遂に起こったR・マドリーの大革命
Emmanuel Adebayorのレンタル移籍決定で、
深刻なFW不足回避を目論むR・マドリード。
強豪と対峙する際に欠かせない、この”9”の獲得に至った
過程には、常識とされたマドリーの歴史を覆す事実があった。
それは、一人の監督が補強に関する要望を出し、
会長以外の人間が、決定権を与えられたというもの。
モウリーニョ監督は、フロレンティーノ・ペレス会長の意見とは
関係なく、今回の移籍を実現させたといえるのだ。
この事実に辿り付くに至るまでに、
事態が最も大きく揺れ動いたのが『ウーゴ・アルメイダ事件』。
この冬、モウリーニョ監督が補強要員として
最初に求めたのがこの選手なのだが、
結局のところアルメイダは、ベシクタシュとの契約に至ってしまった。
この契約締結の裏には、モウリーニョ、C・ロナウド、ペペ、ディ・マリア
なども担当するホルヘ・メンデスという代理人の存在が
大きかったらしいが、実際のところは、
ペレス会長の『拒否』ほど大きな要因はない。
モウリーニョは、それまで絶対的な協力姿勢を
見せていたにもかかわらず、晒されたこの会長の傲慢な態度が
気に食わなかったことは、当然のことといえるだろう。
事実、それまでは、ラウルをクビにし、新たなFWを獲得したいという
モウリーニョのリクエストを除き、両者の関係は良好であったことが
クラブ関係者の発表で明らかとなっている。
この中には、ケディラ、カルバーリョ、ディ・マリアという
これまでのマドリーには考えられないような補強を許し、
モウリーニョによるペドロ・レオンおよびカナレスの
レンタル中止の直訴を受け入れたことでも実証されているだろう。
この20年間で、バルサが抱えた監督数は10人、
リバプールは6人、アーセナルが4人、チェルシーが12人
であるのに対し、マドリーは25人が名を連ねている。
これはこのクラブの指揮権と、監督、選手の関係が
決して円滑なものではない、組織内の風土が存在する
何よりの足跡ともいえるはずだ。
ペレスは、ウーゴ・アルメイダを欲したモウリーニョは、
A級のネームバリューを有していない選手に金など出せない
クラブの財政状況を理解していないと感じたことされている。
しかし、モウリーニョがこの歴史的なクラブに
欲したのは一選手ではなく、「実権」であったはずだ。
この頃、モウリーニョが口にしたのが
『この戦いに勝利できるのかはわからない。
サッカーにおいて、私はこれまで立ち塞がる外部の敵に
打ち勝ってきた。
だがしかし、同じ組織内の争いに勝てるのかは分からない。』
という言葉。
この度、モウリーニョが切願していたことが叶い
アデバヨールという強力なFWを獲得し、
マアマドゥ・ディアッラがモナコに旅立たせた。
さらにモウリーニョは、フロレンティーノ・ペレス会長による
指令の実行部隊の筆頭であるバルダーノGMに
『試合前後のロッカールーム立ち入り』を全面禁止とし、
不必要な練習場への立ち入りさえも厳禁とした。
モウリーニョとバルダーノとの関係は
「マドリーはモウリーニョを擁護すべし」 でも触れたように
決して良好なものではなかったのだが、つまり、モウリーニョは
バルダーノと選手達との不要なアクセスさえも制限することに
成功したともいえる。
これまで必要以上の権力を握っていたペレスとバルダーノ
の絶対的な立場を革命的に変えつつあるモウリーニョ。
彼は、あの名将デル・ボスケさえ成し得なかった
新境地に歩みを進めている。
フィーゴのツケ
子供がお昼寝をしている間に、
部屋の掃除をスタート。
ところが、気になってしまったユニフォームコーナー。
ついつい整理整頓を開始。
子供が「サッカー馬鹿になったら困る」という理由で(!?)
所狭しと隠されているユニフォームたち。
そんなコレクションの中に、
『ジダンの汗が臭い 』でご紹介したように、ウチの奥さんから
『ナニ?このユニフォーム!汚い!』
と発狂されたこんな貴重なユニフォームも入っています。
燦燦と輝く『背番号5』に
『JAPAN 04』と刻まれたバッジ
これぞまさしく、マドリーのジャパンツアー2004、
8月1日 VS 東京ヴェルディー で実着用された
良いのか悪いのか、未洗濯なので、
泥や汗シミの跡がクッキリと確認できます。
2004のジャパンツアー、懐かしいなぁ。
お台場の宿泊先でセサル先生と談笑したのも
このときでございました。
(画像参照方)
その飲食代を
フィーゴの部屋のツケ
にしていた彼はやっぱり天才だと思う(笑)
クラブは誰のもの?(2)
クラブ売却の最終段階で振り回されっぱなしの
ラシンギスタ達。
昨日晩、ようやく包括的な契約に至ったとの報道があったが、
その前日、新聞各紙を賑わせたのは、『もしものために、私は個人的に保有している
株を売らないつもりだ。』
というカンタブリア自治州の州知事レビージャ氏のお言葉。
実は、ラシンの新オーナーとして名乗りを挙げているアリ氏は
昨年、イングランド・プレミアリーグのブラックバーンの買収を試み、
これをクラブ側が拒否されている経緯や、
延々と遅延し、不信漂うこの取引に、警鐘を鳴らす始末。
オラが街のクラブチームを誇りにするラシンギスタ達にとって、
買収に名乗りを挙げたのが名も知らぬインド人であっただけでなく、
まともに挨拶さえないことは侮辱と同じ。
『このまま破談になれば良い』
という厳しい意見が巻き起こるのも無理はない。
ケースは異なるが、今シーズン、セルタ・デ・ビーゴが
オフィシャルサプラーヤーとして中国のスポーツブランド
"LI-NING"と契約した際には、
多くのSocio達が、不服な姿勢をとったことが報じられた。
たかがいっては失礼だが、
サプライヤーにチャイナマネーが入っただけでこの始末である。
これが経営陣の国際化となれば、
ことはさらに複雑化を想像させる。
ここ数年、スペインではロシア系米国人がアラベスを、
スペイン系メキシコ人がレアル・オビエドを買取り、
さらにマラガがカタールの王族にクラブを身売りしている。
90年代後半からワールドワイドな進出が顕著となった
リーガエスパニョーラが招いたのは、トップ2という富豪と、
多くの貧民であるが、景気低迷という追い討ちを受け
経営難に喘ぐクラブにとっては、『存続』こそ最優先事項
であることは否定はできない。
確かに、豊富な資金ありきのクラブ経営は、
一見Socioを満足させ、さらにはその街にも付加価値を付けるが、
地方のクラブチームを支える一番の要因は
”ローカルプライド”。
かつてのように、クラブに愛着を持った経営者が
身を削りながら、地場産業として栄える地元企業と
持ちつ持たれつの関係を維持しつつ、共に成長を試みる
そんな構図が失われれば、クラブチームが持つ
アイデンティティすら変貌を遂げてしまわないだろうか。
サッカービジネスの国際化がもたらす影響は
そんな地域性にも波及する可能性も含んでいるし、
そもそも、そのクラブの歴史的価値への理解も
愛着すら持たない人間による経営は、
クラブにとってマイナス要因を生むリスクが大きい気がしてならない。
安定したビジネス環境か?
愛着あるローカル経営か?
格差時代の生き残りを懸けて
そんな選択に迫られているスペインの地方クラブ。
10年後のスペインでも、閑散とした練習場で、
満員からは程遠いスタンドで、
のらりくらりと戦うチームを話題に、
好き勝手語らうベテランSocioたちの姿を見たい。
クラブは誰のもの?
『クラブチームは誰のもだ?』
スペイン北部カンタブリア自治州のサンタンデールでは
そんな喜ばしくない話題が飛び交っている。
スペインのマスメディアに突如その名を轟かせたのが
インド人の投資家Ahsan Ali Syed。
彼は先週、ラシン・サンタンデールの筆頭株主および
カンタブリア自治州政府との交渉の末、
自らが経営する投資会社「Western Gulf Advisory」の名の下
『私はReal Racing Club de Santanderの新たなオーナー
となれたことに興奮し、誇りに感じている。』
と発表。このクラブの株を買い取ることで、
事実上のオーナーとなることを大々的に公表している。
言うまでもないが、
実際には5千人にも及ぶ個人株主が存在する故、
”オーナー”というよりも80%以上の株を保持する「筆頭株主」
と表現するのが妥当かもしれない。
ここでアリ氏が用意すべき金額は、
クラブが抱える借金などを含め20,000,000ユーロといわれているが、
さらにこの先5年間で90,000,000ユーロを用意するという
'Proyecto Furia'が大プロジェクトも発表されており、
これまで有力な投資家に身売りし、同じような歩みを進めた
マンチェスターシティーやマラガのように借金苦からの
脱出を実現させるとも推測されている。
しかし、インドにおける資産家ベスト100には
その名を連ねていないものの、交渉を仲介する
スイスクレジット銀行によると、36歳という若さからは
想像できないほどの資産を抱えるというアリ氏による
クラブ買収の最終段階は、実は足踏み状態。
上記の報道から十分な時間が経ったにもかかわらず、
予定していた渡西も実現することはなかった。
それどころか、自治州の代表者をチューリッヒに呼び出し、
最終交渉を明日(土曜日)行うことになったことから、
地元のサポーターやマスコミからは、
ある種の批判が巻き起こっているというのだ。
「アリ氏が多忙」。
ただそれだけの理由で振り回されるラシンギスタ達。
雲行きが怪しくなったラシンの売却に、
遂に、意外な男が警鐘を鳴らした。
(続く)
『当時は、スペイン人選手に重きを置いていた』
MARCA紙に懐かしい顔。
Don. イバン・カンポ
振り返れば”R・マドリー史上最も白の似合わない男”と称された
イバン・カンポですが、スペイン代表でも活躍。
マドリーを立ち去った後、ボルトンでは、その独特の風貌と
キレのあるボール捌きで人気者としての7年間を過ごし、
その後はキポロス島のAEK Larnacaでチームの一部昇格に
大貢献していたそうです。
当ブログでも、これまで『引退撤回 』
『R・マドリー史上最も白が似合わない男 』などの記事で
話題にさせてもらってきた彼が、MARCA紙で
現在の自身の境遇、さらにリーガエスパニョーラについての
所感を述べています。
『キプロスを離れることも悲しみではなかった。
ボルトンでも、スペインでのプロ生活の期間を超える
7年間を過ごし、旅立つことになったときも、
次のステップの好機であると認識し、一歩を踏み出していた。
これからはMallorca indoorでプレーすることになる。
その後は、選手の代理人を目指すことにしている。』
16年間自分の代理人であったミゲル・アンヘル・セルメーニョ氏
を師と仰ぎ、サッカービジネスの裏舞台で活躍することを
望んでいたとは、正直意外。
『モウリーニョは、イングランド時代に良く知った人物であったが、
彼はひとつのやり方に執着せずに仕事をするという印象だね。
一度彼と知り合えば、君を擁護してくれるという
素晴らしい人格者だと聞くよ。
関わった選手は誰もが、彼を称えていた。
(グアルディオラとモウリーニョの違いについて)
モウリーニョに関しては、選手と係わり合い方、
マスコミとの関係構築において惹かれるものを感じるし、
ペップの特徴は繊細さにある。
彼のサッカーを見る目は独特なんだよ。
どちらが優れているかなんて愚問だね。
ただし、マドリーとバルサの大きな違いは、カンテラ戦略にある。
バルセロナは自分達が抱える若者達に対する
信頼度が桁違いなんだ。
マドリーの場合、イケルやグラネロのような若者が現れると、
高額はコストを費やした外国人選手との選択を迫ってしまう。
僕がマドリーにいたときとの違いは、
スペイン人の多さかもしれない。
何かあるとお互いに助け合ったものだよ。
スペインのチームなのだから、その辺はしっかりと考慮に入れるべきだと
思っている。
実際、あの頃はそのスペイン人選手を中心とした良いチームだった。
3度の欧州チャンピオンに加え、重要なタイトルを奪取したんだからね。』
と談話を締めながらも、
最も印象的だったチームメイトを『ジダン』と答える辺り、
実にイバン・カンポらしいのですが(笑)
確かに当時は、様々な意味で、重きを置かれていた
スペイン人選手たちに加え、ジダン、フィーゴなど、
人気・実力共に兼ね備えていたネームバリューの高い選手で
色添えをしていたという印象のR・マドリー。
古株のベテランSocioたちが
「付加価値も重要であるが、誰もが愛着を持てるクラブ作りを」
と訴えるのは、そう遠くない過去のマドリーが記憶にあるからかもしれません。
懐かしのカンポ君の言葉に、
忘れかけていた「そんな何か」が思い出されたのでした。




























