熊野本宮大社
京、大阪から熊野に至る道はいくつかあります。
紀伊田辺から中辺路を行くと熊野本宮大社に至ります。
祓殿王子から50メートルも行くと、
本宮大社の北参道
木立に朝の光がさしてきました。
ホントは階段をずいぶん上がらなくちゃいけないのですが
裏の駐車場から行くと階段はない分、どこが本殿かわからない。
ここから太鼓の音がしましたが、どうもここじゃない。
こちらからお参りしますが
ここから先は撮影禁止です。
以下コピペです。
天火用命(あめのほあかりのみこと)は、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。天火明命の息子である 高倉下 ( たかくらじ ) は神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「 布都御魂 ( ふつのみたま ) 」 を献じてお迎えしました。
時を併せて 高御産巣日神 ( たかみむすひのかみ ) は天より 八咫烏 ( やたがらす ) を遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれました。
第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の 櫟 ( いちい ) の巨木に、三体の月が降臨しました。天火明命の孫に当たる 熊野連 ( くまののむらじ ) は、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています 。
出てきてからみつけた看板
順番全然ちがいました(・・;)
熊野に通じる道
皇族による熊野詣は平安初期、宇多上皇から始まりました。
そして、その85年後、花山天皇が行幸されました。
さらにその100年ほどのち、熊野詣が本格化されます。
白河天皇9回、鳥羽天皇21回、崇徳天皇1回
後白河天皇34回、後鳥羽天皇28回((((((ノ゚⊿゚)ノ
土御門天皇2回、後嵯峨天皇3回、亀山天皇1回と続きます。
しかし、1ヶ月の日数と費用を要する熊野詣は
皇室の権力と富が失われると、終わってしまいます。
昔は城南宮から舟にのり、大阪の天満につきます。
大阪研修に参加して、たまたま立ち寄ったのが、ここでした。
熊野街道に沿って、旅の守護をする王子と呼ばれる社がたくさんあります。
最初の王子が窪津王子
窪津王子のあとは坐摩神社の頓宮になっています。
そして遷された窪津王子は今の堀越神社にあります。
このささやかな祠が窪津王子
その前に高津宮を訪れて、碑があったので、
何かよくわらないまま撮った写真
実はこれも王子のひとつ郡戸王子
あとからわかりました。
こんな王子王子が今も残っているのもあれば、
宅地化で消えてしまったものも多いそうです。
そして、ここはピョーンと飛んで、祓殿王子
熊野本宮大社に参る直前の王子で
ここでお祓いしてお参りしたのですね。
偶然なのか招かれたのか知りませんが、
大阪の王子をお参りしてから
こちらに来ることになりました。
島全体が神域の江須崎
なんか記事がたまっていまして、
11月の近江八幡のヴォーリズのものもアップしないまま。
先日の神戸のも残っている。
ひと月前の和歌山の記事からはじめます。
和歌山も広くて、白浜までは行くのですが、
そこから先はいまだ単線でして
東京に新幹線で行くほうが時間は早い。
白浜から少し先にある江須崎島は
海沿いを行く大辺路の近くです。
島全体が神域で手つかずの自然が残っていることから、
国の天然記念物に指定されてます。
島全体が神域です。
島ですが、陸とつながっています。
春日神社の鳥居が見えてきました。
磯観察もいいだろうな。
島全体が天然記念物なので、道以外は立ち入り禁止。
ガジュマルかと思いました。
蔓がたくさん絡まった木
社殿が見えてきました。
本殿です。
本堂の左手の木がねじれています。
文政とか天明とか古い灯篭の日付
少し離れた串本の住人の寄進もあります。
幅広く信仰されていたことがわかります。
津波にやられなかったのだなあと思いました。
こんなふうに社殿は高台にありますから。
津波のときは神社に逃げろといいますね。
またきますね。
子育ての悩みを解決する。
朝テレビをつけていたら、「助けて!きわめびと」
チラッと見ました。
子どもが言うことを聞いてくれないおかあさんのもとに
きわめ人がやってきます。
子どもの宿題を見るおかあさん
いっぱい横からダメ出ししています。
「あとから」
「ダメ」
しぶしぶ机に向う子ども
「姿勢が悪い」
「ダメ」
VTRを見ながら、きわめ人
「おかあさんが子どもの集中力をうばっている」と。
おかあさんが料理に集中していると、
子どもは黙々とドリルをしています。
きわめ人が訪れて鏡を取り出す。
「おかあさん鏡を見てください。」
鏡を見るおかあさん。
「どう思いますか?」
少し考えて
「頬がたるんでいる。
しわもある」
「じゃあこの鏡がしゃべる鏡だったらどうですか?」
「しゃべる鏡?」
「その顎の肉どうにかしろよ。
その目じり、からすのあしあとじゃない?
そんなことを言う鏡だったら。。。」
「私が子どもに対してそうだったということですね!」
うまいなあと思いました。
すぐれた指導者は答えを教えない。
自分から答えを導き出す。
指導者の鑑ですねえ。
おかあさんが子どもの接し方を変えて
子どもに耳を傾けると、
子どもがかわっていきます。
でも変わったのは子どもではなく
むしろおかあさんのほうだったようです。
本当はお母さん大好きだけど
京の冬の旅 西福寺
この角は六道の辻と呼ばれ、あの世とこの世の境目だそうです。
ここに祀られているお地蔵様が空海の作ったものだといわれ
壇林皇后は自分の息子、後の仁明天皇の病気が治るように
祈願されたそうです。
嵐電に乗って嵐山に行く途中 帷子ノ辻かたびらのつじ
というところがあります。
嵯峨天皇の皇后壇林皇后の遺言により
風葬された地であることから、その名がついたといわれています。
壇林皇后はその美貌で知られ、教育に力をつくされた方でした。
壇林というのは学校のことだそうです。
仏教に深く帰依された壇林皇后は
お亡くなりになるとき、自分の体が獣のえさとなるよう、
またどんな人も永遠などないのだと示すために
自分の遺体を放置し、絵師にその様子を描かせたといわれています。
それが九相図です。
死体の変化する様子を九つに分けて描いたものです。
その九相図が今回されています。
案内の人が解説してくださいますが、いやじゃないのかなあと思いました。
この西福寺あたりの地名 轆轤町 ろくろちょうというのですが
髑髏どくろ町から来ているそうです。
梅の木にメジロが来ていましたが、うまく撮れず

小さいお寺ですし、普段も外からはお参りできるので
あまり期待はしていなかったので、
期待はずれとはいいませんが、
コスパ的にはそれほどよいお寺ではありません。
ま、九相図とか、熊野十界曼荼羅の勉強にはなりました。



























