村上春樹「ウィズ・ザ・ビートルズ」に思う
学生時代の親友の長男T君から手紙が届いていた。
先日、奥さんから届いた年賀状に書かれていた事について、手紙を送っていたので、その返信だった。
端折るが、その年賀状には、「僕の父がどんな人だったかを少しでも知りたい」と、丁寧な文字があった。
親友が亡くなったのは、今回手紙をくれたT君が一歳の時だった。
そのT君がもう二十六歳になると言う。
親友は子供を二人もうけた。三つ違いの姉弟だ。
親友が亡くなった年の暮れ。世間がクリスマスで賑わっている中、父を亡くした家族はどう過ごしているのかと思うと、いたたまれない気持ちになった。
僕はこの姉弟にクリスマスプレゼントを買い、唐突に親友宅を訪ねた。
T君が小学校に上がるまで、それは続いた。
それから随分と月日が流れ、親友のご両親も鬼籍に入っている。
今は、親友の奥さんと忘れ形見二人の三人が暮らすのみだ。
余計な事だが、三人が暮らすには、その家はいささか大きい。
かつて弾けるように笑っていた二十二歳の女性は、孫がいてもおかしくない年齢になりつつあり、その子ども達は我々が知り合った年齢をとうに超えている。
自分が歳を重ねた事はさほど気にならないが、
自分の関わってきた人たちが歳を重ねていくのを感じる事は、どこか物悲しい。
ふと、村上春樹「一人称単数」に収録されている「ウィズ・ザ・ビートルズ」を思った。
そこにはこう書かれている。
『歳をとって奇妙に感じるのは、自分が歳をとったということではない。かつては少年であった自分が、いつの間にか老齢といわれる年代になってしまったことではない。驚かされるのはむしろ、自分と同年代であった人々が、もうすっかり老人になってしまっている……とりわけ、僕の周りにいた美しく溌剌とした女の子たちが、今ではおそらく孫のニ、三人もいるであろう年齢になっているという事実だ。そのことを考えると、ずいぶん不思議な気がするし、ときとして悲しい気持ちにもなる。自分自身が歳をとったことについて、悲しい気持ちになるようなことはまずないのだけれど。』
村上春樹氏は僕より上の世代だが、そんなに遠くない将来、僕も同じような事を感じるのだろうと思う。
いや、既に感じはじめている。
夜、布団に入り目を瞑ると、自分が少年だった頃、学生だった頃の思い出が、ローダンシリーズのように止めどなく溢れ出てくる。
すでにどれが第1巻でどれが第627巻か分からないほどに。そしてそれは、第何巻まで続くのかも分からない。
将来の事を夢見るように思い描くより、過去を思い起こし、我が周辺をどう始末するかを考えるというのが、年老いるという事なのだろうか。
そうはいっても、僕はこうして現役で商売をさせてもらっている。
身体も鍛え直そうと真剣に剣道を再開した。もうしばらく若々しく頑張ろう。
コロナが落ち着きをみせたら(みせるのか?)T君と一杯やろうという事になっている。
僕は下戸なので、ノンアルコールでお相手することになるが・・・
まさか、親友の子どもとそんな約束をする日が来るとは思いもしなかった。