3・11
「3・11」。
2004年にはマドリードで連続列車爆破テロに遭遇。
そして、昨年の「東日本大震災」。
今日は、脳裏に焼きつく惨事を思い出すに相応しい日。
死への恐怖と、
生きていることへの喜びを感じた二度の3・11。
とりわけ、まだその傷口が癒えない人々が多数存在する
東日本大震災の復興については、
日本人なら誰しもが考えるべき問題かもしれません。
思えば、1年前のこの時間、
我が家は電気、水…というライフラインが断たれ、
寒さを堪えながらロウソクの火を囲んでいました。
この日を迎え、スペインEL PAIS紙のネット版には、
「FUKUSHIMAの1年」という特集があり、
”あの日と今日”と題された画像比較が掲載されていました。
あの日から今日まで、
一体どれだけの事柄が「棚上げ」されているのでしょうか。
気持ばかりの義援金を送っただけの自分が
いえたことではないですが、
あの頃、多くの国民が口にした
「自分にできることをする」
という気持ち。
1年経った今日、そんな気持ちを思いだせた人たちが
一体どれだけいるのか。
何も神妙になれとは申しません。
ただ、恐ろしいのは【無関心】。
震災で一つの時代が終焉を迎え、
新たな時代が始まったはずの震災後の日本。
原発、被災者、復興・・・
この国の「今」を知らずして、
どんな歩みを進められるというのでしょうか。
被災地からほど近い青森の街中で
ただ馬鹿騒ぎしている若者を見かけると、
EL PAIS紙に掲げられた
"技術大国・日本が、実は脆く、
壊れやすい国であることを露呈した日"
という文字と目の前の光景とが重なり、
この国の未来に、いささかの不安を感じるのでした。







