまで
一晩中テレビをつけたまま、携帯を握りしめ
ソファで寝る生活が1週間続いた。












ここのところ、体調が今ひとつ良くないんだなぁ。。。

花粉症っぽくって、頭がひどく痛むせいなのか
SLEのせいなのか
1年前のあの日が近づいて来ているからなのか。。。

とにかくこの1週間、ゴロンゴロン寝てばかり居ます。
何にもやる気が起きません(´・ω・`)

かろうじて、お洗濯と食事の支度はしています。
・・・が、一番大事なハナのお散歩は、
ちょっと短めだったりする。

ごめんねー

ハナの方が「ままさんだいじょうぶ?」
って心配そうに覗き込んで来る始末






心配かけてごめんね。




あ”~しっかし、もやもやするよーぅ

もやもやもや~~




もうちょっとしたら、元気、出るかな~

いやいや、絶対出るはずだ~

がんばれー!ワタシ w  

・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o 気合いっっっ