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【ベルナベウの悲劇】
・【R・マドリーと極右翼の悲しい接点】
祭りが終わった夏休み
久々のブログ更新となります。
今年も猛暑に見舞われる日本列島ですが、
皆様はいかがお過ごしでしょうか。
こちら青森は、毎年恒例の大行事『ねぶた祭り』も終焉し、
急に静まり返った街並みが、秋の訪れが近いことを感じさせます。
しかし
しかし
ねぶた祭りの虜となった我が家の息子君は、
祭りが終わっても、未だ『ねぶたモード』全開(笑)
太鼓の代わりになるものを見つけては
お囃子の太鼓叩きを真似したかと思いきや、
どこで覚えたのか、祭りを楽しむ沿道のお客をまねるべく
御座代わりになるものを見つけては床に敷き、
お気に入りのぬいぐるみを隣に座らせると、
りんごジュースを楽しみ始める始末。
そしてぬいぐるみには、自分の飲みかけの牛乳。
果たして息子君のねぶたごっこはいつまで続くのか??
幼いの観察眼に驚きを覚えつつ
彼なりに2歳の夏を楽しんでくれたら良いなと
皆さんも素敵な夏を満喫ください
訪れた喪失感
ビクトルとの出会いは、今から16年前の1996年3月。
当時はまだ21歳の新星だった
ビクトル・フェルナンデスが、
突如『現役引退』を発表しました。
彼が最後に所属したのは、彼が幼少時代に所属し、
サッカーのいろはを学んだ2B所属のレガネス。
彼の実家の目の前を本拠地とするこのクラブを2部に昇格させるべく
Ⅰ部昇格も夢ではなかったカルタヘナから
「無報酬」を条件に移籍したビクトルですが、
シーズン終盤を迎えた現在、このカテゴリーにおける降格圏に
片足を突っ込んでいる状況です。
この状況でまさかのサプライズ・・・
存続の危機さえ迎えているクラブ側は、苦肉の策として
シーズン終了までだったビクトルとの選手契約を終了し、
彼との監督契約を結んだことを発表しました。
20年のプロ生活の中で
公式戦出場試合数 627
総ゴール数 177
身長160cmのFWが残した数字としては
まさに驚異的な数字と言えるはずです。
リーガエスパニョーラにおける日本人ファーストゴールを生む
アシストを披露した
のもこのビクトル。
彼が僅か1試合ながらも、スペイン代表に召集されたのは、
その城彰二がバジャドリにレンタル移籍していた時のことでした。
クロアチアとのフレンドリーマッチで、
ルイス・エンリケに代わって登場したときには、
朋として誇らしかったなぁ。。。
奇しくも、引退発表を迎えるに至ったこの4月17日で
38歳の誕生日を迎えていたビクトル。
バジャドリ、ビジャレアル、カルタヘナ…
所属するクラブのサポーターからは常に深い愛情に包まれてきた
彼に最も似合うのは、満員のスタンドから惜しみない拍手を
受けての引退シーンではなかろうか。
いつかはこの日が来るとはわかっていても、
こんな地味な引退劇は、なんとも味気ない、
そう思わざるを得ないのです。
Gracias eterno 21 de nuestro corazon...
3・11
「3・11」。
2004年にはマドリードで連続列車爆破テロに遭遇。
そして、昨年の「東日本大震災」。
今日は、脳裏に焼きつく惨事を思い出すに相応しい日。
死への恐怖と、
生きていることへの喜びを感じた二度の3・11。
とりわけ、まだその傷口が癒えない人々が多数存在する
東日本大震災の復興については、
日本人なら誰しもが考えるべき問題かもしれません。
思えば、1年前のこの時間、
我が家は電気、水…というライフラインが断たれ、
寒さを堪えながらロウソクの火を囲んでいました。
この日を迎え、スペインEL PAIS紙のネット版には、
「FUKUSHIMAの1年」という特集があり、
”あの日と今日”と題された画像比較が掲載されていました。
あの日から今日まで、
一体どれだけの事柄が「棚上げ」されているのでしょうか。
気持ばかりの義援金を送っただけの自分が
いえたことではないですが、
あの頃、多くの国民が口にした
「自分にできることをする」
という気持ち。
1年経った今日、そんな気持ちを思いだせた人たちが
一体どれだけいるのか。
何も神妙になれとは申しません。
ただ、恐ろしいのは【無関心】。
震災で一つの時代が終焉を迎え、
新たな時代が始まったはずの震災後の日本。
原発、被災者、復興・・・
この国の「今」を知らずして、
どんな歩みを進められるというのでしょうか。
被災地からほど近い青森の街中で
ただ馬鹿騒ぎしている若者を見かけると、
EL PAIS紙に掲げられた
"技術大国・日本が、実は脆く、
壊れやすい国であることを露呈した日"
という文字と目の前の光景とが重なり、
この国の未来に、いささかの不安を感じるのでした。