シイタケのブログ -3ページ目

「知る権利」と憲法改正

 原子力規制委員会が、記者会見から共産党の機関誌「赤旗」記者を排除した事件は、原子力規制庁がその方針を撤回することで収束した模様である。この事件は一般紙やネットでも大きく話題になった。排除方針撤回は当然のことである。図らずも赤旗の宣伝効果があったのではないか。

 この事件を起こした「原子力規制委員会」は、今年6月に成立した原子力規制委員会設置法に基づいている。興味深いのは、その25条に、下記のような規定があることである。

(情報の公開)
第25条 原子力規制委員会は、国民の知る権利の保障に資するため、その保有する情報の公開を徹底することにより、その運営の透明性を確保しなければならない。

 …なんと「知る権利」が明文化されている。私の知る限りでは、「知る権利」が法律に明文化されたのは、初めてのことだろうと思う。行政機関の情報公開法においても、「知る権利」という言葉はどこにもない。「知る権利」を明文化せよとの願いはかつてからあったらしいが、国は一貫して頑なにその明文化を拒んできたのである。

 ところが、親玉の情報公開法ではない、行政機関の設置法で、ひょこっと知る権利が明文化された。国会審議でこのことは盛り上がらなかったのだろうか。そもそも、法案作成段階で、関係省庁や内閣法制局はどのような審査をしたのだろうか。

 その、記念すべき原子力規制委員会設置法に基づいて設置された原子力規制委員会が、これまでほかの官庁では見られなかった「赤旗排除」をやってのけたのである。だからこそ、この事件は興味深い。

 これはつまり、いくら権利を明文化しても、それを全うしようという当局の志がなければ、画餅となるということを表しているのだろう。

 憲法改正を企んでいる政治家はよく、「新しい権利」を憲法に盛り込むのだという。そのように述べる政治家の顔ぶれを見ると、とてもその「新しい権利」を擁護しようという意気込みがあるとはとても思えない。つまり新しい権利を盛り込むというのは、憲法改正の口実なのである。「新しい権利」の多くは、よく知られているように、現行憲法において根拠付けがすでに図られている。「新しい権利」を尊重するかどうかは、政治家本人次第なのである。

 もちろん、新しい権利の明文化が意味を持たないと言っているわけではない。明文を根拠に司法判断に訴えることもできるのだから、明文化にも一定の意味はある。しかし今回の赤旗排除事件は、「権利が明文化されているその当局がその権利を尊重しない」という、象徴的な事件であった。

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いちおう「領土問題」

 北方四島・尖閣諸島・竹島など昨今話題の領土問題について、素人感覚で感想を記しておきたいと思う。
 感情論ではなく、一番客観的にこれら問題の島々について歴史を検証しているのは、日本共産党の公式見解のように思われた。これらの島々は過去の太平洋戦争で侵略したものではなく、それ以前から実態として日本領土であったとのことであり、そのとおり(なのだろうな)と思う。

 しかし、この「領土問題」、マスコミもネット社会も街の声も盛り上がっているが(いや本当はそうでないかもしれないけれど)、はたして国民生活に関係あるのだろうか?

 北方四島と、尖閣・竹島とは性質が違うと思う。北方四島は、そこで実際に生活を営んでいる人々がいる。もはや、国家の介入でその人々の暮らしを大きく変えることはできないと思う。どうしてもいずれの国の領土かを決めないといけないのなら、…現実的でない話で恐縮だが、住民投票をすればよい。地方分権地方ブンケンと地方分権原理主義者が政界には多いくせに、住民投票で決めないというのはおかしいではないか、とも思う。

 尖閣・竹島「問題」で、何が気に入らないかといえば、普段、国民生活全体のことを考えない、つまり福祉国家に逆行するようなことを志向している政治家が、領土問題に限って興奮して見せていることだ。彼らは封建主義社会の領地争い気分の人々なのであり、それらの島々が日本の領土になるのか中韓の領土になるのかによって国民生活の幸福とどう関わるかなどということは、考えもしないのであろう。

 したがって、昨今の領土問題について、普通の国民まったく騒ぐ必要もないし、便乗して人気取りをしようとしている政治家に振り回されるのは、ばかばかしいからやめときましょう、と私は言いたい。新聞投書などを見ると、もっともらしく「日本のため!」的な自説を述べている人もいるが、見ているこちらが恥ずかしい感じすら覚える。

 手あかのついた表現だが、もはや世界経済はグローバル化しているし、これからますますそうなっていくのだから、尖閣・竹島がどちらの国家に帰属しようとも国民生活には関係しない。「あんたら領土問題で中韓に怒っているけど、仮に日本の領土に決まったからといって、あいにくあんたの生活が楽になるわけじゃないから!」ということである。もう期待薄だといわれているが、かりに問題の島々近辺に地下資源があったとしても、それで利を得るのは結局のところ大企業(および関係者)なのであり、労働者の分け前が増えるわけではないのだ。そもそも日本企業が地下資源で利益を上げたとして、その株主は実は中国人だった、ということもあり得るではないか。逆に中国の領土に決まったからといって、日本人がその中国企業の株を買ったりその従業員になれば、利益は日本人に還元される。領地が暮らしに直結している封建時代でもないのだから、領土の重みはどんどん薄くなっていく。

 領土問題で一般庶民が盛り上がるのはエネルギーの無駄づかい。もっと暮らしに直結した問題について考えたい・考えてほしいと思う。

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維新の会

 維新の会が人気ということは、人々はもう一度明治から終戦までのむき出しの資本主義を経験したいのかなあ…などと考えてしまう。

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