レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -323ページ目

青年、成穂堂に漂着する

初夏ともいえる太陽の光が降り注ぐ昼下がりに、その青年はやって来た。

ゲタ履きに少し大きめのコットンパンツ、首にタオルを引っかけ、

肩から斜め掛けにくたびれた布地のバッグをぶら下げている。

頭髪は坊主あたまが少し伸びたまま

自然に任せているといった風だ。

まるで、一世代も二世代も前の青年が

忽然と目の前に現れたようだ。

青年は暫く、本棚を見ていたが、

「あのう、このリストの本を探しているのですが・・・」

と、頭を掻き掻き言った。

リストを見せて貰うと、いくらかは知っている書名がある。

丁寧に書名、著者、出版社、シリーズ、発行年度が書かれていた。

恐らくは、殆どが絶版になっているだろう。

「これを探すのは難しいんちゃいますかね。

かなり古い専門書ばかりですもんね」

と、僕は言った。

「はい。堺で分かる範囲の古本屋さんは回りました」

「で、うちにたどり着きましたか」と、僕は笑った。

青年も素朴な笑みを浮かべ「漂着ですね」と笑った。

「一点だけですが、うちにありますよ」と、言うと

「本当ですか!高いですか?」と。

僕はそれには答えず「学生さんですか?」と、聞いた。

青年はうちの店からそう遠くない所にある大学の一年生だった。

人間学を中心にあれこれ学ぶ、不思議な学部に通っていた。

その広大な敷地を持つ大学は、僕にとって不思議と縁のある大学だった。

たったそれだけの理由で、青年を身近かに感じる。

人とは随分、得手勝手なものだ。

僕は本棚から一冊の本を取り出してきて青年に渡した。

「元々、僕の本です。差し上げます」と、僕は言った。

結局、青年は他に何冊かの社会学の本を購入し、

「本、頂いてすみません。また、ちょくちょく来ます」と言って、帰って行った。

それから青年は時々店に顔を出すようになった。

7月下旬、青年とゆっくり話が出来る機会があった。

青年は愛知県の田園が広がる田舎で、のんびり育ったという事。

なぜか古めかしい「和」を感じるものに惹かれるという事。

人という生き物にとても興味があるという事。

将来、大学院に進み、いずれ大学の教壇に立つつもりだという事。

こうして、確たる目標を持って道を突き進もうとする人間というのは、

どこか颯爽としていて輝いているものだ。

僕が青年と同じ年頃の時には、

何を目指せば良いのか全く見当もつかなかった。

そして、大学を就職の方便程度にしかとらえていなかった。

そんな愚かな大学時代をおくったのが、悔やまれる。

過ぎた事を悔いている時間があるのなら、

今、自分が目指しているものに向かって進むが宜しかろう。

青年に沈黙の叱咤激励をもらったような気がする。

そうなのだ、僕にはいくつか実現させないといけない事がある。

その為には、今の試みを軌道に乗せなければならない。

人には各々、頑張り時というものがある。

それが何年続こうともへたっちゃいけない。

へたをすると一生頑張り時かも知れない。

這いつくばってでも前を見ろ!

そう自分に言い聞かせる成穂堂店主であった。


因みに青年に譲った本て何?成穂堂はんでも本を読むのか?と疑問だった方。

僕でも本を読むのだ。

ただ、あまり一般向きしない為、あまり記事にする機会がないだけである。

かつて通販に出す為、写真に撮って置いたのを思い出し探してみた。



遊びと人間



カイヨワ著の「遊びと人間」という本だ。

現代社会における、様々な遊びについて、体系的に論じている。

「遊び」と侮るなかれ。その本質は資本主義にも深く結びついている。


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