
法隆寺③ 再建説
今回で最終回の備忘録です。
宝物殿に行く手前に厩があり、
愛馬の黒駒と従者の調子丸(渡来人らしい)が祀られています。
その横のソテツがおもしろくて、撮りました。
綱封蔵(平安時代 国宝)
宝物殿では百済観音や
(飛鳥時代 国宝)
玉虫厨子を拝見しました。
奈良国立博物館では玉虫をみつけましたが、
ここでは「あれどこだっけ?」
去年のブログでは左側がみつけやすいと書いています。。。
夢殿のある東院伽藍に向かいます。
法隆寺は聖徳太子の時代に建てられたものか
再建かの論争がありました。
下の矢印に伽藍跡が発掘され、
670年の火災で焼け、現在の伽藍が再建であることが判明しました。
これから東院にある夢殿に向かいますが、
その道が少し北側に折れ、旧伽藍の線と一致します。
この日は雨予報でしたが、
晴れ女なので、雨は降らず。。。
と言いたいところですが、夢殿の前だけ雨が降りました。
写真がないので前回の訪問時の写真。
つい先週までフェノロサが秘仏を開けさせ、絶賛した
救世観音像が開帳されていましたが、間に合わず。。。
昔の屋根は勾配が緩やかで雨漏りがしやすいので、
鎌倉時代に急こう配の屋根に改造されているそうです。
この前でどんだけ修学旅行生を見送ったことでしょう。
バス8台分?くらいの修学旅行生がぐるっと夢殿のまわりを
回って去っていきました。
ここの注目ポイントは夢殿の北側にある伝法院。
聖武天皇の夫人であった橘古那可智の住宅を仏堂にしたもので、
最古の住宅建築です。
この時代のお堂にしては床がはってあるのが住宅建築の名残です。
おそらくもとはこういう感じだったらしいです。
(大嘗宮)
釘穴からもとの住宅の図面を起こした方がおられるそうです。
そばの紅葉
法隆寺で時間をとりすぎて、中宮寺行けず。。。
去年はコロナで閉まってました。
また来ます。
塀の瓦を木部でとめてあるところとか、
築地塀も版築で作られている話を聞いて終了。
版築の動画があがっています。
法隆寺は奥が深いです。。。
法隆寺② 聖霊院
あっという間に今日から12月!
カレンダーが1枚になりました。
建築講座で法隆寺に参りました。
備忘録代わりに書いています。
講師の先生は建築史が専門で、
長崎の出島、佐賀城、福岡城の復元、佐倉市の歴史民俗博物館の
監修などもされています。
伽藍は回廊で結ばれています。
この柱は銅張(エンタシス)と言って真ん中が少し膨らんでいますが、
奈良時代になるとこの形式はなくなるそうです。
日本の建築は釘を使わないというのは誤りで
使われています。
釘は高価なので、民家には使われず、
合掌造りの建物が縄で結んであるのにも驚きました。
格子越しの紅葉を
直接見るとこんな感じ。
全体像を撮っていないので、昨年撮った聖霊院。
聖徳太子の尊像を安置するために鎌倉時代に建てられました。
お厨子に入っていますが、その厨子が最古の唐破風だそうです。
建築の研修ということで、
他の伽藍との違いを指摘されました。
金堂や講堂が寺院建築であるのに対し、(中国の形式で床板を貼らない)
こちらは住宅建築だということです。
履物を脱いで上がる形式で、半蔀があること、
柱が角柱であるということが住宅建築の特徴です。
床下は亀腹(しっくいが塗ってあります。)
雨に濡れるところと、濡れないところの木の傷み方が違います。
一番下は修理で取り換えられた形跡が見えます。
日本の建築はいかに雨から守るか。。。ですね。
昨年の記事
奈良に行く前の日、夜中に目が覚めて
喉が痛くて、
コロナにかかった人の
「朝起きたら喉が痛くて、検査したら陽性だった」
という言葉を思い出し、
ネットで正規の検査キットをぽちりました。
結局喉が乾燥して痛かったようで、
起きると唾液が出てくるから全然痛くなくなりました。
その検査キットが到着したけど、、、
いつか役に立つときがあるかもしれません。
法隆寺です① 金堂 五重塔
昨日の行先は法隆寺でした。
近鉄奈良駅からマイクロバスで斑鳩町に向かいました。
奈良は観光地が散在しているので、移動に時間がかかります。。
奈良駅から法隆寺までは40分ほどです。
私が電車で行くときは、近鉄大和郡山からJR郡山まで15分ほど歩いて
JRに乗り換えます。
不便です。
途中郡山を通りました。
郡山城が見えたとき主催者が
「私の実家は郡山の藩主でした。」
と、おっしゃったのでちょっとビックリでした。
途中の立ち寄り地点はまたアップしますが、
法隆寺に到着。
備忘録代わりですので、興味のない方は写真だけみてください~
法隆寺には西院伽藍と夢殿のある東院伽藍に分かれます。
まずメインの西院伽藍から参ります。
私らなんとも思わないんですけど、
建物の配置が非対称。。。というのは大きいことらしいです。
薬師寺だと西塔と東塔が並びますが、
ここは塔と金堂が並んでいます。
中門が聖域との境です。
飛鳥時代国宝
この門の真ん中に柱があるのも変わってるそうです。
手前は礼拝石です。
西院伽藍最古の建物の金堂です。
飛鳥時代 国宝
金堂というのは仏壇だと思ってくださいということです。
本当は外からお参りするものですが、
今は中に入って薬師如来、釈迦三尊、阿弥陀三尊などをお参りします。
薬師如来は聖徳太子の父用明天皇が病気平癒を願って作らせましたが
完成を見ることなく亡くなられました。
その遺志をついで聖徳太子と推古天皇が完成させ
法隆寺建立のもととなりました。
二重基壇
扉は一枚板で格子は彫ってあります。
今はこんな大きな一枚板はとれないそうです。
下は大和葺きという板葺きと瓦の裳階です。
屋根の四方は力がかかり落ちてくるので、
江戸時代に中井大和守正清が補修した部分
中井大和守は徳川家康に仕えた武士待遇の大工頭
大阪空港に着陸する飛行機は奈良を通るので
よく飛行機が飛んでいます。
初層と五層の大きさのバランスが塔の印象を変えます。
日本最古の塔
塔というのはもともとお墓のことです。
インドの仏塔が中国に渡って楼閣がついたらしいです。
相輪はその名残
法隆寺の仏舎利は心柱の下に埋められています。
元は薬師寺のように朱と赤と黄色でしたが、
日本の修復の仕方は色をたさないようです。
法隆寺の伽藍に色がついたら、ずいぶん印象が変わるでしょうね?!
つづく
相国寺にホテル
明日の雨でいっきに紅葉終了のところも増えるのではないでしょうか。
私の紅葉狩りは近場の通りすがりで過ぎていきそうです。
お友達は今日大原野神社に行って、きれいだったそうです。
通り道の今日の相国寺です。
鐘楼の前が真っ赤です。
境内ですが、寺町通と烏丸通を行き来する人の通り道です。
ここは今がピークの美しさ。
北門なんですけどね、ここにはかつて成安高校とか
そのあとは京都産業大学付属中高校がありました。
移転したあとは、更地になり、
付属小学校が建つとか噂が流れていましたが、
ホテルになるそうです!
住宅街のホテルですから、いろいろ問題もありそうです。
道も狭いですから。
周りに高い建物がないから、大文字とか比叡山も
よく見えます。
平安ホテルとか、パレスサイドとか、ルビノとか
廃業する中で雨後のタケノコのようにホテルが建っています。







































