その甲斐もあってか二日酔いも幾分治まり今度は無性に熱いルガウが すすりたくなった。
ルガウとは日本でいうおかゆの事だ。
一度思い立つともうだめだ。
頭からさっとシャワーを浴びると髪の毛の乾く間もなく膝までのショートパンツに
サンダルをつっかけ、フィリピンで買った青い半そでシャツを
Tシャツの上にひっかけて、10分後にはもうタクシーに乗っていた。
向かう先は買い物も兼ねてショッピングモール、ロビンソンの3階に有るフードコートだ。
途中、両替の為EDZEN(エドゼン)に寄った。
当時フィリピン一の高額レートの両替屋といってもいいだろう。
ホテルSOGOを出てそのままマビニ通りをまっすぐ行けば
ほんの1キロにも満たない所に有るのだが、
通りは一方通行とはいえ混雑は相変わらずで10分以上かかってしまう。
2013.3.10(日)写

日曜日の昼下がり、さすがに人も車も少ない。

両替屋に着くとタクシーの窓から手を出して駐車係を呼ぶ。
駐車係といっても街中の小さな両替屋に駐車場など有るわけも無く路上駐車の整理屋だ。
見事にコーヒー色に日焼けした駐車係は
痩せ細った小さな体で車から車へとすばやく立ち回っている。
やけに手足が長く見えるその姿は木の上を跳び回るチンパンジーを連想させる。
ポケットからジャラリとコインを取り出すと駐車係には運良く数枚の10ペソコインと
センタボコイン(100センタボ=1ペソ)しか見当たらない。
いつもは5ペソだが
10ペソコイン1枚とポケットを重くするセンタボを全部手渡した。
チンパンジーのおっさんは手のひらのコインを見直すとクシャッと顔をくずした。
しわだらけの顔がますますサルにみえてくる。
どうやらサービスとばかりに笑ってくれた様だ。
両替屋エドゼン

ここに有る画像は2013.3.10
に撮ったもの。

(エドセン並びにある両替屋SHEENA最近ではここの両替レートが一番いいらしい。)
エドゼンの並びには他の両替屋も有り、小さな食堂や商店も軒を並べ
向かいにはセブンイレブン(今は無くなってマンションの建築中)も有って
人の多さは半端じゃない。
その間を縫うように物売りが声をかけてくる。
タバコやちょっとした民芸品に、メイドインマニラの
オメガの腕時計などなど、
日本人とみればすぐに寄ってくる。
もたもたしてるとそのうちに数人の子供たちに囲まれて手のひらを出して
「ちょうだい。ちょうだい。」が始まる。
気をつけないとどさくさに紛れてポケットに手を入れてくる子もいる。
タクシーを降りて数メートル先の入り口まで左手はポケットの札入れを
ぐっと握りしめ、右手で「いらない。あげない。だめだめ。」の意思表示をしながら
ライフルを持った警備員が開けてくれたドアに飛び込む様に中に入った。
その間数秒の事だが行きかうタガログに混じって「バカタレ」なんていうすて台詞も聞こえてきた。


両替レートは毎日変わり、その日の午前と午後で変わる事も有る。
レートのいい時にまとまった金額を両替するのだが、
そういう時は必ず車を使うようにしている。
入り口には必ず警備員が1~2名いるので、車はその前に止めさせる。
そして両替が終わったらもたもたしないでさっさと車に乗り込む。
極力トラブルを避けるべく、備えたり行動するのはフィリピンでは当たり前の事だ。
特に平和ぼけした我ら日本人はものさしの尺度を変える事が出来ない様で
危機管理の脇のあまさは時に悲劇を生み出す。
これは昔も今も変わらない。
両替を終えるとすぐ先の十字路を右に曲がる。
4~5分でロビンソンだ。
ここで話を一旦現在に戻す
この十字路を逆に左に行くとすぐにマニラ湾沿いのロハス大通りに出るが
その間のデルピラール通りに援助交際の相手探しで有名なBAYCAFEが有る。
(ベイカフェ 2013.3.27 写)

今でもポン引きおばはんは健在?
昼間見ると外見はぱっとしないね。

2005年頃だと思う、いつの間にかL.ACAFEの名前で営業が始まり、
うわさを聞いて行ってみると日が沈む頃には外国人の客でいっぱいになり
それを目当ての売春婦が数多く出入りしていた。
その後その売春婦目当ての日本人が日増しに増えたのはいうまでもない。
その頃から耳に聞こえのいい出会い系バー?とか言ってるけど
多種多様の時代と言われる現在ここでもそれは当てはまる様で
こづかい稼ぎの素人から副業にしているセミプロ、そしてプロまで、
デートの相手からベットのお伴までニーズに合わせた相手探しが出来る。
置屋やゴーゴーバーのようにシステムとかルールの無い
個人営業のそれは不確かさと曖昧の中トラブルが多いのも事実だ。
4月にタレントのオーデションでマニラへ行くので
久しぶりに様子を見に寄ってみようかな。
ついでに気になるお店(KTV)とエド・コン他ゴーゴーバーも数軒、
そして最近復活したという置屋?らしき所も覘いてみよう。
(エド・コン)
エドサコンプレックス
ゴーゴーバー集合ビルお持ち帰り代表格in manila

余裕が有ればパンパンガのアンヘルスにも行ってみたい。
現在夜のお遊びスポットとしてその濃度の濃さはフィリピン一になりつある。か、
もうすでになっている?
アンヘルスは1991年6月のピナツボ火山の噴火で最も大きな被害を被った町で
当時駐留していたアメリカ軍のクラーク基地もそれによって撤退するのだが、
その後復興の進む中、旧基地は「特別経済区」として発展して行く。
その周辺には竹の子の様にクラブやバーが建ち並び、その数は今では100軒を
越えている。たぶん?
我がライトハウスはピナツボ火山噴火の4ヶ月後の10月にオープンを果たすが
噴火はまさにオープン準備をしている時の出来事で、
フィリピンと本格的に係わり始めた時期だったので記憶に深く刻まれている。
ついでに行く所が多すぎて?
俺は一体マニラへ何をしに行くのだろう。
エドゼンの先を左に曲がって・・からのついでの話が長くなって
いつまでたってもロビンソンにたどりつけない。
話を戻したいが、長くなるので次回に続けたい。
アンヘルス ゴーゴーバー「アトランテイス」
フィリピン極隊の映像より