レトロショップ成穂堂ケンの苦悩と爆笑の日々 -285ページ目

生きるということを考える

少し重い話である。

だけど、日記として書き残したかった。

しんどい方はスルーして頂きたい。

先月末、母の体調が思わしくなく、

掛かり付けの病院から循環器系の専門病院を紹介された。

検査の結果、たこつぼ型心筋症であることが分かった。

「たこつぼ型心筋症って?」と、主治医に聞くと、

心臓左心室の下部がコブのように垂れさがり、

うまく心臓が働かなくなる病気なのだと。

原因は分からないが、ストレス性の事が多く、

ほぼ完治するということのようだ。

しかし、容態は急変した。

心肺停止。

慌ただしく複数の医師と看護師が走った。

どれくらい時間が経ったのだろう、

あちこちを機器に繋がれた母がICUにいた。

一命はとりとめたものの、危険な状態は続くらしい。

かねてより母からは、

自分に何かあればそのまま逝かせて欲しいと言われていた。

それがどういったタイミングを指すのか僕には分からない。

その旨、主治医に伝えると、

「たこつぼ型心筋症は治ります。ですから、蘇生をはかりました」と。

その後の検査で、たこつぼ型心筋症の他に

心臓の弁がうまく機能していないことが

容態急変の原因だと分かった。

たこつぼ型心筋症が治っても、弁の治療が必要らしい。

投薬になるか手術になるか、様子次第らしいが

年齢を考えると厄介な事になりそうだ。

母はICUに入って以来、睡眠薬で眠り続けた。

今週に入り、機器はいくつか外れたが、まだ眠り続けたままだった。

昨夕、姪から電話が入り「おばあちゃんが」と言うので、

ダメだったかと覚悟したが、

「叔父さんに会いたがっている」と。

僕は「目が覚めているの?」と、驚いて言った。

「うん。筆談だけど、意識もしっかりしている」と。

電話を切ったその手で店を閉め、僕と家内は病院に向かった。

母はまだ呼吸が自由に出来ないため、喉を切開し、

そこには痛々しくチューブが差し込まれたままだった。

母にペンを持たせると、弱々しく「あいたかった」と、書いた。

これほど、説得力と心に刺さる文字はない。

そして筆談の最後に「しんどい。もうおわりにしたい」と。

僕は「治る病気だから、治してしまおう」と言ったが、

母は首を横に振った。

「がんばるのはいやか?」と、聞くと、

二三度頷いた。

心肺停止の時に、医師たちは当然のように、その命を助けに走った。

今の母の苦しみ、そしてこれから待っているであろう苦難を考えると、

母の命をとりとめたのは、果たして喜ぶべきことだったのだろうか?と思う。

僕と家内は母に「少しずつよくなるからね」と、言ってICUをあとにした。

僕たちを見送る母の目は何を訴えていたのだろう?

開高健は何かの本で、

自分の気持ちを表現出来ないのはプロの文筆家ではない

といったようなことを書いていた。

僕は文筆家ではないので、堂々と書ける。

今の僕の気持ちは言葉に出来ない。