蛭子能収(よしかず,174cm,91kg,O型,1947年10月21日(74歳))は-  о日本の漫画家  оタレント  оエッセイスト  -である。 ★蛭子能収(よしかず,1947年10月21日(74歳)) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 えびす よしかず 蛭子 能収 生年月日 :1947年10月21日(74歳) 本名 :同じ 愛称 :蛭子さん 出身地 :熊本県牛深市(現:天草市) 国籍 :日本 学歴 :長崎市立長崎商業高校 職業 :漫画家 イラストレーター エッセイスト タレントなど 所属 :ファザーズコーポレーション ジャンル :劇画 ガロ系 鬼畜系 ヘタウマ 不条理漫画 サブカルチャー 活動期間 :1973年(21歳) - 親族 :有り 公式サイト プロフィール 主な作品 漫画作品 『パチンコ』(デビュー作)1973年(21歳) 『地獄に堕ちた教師ども』1981年(29歳) 『私はバカになりたい』1982年(30歳) 『私の彼は意味がない』1982年(34歳) 『家族天国』1986年(36歳) テレビ番組 『ローカル路線バスの旅』2007年(59歳)-2017年(69歳) 受賞歴 ガロ新人募集 入選(1973年(21歳)『パチンコ』) 蛭子 能収(えびす よしかず、1947年10月21日 - )は、日本の漫画家、タレント、エッセイスト。ファザーズコーポレーション所属。 概要 1947年10月21日熊本県天草市生まれ。長崎県長崎市育ち。長崎市立戸町中学校卒業。長崎商業高等学校卒業後、地元の看板店に就職するも、つげ義春の『ねじ式』に衝撃を受けて1970年(18歳)に上京し、看板屋、ちり紙交換、ダスキンのセールスマンなどの職を経て『月刊漫画ガロ』(青林堂)1973年(21歳)8月号掲載の入選作『パチンコ』で漫画家デビュー。その後、3年間の休筆期間を経て伝説的編集者の高杉弾と山崎春美の依頼により1979年(27歳)に伝説的自販機本『Jam』(ジャム出版)でプロの商業漫画家として再デビューする。その後、ニューウェーブ自販機本『HEAVEN』での執筆を契機に官能劇画誌などの媒体にも進出し、アンダーグラウンドなエロ本を中心に数多くのエロ劇画や不条理漫画を発表する。以来特異な作風で注目を集め、元祖ヘタウマ漫画家としての地位を確立する1981年(29歳)、初単行本『地獄に堕ちた教師ども』を青林堂から上梓、これを機にダスキンを退社して漫画家として独立する1980年代後半からは柄本明との出会いを契機として芸能界でのタレント・俳優活動に比重を移し、1987年(35歳)に劇団東京乾電池の公演「台所の灯」に出演して以降『笑っていいとも!』(フジテレビ)へのレギュラー出演やテレビドラマ『教師びんびん物語II』(フジテレビ)への出演を皮切りに数多くのテレビ番組に出演している。また、芸能活動と並行して狂気と毒をはらんだ前衛的で難解な漫画作品を精力的に発表し続け、商業的な成功には恵まれなかったが、日本漫画に新たな表現の地平を切り拓く呉智英の『現代マンガの全体像』で手塚治虫、大友克洋、楳図かずお、水木しげるらと並んで評価された漫画家の一人であり、2019年(67歳)春に府中市美術館で開催された「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」では歌川国芳、萬鉄五郎、アンリ・ルソーら歴史的な美術家と並んで作品が展示された主な著書に漫画で『地獄に堕ちた教師ども』『私はバカになりたい』『私の彼は意味がない』『私は何も考えない』『なんとなくピンピン』『家族天国』『蛭子能収コレクション』、エッセイで『正直エビス』『ヘタウマな愛』『こんなオレでも働けた』『ひとりぼっちを笑うな』『蛭子能収のゆるゆる人生相談』など多数。 経歴 生い立ち 1947年10月21日、熊本県牛深市(現天草市)生まれ、長崎県長崎市戸町育ち。5歳年上の兄と8歳年上の姉がいる末っ子。 中学2年生の時に、不良グループに強制的に入らされ、いじめを受けていた。使い走りや持参した弁当をご飯と梅干しだけの日の丸弁当に無理矢理交換させられたり、学校で事件が起こると濡れ衣を着せられていた家に帰るとノートに嫌いないじめっ子を殺す漫画をひたすら描いて、学校の不満などを発散させていたと語っている。この頃の将来の夢は「どこかの会社の事務員になること」であった。 長崎商業高等学校時代は、兄の勧めで美術クラブに所属。そこで初めてグラフィックデザインに出会い、横尾忠則、宇野亜喜良、粟津潔、亀倉雄策、佐伯俊男に大きな影響を受ける。当時はグラフィックデザイナー志望だったが、高校卒業後は地元の看板店に就職。当初からいずれは会社を辞めたいと思っていたと言い、看板店の同僚が主宰する漫画サークルに参加する。看板店には1965年(13歳)から4年半勤務し、看板設置などの仕事をしていたが、漫画サークルで『ガロ』1968年(16歳)6月増刊号「つげ義春特集」を読み『ねじ式』に感銘を受け、「大阪万博を見に行く」と嘘をついて1970年(18歳)に無断で上京。 上京 看板屋では事ある毎に自分を執拗に怒鳴りつける先輩のしごきに耐える寮生活を送り、憤慨した蛭子は先輩の同僚を残酷に殺す漫画を描くなど、創作活動に当時の不満をぶつけていた。この看板屋時代の先輩を残酷に殺す漫画は『ガロ』1974年(22歳)3月号掲載の『仕事風景』(青林工藝舎刊 『地獄に堕ちた教師ども』に収録)にて確認できる。 『ガロ』入選 『月刊漫画ガロ』(青林堂)1973年(21歳)8月号掲載の入選作『パチンコ』でプロの漫画家としてデビューを果たす。このデビュー作はタイトルが「パチンコ」であるがパチンコは一切出てこず、「パチンコに行こうとしても行けずに百貨店を彷徨う男」を描いた奇妙なストーリーに仕上がっており、実際に見た夢に創作を交えて漫画にしている憧れていた『ガロ』で漫画家デビューを飾ったことについて蛭子は「ガロに入選するのは夢だったから、この時の喜びが今までの人生の中で一番嬉しかった。入選の通知を開けて狭い六畳のアパートで女房と一緒に飛び上がって喜んだ」と回想しており、奮発して100グラム50円の豚肉を50グラムだけ買ってカレーを作り二人だけのお祝いをしたという70年代は蛭子にとって不遇の時代であり、漫画家を諦めかけていた蛭子にチャンスをもたらした名物編集者の高杉弾から1979年(27歳)に原稿を依頼されるまで彼の世間での知名度は皆無同然であった私生活では、長女の史英が生まれた1972年(20歳)に結婚。その後はちり紙交換の職に就くが、1974年(22歳)に長男の一郎が生まれたのを機に漫画を趣味と割り切り、有限会社ダスキン練馬のセールスマンに転職。しかし、金銭的には困窮しており、生活苦から生活保護を受給するに至った。 伝説の自販機本『Jam』で再デビュー 1979年(27歳)、高杉弾と山崎春美の依頼により、伝説的自販機本『Jam』4号(1979年(27歳)6月号)掲載の『不確実性の家族』にて再デビューを果たす。またこの時に漫画家としての収入を初めて得る。 漫画家として独立 1981年(29歳)には初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立する。 漫画家からタレントへ 特にタレントとしての代表作であるテレビ東京系のバラエティ番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』シリーズでは、リーダー役の太川陽介やゲストの女性タレントと共に日本各地の路線バスを乗り継いでいき、行き当たりばったりの珍道中を展開し、タレントとして再注目される契機となった。 エピソード 酒、タバコは全くやらないが、自他共に認める無類のギャンブル好き(後述)。特に競艇にハマッているが競馬は基本的にやらない好きな食べ物は一番はカレーライス。以下、ラーメン、カツ丼、オムライス、ハンバーグ、カステラ、ソース焼きそば等漁師の息子であるが魚類は大の苦手で、全く食べないという。 漫画家での収入はタレント業に比べて少なく、倉田真由美は「蛭子さんなんて漫画は全収入の1割以下じゃないだろうか」と述べている好きな映画に『遊星からの物体X』『砂の女』『ゴジラ』『日本春歌考』『幸福の黄色いハンカチ』『ウイークエンド』を挙げている小学4年生になっても母親のおっぱいを飲み続けていたので、「今で言うマザコンだったのかもしれない」と述べている。また、漁師の父親は家を不在にすることが多く、兄姉もすでに独立していたので「ほとんど母子家庭の様だった」とも述べている12歳の時に修学旅行で彼の寝小便を心配して姉がついて来たことがある。 出演作品 テレビドラマ サラリーマン教室(1986年(34歳)、TBS) 教師びんびん物語II(1989年(37歳)、フジテレビ)- 喫茶店のマスター 役 妻をめとらば(1989年(37歳)、テレビ東京) 花迷宮(1)-昭和異人館の女たち-(1990年(38歳)、フジテレビ) いつも誰かに恋してるッ(1990年(38歳)、フジテレビ)- 桜井正人 役 火曜サスペンス劇場(日本テレビ) 新婚団地妻殺人事件(1990年(38歳)) 海の道(1999年(47歳))- 南里松男 役 指名手配3(2000年(48歳))- 北村宣介 役 芸能社会(1990年(38歳)、TBS)- ドラマの監督 役 月曜ドラマスペシャル「キツイ奴らスペシャル ―栄冠は君に輝く―」(1990年(38歳)7月16日、TBS) 世にも奇妙な物語「なんなのォ!?」(1992年(40歳)、フジテレビ)- 西村政夫 役 ボクたちのドラマシリーズ「放課後」(1992年(40歳)、フジテレビ)- 電気工事作業員 役 天津甘栗(1993年(41歳)、フジテレビ) じゃじゃ馬ならし(1993年(41歳)、フジテレビ)- 渡部利夫 役 if もしも「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」(1993年(41歳)8月26日、フジテレビ)- 露店の客 役 仰げば尊し「2年C組の奇跡」(1994年(42歳)、フジテレビ)- 杉下実 役 金曜エンタテイメント「美味しんぼ」(1994年(42歳)、フジテレビ)- 辰さん役 金曜エンタテイメント「おばさんデカ 桜乙女の事件帖シリーズ」1〜6・8〜16(1994年(42歳) - 1998年(46歳)・2000年(48歳) - 2017年(65歳)、フジテレビ)- 桜雅樹 役 オトコの居場所(1994年(42歳)、TBS) 好きやねん(1995年(43歳)、日本テレビ)- 如月玉雄 役 ザ・シェフ(1995年(43歳)、日本テレビ) ナースのお仕事スペシャル(1997年(45歳)、フジテレビ)- 佐伯(患者)役 暴れん坊将軍IX 第30話「旗本屋敷の秘密! 罠に落ちた子連れ医者」(1999年(47歳)、テレビ朝日)- 与一呂 役 少年たち3(第1話 2001年(49歳)8月16日、NHK総合)- オヤジ狩りに遭う男性 役 女と愛とミステリー 「文書鑑定人 白鳥あやめの事件ファイル」(2002年(50歳)6月9日、BSジャパン / 6月12日、テレビ東京)- 岩崎哲郎 役 篝警部補の事件簿2(2004年(52歳)、テレビ東京)- 団野刑事 役 大河ドラマ(NHK) 義経(2005年(53歳))- 一条長成 役 平清盛(2012年(60歳))- 平時信 役 佐藤四姉妹(2005年(53歳)、BS-i) 花嫁は厄年ッ!(2006年(64歳)、TBS)- 片桐 役 下北サンデーズ(第5話 2006年(54歳)8月10日、テレビ朝日)- 安田実 役 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(2006年(54歳)11月18日、フジテレビ)- 多田羅正行 役 土曜ワイド劇場(テレビ朝日) 「法医学教室の事件ファイル24」(2007年(55歳))- 大泉正雄 「100の資格を持つ女〜ふたりのバツイチ殺人捜査〜1」(2008年(56歳))- 松田所長 帰ってきた時効警察(第1話 2007年(55歳)4月13日、テレビ朝日)- 作業員 役 ガリレオ(第2話 2007年(55歳)10月22日、フジテレビ)- 工場長 役 モップガール(第8話 2007年(55歳)11月30日、テレビ朝日)- 官能小説家・縄縛鬼介 役 土曜ドラマ・刑事の現場(第1話 2008年(56歳)3月1日、NHK総合) 猟奇的な彼女(2008年(56歳)4月、TBS)(第1話 2008年(56歳)4月20日、TBS) 月曜ゴールデン「女教師探偵・西園寺リカの殺人ノート」(2008年(56歳)5月19日、TBS)- 藤原 役 めぞん一刻 完結編(2008年(56歳)7月26日、テレビ朝日) 福家警部補の挨拶〜オッカムの剃刀〜(2009年(57歳)1月2日、NHK総合) 交渉人〜THE NEGOTIATOR〜(2009年(57歳)2月28日、テレビ朝日)- 坂崎達郎 役 超人ウタダ(2009年(57歳)、WOWOW)- 柳苗彦 役 坂の上の雲(2009年(57歳)11月29日、NHK総合 他)- 骨董屋 役 ハンチョウ〜神南署安積班〜シリーズ2 第6話(2010年(58歳)2月17日、TBS) 逃亡者PLAN.B(原題:도망자PLAN.B)第3話(2010年(58歳)10月6日、韓国KBS2)- レストランの店員 役 ドラマW「ビート」(2011年(59歳)2月13日、WOWOW) 下流の宴 第2話(2011年(59歳)6月7日、NHK総合) 水戸黄門第43部 第1話「家族おもいの武士魂 -江戸-」(2011年(59歳)7月4日、TBS)- 惣兵衛 役 サスペンスドラマSP「ボクら星屑のダンス」(2011年(59歳)10月6日、テレビ東京)- 検問の警官 役 ドラゴン青年団 第3話(2012年(60歳)8月14日、毎日放送)- 用務員 役 孤独のグルメ Season3 第4話(2013年(61歳)7月31日、テレビ東京)- 碁盤店主人 役 サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP(2013年(61歳)12月1日、フジテレビ)- 画家 役 三匹のおっさん〜正義の味方、見参!!〜 第4話(2014年(62歳)2月7日、テレビ東京)- 野島真一 役 水曜ミステリー9「鑑識特捜班・九条礼子〜骨を知る女〜3」(2014年(62歳)4月16日、テレビ東京)- 和泉義仁 役 プレミアムドラマ「ひとつ星の恋〜天才漫才師 横山やすしと妻〜」後編(2014年(62歳)11月30日、NHK BSプレミアム) 保育探偵25時〜花咲慎一郎は眠れない!!〜 最終話(2015年(63歳)3月13日、テレビ東京)- 医師 役 水曜ミステリー9「事故調」(2015年(63歳)4月1日、テレビ東京)- 島崎勝吉 役 美女と男子 第3話(2015年(63歳)4月28日、NHK総合)- 吉田努 役 NHKスペシャル「私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」(2015年(63歳)10月10日、NHK総合)ドラマ部分 - 古書店の主人 役 新春時代劇「信長燃ゆ」(2016年(64歳)1月2日、テレビ東京)- 闘鶏場の見物客 役 警視庁・捜査一課長 第1話(2016年(64歳)4月18日、テレビ朝日)- 海老沢良之 役 ナイトヒーロー NAOTO 第4話(2016年(64歳)5月7日、テレビ東京)- 本人 役 地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子 第7話(2016年(64歳)11月16日、日本テレビ)- 本人 役 勇者ヨシヒコと導かれし七人 第9話(2016年(64歳)12月3日、テレビ東京)- キャパスの村の村長 役 オリガミの魔女と博士の四角い時間(2017年(65歳)3月12日 - 、NHK Eテレ)- エビスさん 役(声の出演) ドクターX〜外科医・大門未知子〜 第5シリーズ第1話(2017年(65歳)10月12日、テレビ朝日)- 本人役 今からあなたを脅迫します(2017年(65歳)、日本テレビ)- ロビン役 あなたには帰る家がある 第3話(2018年(66歳)4月27日、TBS)- タクシードライバー役 撮影の、一切ないドラマ 蛭子さん殺人事件(2020年(68歳)12月12日、BSテレ東)- 本人 役 映画 平口広美撮影編集の蛭子能収主演・根本敬助演の映像作品(1984年(32歳))- 本人 役 ファンシイダンス(1989年(37歳))- 社員 役 ツルモク独身寮(1991年(39歳))- 三反田春彦 役 バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ第二話「カラダだけの男」(1991年(39歳)) 無能の人(1991年(39歳)) 空がこんなに青いわけがない(1992年(40歳))- 社員 役 未来の想い出 Last Christmas(1992年(40歳)) 夜逃げ屋本舗(1992年(40歳)) すももももも(1995年(43歳)) 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(1995年(43歳))- 露店の客 役 ご存知!ふんどし頭巾(1997年(45歳))- 榎田一平太 役 十五才 学校IV(2000年(48歳))- 大角 役 折り梅 (2001年(49歳))- パン屋の主人 役 ウォーターボーイズ(2001年(49歳))- 和菓子屋主人 役 劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL(2002年(50歳))- 豪邸の主 役 ※友情出演 地獄甲子園(2002年(50歳))- 十兵衛の親父 役 ヘヴンズ・ドア 殺人症候群(2003年(51歳)) ぷりてぃ・ウーマン(2003年(51歳))- 畑中康雄 役 ドラッグストア・ガール(2004年(52歳)) 月とチェリー (2004年(52歳))- 書店の店長 役 蟬しぐれ(2005年(53歳))- 小助 役 寝ずの番(2006年(54歳))- 田所 役 自虐の詩(2007年(55歳))- 新聞販売店主 役 エクステ(2007年(55歳)) マリと子犬の物語(2007年(55歳)) 次郎長三国志(2008年(56歳))- 保下田の久六 役 僕の彼女はサイボーグ(2008年(56歳))- 駄菓子屋のオヤジ 役 GOEMON(2009年(57歳)) はやぶさ/HAYABUSA(2011年(59歳)) ALWAYS 三丁目の夕日'64(2012年(60歳)) テルマエ・ロマエ(2012年(60歳))- 部長 役 俺はまだ本気出してないだけ(2013年(61歳))- クニさん 役 オシャレ番外地 (2014年(62歳)) 日々ロック(2014年(62歳))- 象徴さん 役 ハッピーウエディング (2015年(63歳)) 任侠野郎(2016年(64歳))- 主演・柴田源治 役 ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE(2016年(64歳))- 主演 ママは日本へ嫁に行っちゃダメと言うけれど。(2016年(64歳))- モギサンパパ 役 blank13(2018年(66歳)、斎藤工監督) 海辺の映画館―キネマの玉手箱(2020年(68歳)、大林宣彦監督)- 芹澤鴨 役 オリジナルビデオ ザ・忍者ウォーリアーズ くノ一戦士(1991年(39歳) 松竹ホームビデオ) パチンコ無宿(1995年(43歳) knack) 的中王 無敵のWAVE理論(2000年(48歳) ミュージアム) いけない!ルナ先生(2014年62(歳) SPOエンタテインメント) アダルトビデオ 危険に情事(KUKI/1987年(35歳))- 連続強姦魔役を漫画家の平口広美が演じており、蛭子はその婦女暴行事件を伝えるニュースキャスター役を演じている。 大人は判ってくれない。'88(KUKI/1988年(36歳))- 『ビデオ・ザ・ワールド』の1988年度年間作品賞受賞作品。ばちかぶりの田口トモロヲと共演。 えびすさんがみてる(裏ビデオ/1990年(38歳)頃)- 卑弥呼のデビュー作 オジさんは泣いてます(VIP/1992年(40歳))- 平口広美監督作品。根本敬と共に友情出演。 ゴールデンタイム ローカル路線バス乗り継ぎの旅シリーズ - レギュラー いい旅・夢気分 春の絶景SP(2018年3月17日)- 太川陽介、橋本マナミと共にゲスト出演 太川・蛭子のローカル鉄道寄り道-レギュラー出演 大阪ほんわかテレビ - 一時期レギュラー 平成教育委員会 - 一時期準レギュラー アリケン - 準レギュラー カテゴリ: 日本の漫画家 日本のタレント 日本の男優 日本の映画監督 競艇に関係する人物 過去のプロダクション人力舎所属者 長崎市立長崎商業高等学校出身の人物 長崎県出身の人物 熊本県出身の人物 1947年生存命人物 ガロ アックス自販機本 日本のサブカルチャー  -蛭子能収(よしかず,174cm,91kg,O型,1947年10月21日(74歳))は、  о“日本の漫画家、タレント、エッセイスト”  о“長崎商業高等学校卒業後、地元の看板店に就職するも、つげ義春の『ねじ式』に衝撃を受けて1970年(18歳)に上京し、看板屋、ちり紙交換、ダスキンのセールスマンなどの職を経て『月刊漫画ガロ』(青林堂)1973年(21歳)8月号掲載の入選作『パチンコ』で漫画家デビュー”  о“3年間の休筆期間を経て伝説的編集者の高杉弾と山崎春美の依頼により1979年(27歳)に伝説的自販機本『Jam』(ジャム出版)でプロの商業漫画家として再デビュー”  о“ニューウェーブ自販機本『HEAVEN』での執筆を契機に官能劇画誌などの媒体にも進出し、アンダーグラウンドなエロ本を中心に数多くのエロ劇画や不条理漫画を発表する。以来特異な作風で注目を集め、元祖ヘタウマ漫画家としての地位を確立する”  о“1981年(29歳)、初単行本『地獄に堕ちた教師ども』を青林堂から上梓、これを機にダスキンを退社して漫画家として独立する”  о“1980年代後半からは柄本明との出会いを契機として芸能界でのタレント・俳優活動に比重を移し、1987年(35歳)に劇団東京乾電池の公演「台所の灯」に出演して以降『笑っていいとも!』(フジテレビ)へのレギュラー出演やテレビドラマ『教師びんびん物語II』(フジテレビ)への出演を皮切りに数多くのテレビ番組に出演している”  о“芸能活動と並行して狂気と毒をはらんだ前衛的で難解な漫画作品を精力的に発表し続け、商業的な成功には恵まれなかったが、日本漫画に新たな表現の地平を切り拓く”  о“呉智英の『現代マンガの全体像』で手塚治虫、大友克洋、楳図かずお、水木しげるらと並んで評価された漫画家の一人であり、2019年(67歳)春に府中市美術館で開催された「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」では歌川国芳、萬鉄五郎、アンリ・ルソーら歴史的な美術家と並んで作品が展示された”  о“主な著書に漫画で『地獄に堕ちた教師ども』『私はバカになりたい』『私の彼は意味がない』『私は何も考えない』『なんとなくピンピン』『家族天国』『蛭子能収コレクション』、エッセイで『正直エビス』『ヘタウマな愛』『こんなオレでも働けた』『ひとりぼっちを笑うな』『蛭子能収のゆるゆる人生相談』など多数”  о“中学2年生の時に、不良グループに強制的に入らされ、いじめを受けていた。使い走りや持参した弁当をご飯と梅干しだけの日の丸弁当に無理矢理交換させられたり、学校で事件が起こると濡れ衣を着せられていた”  о“家に帰るとノートに嫌いないじめっ子を殺す漫画をひたすら描いて、学校の不満などを発散させていた”  о“長崎商業高等学校時代は、兄の勧めで美術クラブに所属。そこで初めてグラフィックデザインに出会い、横尾忠則、宇野亜喜良、粟津潔、亀倉雄策、佐伯俊男に大きな影響を受ける”  о“高校卒業後は地元の看板店に就職”  о“漫画サークルで『ガロ』1968年(16歳)6月増刊号「つげ義春特集」を読み『ねじ式』に感銘を受け、「大阪万博を見に行く」と嘘をついて1970年(18歳)に無断で上京”  о“看板屋時代の先輩を残酷に殺す漫画は『ガロ』1974年(22歳)3月号掲載の『仕事風景』(青林工藝舎刊 『地獄に堕ちた教師ども』に収録)にて確認できる”  о“『月刊漫画ガロ』(青林堂)1973年(21歳)8月号掲載の入選作『パチンコ』でプロの漫画家としてデビューを果たす。このデビュー作はタイトルが「パチンコ」であるがパチンコは一切出てこず、「パチンコに行こうとしても行けずに百貨店を彷徨う男」を描いた奇妙なストーリーに仕上がっており、実際に見た夢に創作を交えて漫画にしている”  о“憧れていた『ガロ』で漫画家デビューを飾ったことについて蛭子は「ガロに入選するのは夢だったから、この時の喜びが今までの人生の中で一番嬉しかった。入選の通知を開けて狭い六畳のアパートで女房と一緒に飛び上がって喜んだ」と回想しており、奮発して100グラム50円の豚肉を50グラムだけ買ってカレーを作り二人だけのお祝いをしたという”  о“70年代は蛭子にとって不遇の時代であり、漫画家を諦めかけていた蛭子にチャンスをもたらした名物編集者の高杉弾から1979年(27歳)に原稿を依頼されるまで彼の世間での知名度は皆無同然であった”  о“私生活では、長女の史英が生まれた1972年(20歳)に結婚。その後はちり紙交換の職に就くが、1974年(22歳)に長男の一郎が生まれたのを機に漫画を趣味と割り切り、有限会社ダスキン練馬のセールスマンに転職。しかし、金銭的には困窮しており、生活苦から生活保護を受給するに至った”  о“1979年(27歳)、高杉弾と山崎春美の依頼により、伝説的自販機本『Jam』4号(1979年(27歳)6月号)掲載の『不確実性の家族』にて再デビューを果たす。またこの時に漫画家としての収入を初めて得る”  о“1981年(29歳)には初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立する”  о“特にタレントとしての代表作であるテレビ東京系のバラエティ番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』シリーズでは、リーダー役の太川陽介やゲストの女性タレントと共に日本各地の路線バスを乗り継いでいき、行き当たりばったりの珍道中を展開し、タレントとして再注目される契機となった”  о“酒、タバコは全くやらないが、自他共に認める無類のギャンブル好き”  о“特に競艇にハマッているが競馬は基本的にやらない”  о“好きな食べ物は一番はカレーライス。以下、ラーメン、カツ丼、オムライス、ハンバーグ、カステラ、ソース焼きそば等”  о“漁師の息子であるが魚類は大の苦手で、全く食べない”  о“漫画家での収入はタレント業に比べて少なく、倉田真由美は「蛭子さんなんて漫画は全収入の1割以下じゃないだろうか」と述べている”  о“好きな映画に『遊星からの物体X』『砂の女』『ゴジラ』『日本春歌考』『幸福の黄色いハンカチ』『ウイークエンド』を挙げている”  о“小学4年生になっても母親のおっぱいを飲み続けていたので、「今で言うマザコンだったのかもしれない」と述べている”  о“漁師の父親は家を不在にすることが多く、兄姉もすでに独立していたので「ほとんど母子家庭の様だった」とも述べている”  о“12歳の時に修学旅行で彼の寝小便を心配して姉がついて来たことがある”  -という。(つづく)<記2022年2月10日>〈21,997Byte〉