レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -471ページ目

思わぬ来客と語ったこと

1/6日曜日の昼過ぎ。

思わぬ方から電話が入った。

「明けましておめでとうございます。

今、そちらに向かっているんだけど会える?」

新刊屋時代にお世話になった取次のTさんだった。

取次というのは問屋のこと。

この業界、本屋、出版社数が万を超える中、

問屋数は指があれば数えるに足る。

歪といえば歪な構図だ。


そういえば去年の暮れ、僕は取次さんに電話をした。

何の用事がある訳でもなく、唐突に電話をしてみようと思った。

電話口に出た女性に自分の名前を名乗ると、

「お久しぶりです~。Fです。また、Tの下に戻ってきました。

KENさん、お元気?・・・」

「ははは~、地を這うような生活をしてまっせ。

来年は、絵本専門店を出すけどね」

「ええ~、本当?! 今日は出店のご相談?」

「そうそう。Tさん居る?」と。

Tさんが電話に出るや否や

「KENさん、本屋を出すってほんと?」

と、挨拶もそこそこに慌てたような声が響いた。

「お久しぶりです。そう、50坪5万冊からのスタート。

各出版社への出荷依頼お願いしますね。支払は1年据え置きね。なんてね」

「びっくりした。急に電話をしてきたのでほんまかと思った」

そんなバカ話をして電話を切った。

実に7年振りの電話だった。

そらあ、何事かと思うわなあ。




話は戻る。

当の本人は、電話をした事なんてすっかり忘れていた。

半時間後、以前より少しふっくらしたTさんが、

にこやかにやって来た。

話は尽きず時間はあっという間に過ぎた。

新刊業界の地図も随分変わり、

Tさんは、はしゃぐように元気だった時代を懐かしんでいた。

今日、Tさんは神戸から役員と茨木市に行き、

その足で堺に向かって来たという。

電話をして来たのは、堺市に入ってから。

「ところで、僕がいなかったらどうしてたの?」と聞くと、

「会えると思っていた」と。

なんと無謀な。


少し昔の話をしたい。

新刊屋時代、店の至近距離に大手古本屋が出店した。

僕はそれを受ける形で店内に新刊と古本を併設した。

趣味のように、コレクタブル品(レトロな機器、雑貨みたいなもの)も扱っていた。

例えば、ジュークボックス、エジソン蓄音機、電蓄など。

コレクタブル品は面白がられたが、

取次にとって古本はちょっと頂けない代物だった。

取次社内では、だいぶ問題になり、

一部では、古本を扱うような店と取引を続けるのは

如何なものかという声も出ていたらしい。

あり得る話だ。

僕は、古本を扱う時点で、腹をくくっていた。

当時、Tさんの上司Aさんが現場をご覧になり、

「分かった。やるからには成功させろ」と、言って下さった。

そして、現実にTさんとAさんが堰になってくれた。

Aさんには、それまでも個人的な相談に乗って頂いており、

あれこれとお世話になっていた。

Aさんは、現在役員になられているとの事で、

長年のご無沙汰の非礼をお詫びしてほしいとお願いした。


結果的に、僕は新刊屋をやめ、古本屋になったが、

それは大きな時の流れに如何ともし難い状況だった。

それから年月が経つに連れ、

僕は本の大切さをさらに実感し、町の本屋の必要性を感じている。

今や、本業界も町から本屋が消えていくのは宿命だと思っている。

或いは、流通コスト考えると、その方が好都合なのかも知れない。

ネットを含む大手書店ばかりに目を向けていると、

本の業界は小穴の開いた風船のように萎んでいくぜ。

それは、本当によい本が世から消えていく事にもつながる。

例えばアメブロの本に関するグルッポを見るだけでも、

その登録数は群を抜いていると思う。

これだけ本好きの人たちが全国に息づいているのに、

何か手はないのだろうか。


本屋が新刊と古本を併設するのは本当にマイナスなのだろうか?

本屋が拘るべきは、新刊と古本といった区分けなのだろうか?

それが、本を愛するお客に目を向ける事になるのだろうか?

古本の場合、表立った問屋はない。

取次でも古本卸部署をつくったらどうなの?

今日はTさんにそんな冗談とも本気とも取れる問い掛けをしてみた。


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