アニタ・エクバーグ(169cm,1931年-2015年(83歳没))は-
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 -出演。
★アニタ・エクバーグ(169cm,1931年-2015年(83歳没))
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アニタ・エクバーグ
Anita Ekberg
本名:Kerstin Anita Marianne Ekberg
生年月日:1931年9月29日
没年月日:2015年1月11日(83歳没)
出生地:マルメ
死没地:ロッカ・ディ・パーパ
国籍:スウェーデン
職業:女優、モデル
主な作品
『戦争と平和』1956年(24歳)
『甘い生活』1960年(28歳)
アニタ・エクバーグ(Anita Ekberg, 1931年9月29日 - 2015年1月11日)は、スウェーデン出身の女優である。
来歴
1931年、スウェーデンのマルメで8人兄弟の6番目として生まれる。ミス・ユニバースのスウェーデン代表となったことがきっかけでアメリカへ渡り女優となった最初はお色気要員として雑誌のカバーガールをこなしながらB級映画やコメディに出演していたが、フェデリコ・フェリーニに気に入られイタリアへ渡り、『甘い生活』に出演しグラマー女優として一躍スターの仲間入りすることとなる。ドレスのまま入る噴水(トレヴィの泉)のシーンが有名である。
その後もフェリーニの作品に何本か出演したが芳しい評価を得られず、その後1960年代末からはイタリアのB級作品に数多く出演するも人気が返り咲くことはなかった
『甘い生活』で共演したマルチェロ・マストロヤンニと恋愛関係にあった時期がある1987年(55歳)のフェリーニ作品『インテルビスタ』では自身の役で出演し、往年とは別人のように肥満していたものの、やはり自身を演じるマストロヤンニを相手に『甘い生活』のダンス場面を再現した
2015年(83歳)1月11日、イタリア・ローマ南東部のロッカ・ディ・パーパで死去晩年は足を骨折した後遺症で自力で歩けなくなっており、入院生活を送っていた。また、自宅から宝飾品や家具が盗まれたり、火事に遭い大きな損害を受けるなどして経済的に困窮し、2011年(80歳)12月にフェリーニ財団に資金援助を求めていたことが報じられていた
主な出演作品
ミシシッピーの賭博師 The Mississippi Gambler(1953)
凸凹火星探検 Abbott and Costello Go to Mars(1953)
熱砂の舞(1956)
底抜けコンビのるかそるか(1956)
戦争と平和 War and Peace(1956)
地獄の翼(1956)
パリの休日 Paris Holiday(1958)
ローマの下に Nel segno di Roma(1958)
甘い生活 La Dolce Vita(1960)
ボッカチオ'70 Boccaccio '70 第2話「アントニオ博士の誘惑」(1962)
腰抜けアフリカ博士 Call Me Bwana(1963)
テキサスの四人 4 for Texas(1963)
イタリア式愛のテクニック(1966)
火曜日ならベルギーよ If It's Tuesday, This Must Be Belgium(1969)
フェリーニの道化師 I Clown(1970)
インテルビスタ - Intervista(1987)
リュシアン 赤い小人 Le Nain rouge(1998)
『007/ロシアより愛をこめて』の巨大広告
映画『007 ロシアより愛をこめて』(1963年(歳))では、トルコのイスタンブールにやってきたジェームス・ボンド(ショーン・コネリー)が、MI6の現地主任のケリム(ペドロ・アルメンダリス)と共に、ケリムの宿敵・クリレンクを狙撃する。
映画『腰抜けアフリカ博士』の巨大広告にあるアニタ・エクバーグの大きな口に隠し扉があり、そこから脱出しようとする敵をAR-7ライフルで仕留め、ボンドは「女の口はこわい」とつぶやいて去る。
カテゴリ:
スウェーデンの女優
マルメ出身の人物
1931年生
2015年没

 -アニタ・エクバーグ(169cm,1931年-2015年(83歳没))は、
 о“ミス・ユニバースのスウェーデン代表となったことがきっかけでアメリカへ渡り女優となった”
 о“最初はお色気要員として雑誌のカバーガールをこなしながらB級映画やコメディに出演していたが、フェデリコ・フェリーニに気に入られイタリアへ渡り、『甘い生活』に出演しグラマー女優として一躍スターの仲間入り”
 о“ドレスのまま入る噴水(トレヴィの泉)のシーンが有名”
 о“フェリーニの作品に何本か出演したが芳しい評価を得られず、その後1960年代末からはイタリアのB級作品に数多く出演するも人気が返り咲くことはなかった”
 о“『甘い生活』で共演したマルチェロ・マストロヤンニと恋愛関係にあった時期がある”
 о“1987年(55歳)のフェリーニ作品『インテルビスタ』では自身の役で出演し、往年とは別人のように肥満していたものの、やはり自身を演じるマストロヤンニを相手に『甘い生活』のダンス場面を再現した”
 о“晩年は足を骨折した後遺症で自力で歩けなくなっており、入院生活を送っていた”
 о“自宅から宝飾品や家具が盗まれたり、火事に遭い大きな損害を受けるなどして経済的に困窮し、2011年(80歳)12月にフェリーニ財団に資金援助を求めていたことが報じられていた”
 о“2015年(83歳)1月11日、イタリア・ローマ南東部のロッカ・ディ・パーパで死去”
 -という。(つづく)<記2022年6月16日>〈4,833Byte〉