友達と仲間は似ているようで違うものだと思います。
友達は一緒に色々なことを共有・共感しあう存在
仲間は同じ目標・目的に向かって協調しあう存在
両方が重なることはあるけれども
友達関係と仲間関係は維持する大変さが違うような気がします。
仲間関係はそれこそ喧嘩しあうのと同じくらいの大変さがあると思います。
お友達のようなズブズブではなく、
目標・目的の共有と共通認識、相互理解
友達の延長線上に仲間を考えてしまうと一方的な利用となり
結局は良好な仲間関係を築けないのではないかと思います。
仕事柄色んな本を読みます。
今回は仕事とは関係ない本ですが、
インテリジェンス―国家・組織は情報をいかに扱うべきか (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

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情報化社会と言われ、知りたいことは様々な手段で調べることができる世の中になりました。
かく言う私もネットや書籍などを通じて、昔では出会わなかったような
そんな出会いを日々体験しています。
しかし、そんな世の中になったけれども
それによってどれだけのことができるようになったのでしょうか。
この本はまだ冒頭しか読んでいませんが、
それだけでもいろいろと考えさせられました。
インフォメーション=雑多な情報
インテリジェンス=様々な情報を加工し、判断や決定に資するようにしたもの
この2つの言葉で考えると、確かにインフォメーションは沢山手に入るようになりました。
しかし、いや、だからこそインテリジェンスが重要になっているのではないかと思います。
そういえば、来週はセンター試験です。
学生時代にはがむしゃらに取り組んだものですが、
今、あらためて見てみると非常によく作られたものだと思います。
インフォメーションだけで解くと様々な見落としが生じ、混乱してミスをしてしまう。
しかし、インテリジェンスで考えると様々なヒントが導いてくれる。
色々文句を言う人もいるようですが、非常によく出来た問題だと思います。
センター試験にかぎらず、世の中には沢山のインフォメーションに踊らされ
その本質を見ようともしない。インテリジェンスを鍛えようともしない人たちが沢山います。
受験というものを一つのきっかけとして、インテリジェンスの重要性を感じて
そして社会に出る大人が増えてくれればと淡い期待を持ちました。
誰かに何かをさせる時、そこには2種類の方法があります。
「コントロール」と「コマンド」です。
「コントロール」は指揮命令権限が無い中で相手を動かすこと
「コマンド」は指揮命令権限が有る中で相手を動かすこと
数年触れてすらいませんが、管楽器の世界には「ブレス・コントロール」という言葉があります。
また、政治の世界では「シビリアン・コントロール」なんて言葉もあります。
管楽器を演奏する上で「ブレス」とは「コントロール」するもの、
しかし実際には「コマンド」できると勘違いして無理なことをしてしまう人が多い、
いやほとんどです。
そうなると非常に荒々しい、かと言って脆弱な
うるさいのだけれども、小さい
そんな変な音にしかなりません。
軍隊の方も同様です。
実際の現場のことは現場にしかわからないものであって、それを直接入ってかき乱すと
余計大変な事態を招いてしまうものです。
「コントロール」すべきものなのに「コマンド」しようとしてしまう
どんなものにせよ、「暴走」を産む危険をはらんだ状況となります。
逆に、「コマンド」すべきなのに「コントロール」しようとしてしまうこともあります。
本来は自分の「責任」において介入してでも対処すべきなのに
他人に丸投げしてしまう。しかも、一番大変な局面で・・・
「無責任」ですね。
「コマンド」すべきものは自分の「責任」において徹底的に「コマンド」し、
「コントロール」すべきものは「一定の距離」を置きながら慎重に「コントロール」していく
逆にならないようにしたいものです。
買ったはいいが、読めていない本が何冊もあります。
先日、思い立ってそのうちの1冊を読んでみました。
それがこの本です。
英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)/中央公論新社

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英語については沢山いろいろなことを調べていましたが、
色々と納得のいかないことが多く、難しいと感じて歴史を紐解こうとしたわけです。
結果、買って半年くらい放置してましたが・・・
英語の誕生は5世紀の「ゲルマン人の大移動」に始まり、
ドイツ北西部、デンマーク、オランダなどの地域にいた
アングロ人、サクソン人などのゲルマン民族がブリテン島に渡ったそうです。
その時期から11世紀のノルマン征服までの英語を「古英語」といいます。
「古英語」は語形変化が豊富で語順も自由な言語でした。
まるで「日本語」のようですね。
しかし、ノルマン征服によってフランス語のノルマン地方の方言が入り
語形変化は単純化し、それと時を同じくして「語順の固定化」が起こります。
語形変化で品詞を判断していたものが、単純な変化になれば判断しにくくなります。
しかし、語順が決まっていればそれで判断が出来ます。
その後、沢山の言語の影響を受けて現在の英語につながっていきます。
だいぶ端折りましたが、詳しくは本を読んでみてください。
そうやって考えてみると、日本語というのは驚くほど変化の少ない言語なのです。
ついでに調べたのですが、確かに発音は違いますし、単語の意味や文法も違います。
でも全く違う言語であると認識しなければならないほどではありません。
スタートが分からないので詳しくは分かりませんが、
約2,000年にも渡って様々なものを取り入れて発展したにもかかわらず、
脈々と同じスタイルを受け継いでいるということに驚きました。
「英語」を通して「日本語」を考える。
そういうことも、また「英語」を学ぶ意義ではないでしょうか。
「数」は「同じもの」を集めて初めて出てくる概念です。
厳密に「同じもの」でなくとも「同じもの」と認識するだけでもいいですが。
「同じもの」を複数集めた時に、その量を区別するために「数」があるわけです。
これが「量数」という考え方の「数」です。
「数」というものはそういうものであるからこそ、
まとめたり、分けたりという作業、
つまり足し算、引き算は「同じもの」じゃないと出来ないのです。
みかんを3個持っています。
りんごを4個もらいました。
バナナを2本食べました。
みかんはいくつ残っているでしょうか。
計算しないでしょ?
3個ですね。
「同じ」と区別して「集合」を考えることが「数」を感じるスタートなのです。
この前提を経て、ようやく「数の書き方」とかに進むわけです。
次回はこの「数」をどのように処理していくかの話です。