レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -4ページ目

8月おわりの思い出

先日、昭和コミックをこよなく愛する小学生がやって来た。

「もう夏休みも終わりやな。宿題は終わったのか?」と聞くと、既に授業は始まっていると。

驚いて聞き直すと、もう何年も前から小、中学校の夏休みは8月24日までらしい。

知らなかった・・・

諸事情があるのだろうけど、この暑い時期に始業を早めるのはやめてあげて欲しい、と思う。

この異様な夏の暑さは、今に始まった事ではないし、日々、何処かで熱中症で人が倒れている。

根性論ではない他の方法があるだろう。


僕が少年だった頃の夏の気温はどうだったのだろう?

学校の先生が、夏の気温が高くなっているのは、エアコンの普及のせいだ。

だから夜くらいはエアコンをかけずに寝なさい。

全家庭がそうすると、自ずと涼しくなる。と話していたのを覚えている。

まあ、それなりに暑かったのだろうが、今ほどではなかったという事だろう。

しかし、夏休みの終わりはなんとも寂しいものだった。

小学3、4年生の頃?のちょっとした思い出話を書きたい。

もう夏休みが終わろうとしているとある日の夕方。

グランド紛いのものがある公園のベンチに友だちと寝転がっていた。

グランド擬では、ランニング姿で野球に興じる子どもたちがワイワイ騒いでいた。

いかにも昭和時代の一風景だ。

友だちが「また、来年の夏休みも同じように過ごしているのかなあ」と、ポツンと言った。

その友だちは物心がついた頃からの悪友だった。そんな連中が、5、6人いた。

僕は「たぶん」と。

「その次も?」

「たぶん」

「その次は?」

「たぶん、ずっと」と、僕は答えた。

それから、僕たちは黙って流れゆく白い雲を眺めていた。

少し時間が経ち、白い雲が赤みを帯び出した。

野球少年たちも赤く染まりながらボールを追いかけていた。

友だちは体を起こして「ねぇ、kenちゃん。50年後、僕たちは何をしてるのかなあ? 50年というのは、どんな長さなのかなあ?」と言った。

しばらく考えたが、僕はそんな年になった自分を想像できなかった。

だって、来年も再来年も今とたいして変わらない少年なのだから。

「本当にそんなに延々と時は流れるのかな?」と僕は言った。

「・・・なんかこわいね」と、友だちが、頼りなげに言った。

僕も頷いた。

友だちはしばらく黙っていたが、徐に「・・・蚊がで出すからもう帰ろ」と言った。


この時期になると、唐突に古めかしい映写機が目の前に浮かび上がる。

そして、カチャッと言う音を立てて動き出し、その時の会話や光景を映し出す。

一通りフィルムが回ると、映写機はカタカタと音を鳴らしながら動きを止め、記憶のどこかに消えて行く。


それをどうしても家内に話したくて「ねぇ、つまらない話だけど、聞いてくれる?」と言った。

家内は、駄々っ子の目を見るように頷いた。

喋り終わると「私も似たような事を考えたよ。で、ゾッとするの。だけど、よくそんな昔の事を事細かく覚えているね。その記憶力、仕事に使えない?」と、笑いながら言った。

忘れるはずがない。あれから何十年もの間、夏の終わりになると仕掛け時計のように映写機がやって来るのだから。

そして、慣れた仕草でフィルムを回し終わると、記憶の何処かに消えて行く。

多分、50年経とうが60年経とうが、それから先も、夏の終わりが来ると、映写機がやって来て、その映像を映し出す・・・

良いも悪いもない、それはそう決まっているのだから。


社会に出て間もなく、友だちの実家は地域再開発で取り壊され、親御さんと共に三田市へ越して行った。

それから一度、町でばったり出会った。その時、僕はまだ生まれ育った町で暮らしていた。

懐かしくてやってきたと話していたような気がする。

それ以来、数十年も音信不通のままだ。


同じような環境に生まれ、同じようなレベルの高校に入り、同じ競技のクラブに入り、同じようなレベルの大学を出た。

特に示し合わせた訳ではなく、全て偶然だ。

ただ、彼は理系に進み、僕は担任の薦めを受けず、文系に進んだ。

貰った名刺もなくしてしまった。

兎に角、そこには大手建設会社の名前が書いてあった。

今でも何らかのカタチで在籍さえしていれば、連絡はつくかも知れないが、どう切り出していいのか分からない。

彼はまだ、子ども時代のそんな取り止めのない出来事を覚えているだろうか?

8月の終わりのつまらない話だ。