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宝ヶ池

子供が学校に行かなくなって、心がけたのはひきこもりにならないことでした。1人になるのが不安で、後追いする子供のようだったので、私自身あまりでかけることができなくなり、2人でずっと家にいることも、しんどいことでした。

「体がしんどいときは無理にでかけないほうがいい」と、医師に言われていましたので、必ずでかけるときは、子供に「行く?」って尋ねてからでかけました。しんどそうな時でもだいたい「行く」って言いました。

そのとき1番よく散歩したのが、宝ヶ池公園です。周囲が1,8キロのかんがい用の人工池ですが、ボートに乗れたり、周囲には森や児童公園があり、遊歩道があります。水鳥が遊び、カメやコイが泳いでいます。
《宝ヶ池でボートに乗ると、カップルは別れる》というジンクスもありますが。
去年はセミが9月の終わりくらいまで鳴いていて、休み始めたときはまだセミが鳴いていました。
やがて、セミは鳴かなくなり、カメが冬眠に入って見られなくなり、落ち葉の季節になりました。
カメがいなくなった時は寂しかったですね。

烏丸ママのブログ-宝ヶ池

池の周囲にある東屋から、よくカメやコイ、ハトにパンの耳を持って行ってやります。ここのコイはどれもこれもすごくデカイ!

烏丸ママのブログ-宝ヶ池
よく見えませんが、黒いところも黒いコイなんです。

横でおじさん同士が話しているの聞いたら、こう言っていました。
「松ヶ崎の人は子供が生まれたり、祝い事があると、宝ヶ池にコイを放したんや」

今日は祇園祭の宵宵宵山に行ってこよう!

スナネズミ

今日は朝から、PTAコーラスに行ってきましたト音記号
毎年7月から11月の期間限定。
曲目はドリカムの《未来予想図》と、いきものがかり《YELL》
相変わらず、子供の代わりに学校に行ってます四つ葉
最初はそんな気分になれませんでしたが、今はもう開き直っています。


子供は相変わらずイマイチで、1日1食です。
兄が帰宅してアイスを食べると、自分も冷蔵庫に行くので、「アイス食べるなら、ご飯食べたら?」というと、顔がペキペキかおっと固まる。 そうなると、栄養ないのはわかっちゃいるけど、カップめんでもなんでもいいから、食べたいもの食べなさいということになります。

少しでも、食べられるようにと、わらびもちを作りました。
意外と安くて、簡単です。わらび餅粉200グラム110円 きな粉100グラム120円で、8~10人分。
わらび餅粉を水で溶いて、煮て、段々粉が透明になったら冷水にとります。あとはきな粉を振りかけて、召し上がれ。

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ペット紹介蝶々
スナネズミ
ジャービルとも呼ばれます。ハムスターよりも一回り大きくて、マンガ「動物のお医者さん」にも登場しました。
砂漠に住んでいるので、砂浴びをします。夜行性で、昼間は寝ていますが、掃除機の音がすると出てきます。
つがいにすると、それこそネズミ算式に増えるそうなので、
クロベエ2歳オス独身

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鍋ネコならぬ、釜ネズミハート


ムカデ退治

双子の兄がキャンプ帰りで、洗濯が大変です汗
洗っても洗っても出てくるのは泥水・・・おまけに雨。。。

ブログを始めるまでは、ウチはウチって思ってましたけど、いろいろな人のブログをのぞくようになって、一口で「起立性調節障害」「不登校」といっても、個人差がすごくあるのだなあと思いました。

不登校でも、学校に行けない理由はさまざまだし、本人に学校に行く意義が感じられない子、行きたいけど行けないという子。うちは(行くべきだけれど、行けない派)。知り合いのお孫さんは(全然学校に行く気がない派)だけれど、勉強だけは家でしっかりしていて、小6にして高校生教材を勉強しているとか。でも、一番のオドロキがわりとみなさん「しんどくて行けないのを、無理に行かせなくてもいい」という考えで、なんか安心しました。

最初に主治医が言われた言葉です。
「何年かかっても、必ず学校には行けます。高校いけなくても、大検があるし、家庭教師でもなんでもつけて、勉強の遅れは取り戻せますから。まずしんどいのをとりのぞいてあげましょう。」
この病気は中高生が多いので、うちはちょっと先が長くて、ため息ですためいき主治医って情報を小出しにするんですよね。何回目かの診療で《OD患者の1年後の復学率は中程度で5割、重症で3割》という資料を見せられ、もう、ひょえ~!ってかんじ。

子供は週1回のプレイセラピーを楽しみにしているらしく、(遊びのパートナーがガッキー似のかわいいおねえさんだからか?)土曜日はプレイセラピーの後、ボーイスカウトのキャンプをのぞいてきました。

ちょうど到着したころは晩御飯の用意の真っ最中。
かまどをのぞいてみますと、ごらんの通り。スカウトのお父さんが裏山の竹を切ってきて、ご飯を炊いていました。竹筒に穴を開け、お米を1合入れて蓋をし(水も)、かまどにくべる。
食べてみると、かすかに竹の香りがして、おいしくいただけましたキャハハ

烏丸ママのブログ 右のかまどに竹筒☆こげていますが、中身は大丈夫!


食事はキャンプ場のログハウス。さっそくうちの子は中を探検すると、みつけたのが、ムカデ! たたみの目に入り込もうとするのを、みんなでワイワイ追まわし、殺虫剤をかけ、スリッパでたたいて、御用となりました。
でも、ムカデはなかなか生命力が強く、たたいても死にません。なので、ハシでつかんで、埋めてしまいました。うちの子はたくさんその写真を撮りましたが、きっと不快になる人もいるでしょうから、アップしません。私だって、データを消したいくらいです。

夜は寝られないし、朝は起きられないので、テントに泊まらずに帰りましたが、久々に同年代の子供たちと遊ぶことができました。

京の散歩道 ~智積院

ブログテーマに神社仏閣を選択したので、週1はこっち系のことも書いてみたいと思います。

真言宗智山派総本山 智積院に行ってまいりました。東大路を隔てて西隣の三十三間堂はいつも修学旅行生や観光客でにぎわっているのに、こちらは閑散としていました。何度も前を通ったことがありますが、その総門の地味さから、中がこんなに広くて、りっぱだと思っていませんでした。火災にあっているせいか、わりと新しい建物ですが。

もともとここは豊臣秀吉が長男鶴松を供養するために建てた祥雲禅寺というお寺でしたが、徳川時代になり、秀吉の残像を消したい家康が、紀州根来寺にゆずったものです。

まず書院から日本庭園を拝見しました。小堀遠州ゆかりの庭は池泉式で、池底に粘土がしいてあり、コイが泳ぐとにごるしかけになっているそうです。サツキが多く植えられていますので、5月上旬がベストシーズンでしょう。

智積院で必見は、長谷川等伯一門による国宝「桜楓図」!今春NHKが宣伝をしたため、国立博物館における「長谷川等伯展」は1時間2時間待ちの大賑わい。しかし、ここでは誰にも邪魔されず、ひっそりと堪能することができます。高校の日本史の教科書でご覧になった人もおられるでしょう。



もともと祥雲禅寺にあったこの絵は、火災で運び出されるときに障壁を切り取ったため、一部が欠けています。それでいてこのすばらしさ! また障壁画は作者名がないため、最初から作者名がわかっていたわけではないようです。
国宝桜図は長谷川等伯の長男 久蔵25歳の作品。しかし、翌年久蔵は亡くなってしまいます。その死を乗り越えて、父等伯が描いたのが、楓図です。

これで拝観料500円はお得です。隣の智積院会館では1泊1食つきで、5,500円で泊まることができます。朝6時の勤行にも参加することができるそうです。

穴場間違いなし♪

通級学級の先生の話

通級学級の先生はもともと総合支援学校(養護学校)の先生をされたり、、地域の教育相談員などもされていたそうです。

そのときに寄せられた相談内容とは
保護者からは
 「友達とうまくいきません」
 「勉強ができません」
 「教室から出て行くようです」 
 「行きしぶりがあります」
 「家が散らかりほうだいです」など。
教師からは
 「友達とトラブルが多い子供への対応は?」
 「勉強についてこられない子への対応は?」
 「教室から飛び出してしまう子がいます。」
 「不登校の子がいます」
 「整理整頓をうまくさせるには」など。
と、保護者と先生の相談は同じような内容が多かったそうです。

 「整理整頓なんて、教育相談にもってくることでしょうか。家庭のしつけでは?」と、そこである保護者が質問しました。
すると、「こういう相談は意外と多いんです。今の子はものが多いから、整理が大変。あまり複雑にならないおかたづけボックスを作りましょうという提案をすることもありますが、ほとんどの人は話を聞いて、共感をして、こういうことですよねと相談内容の整理をすると、8割がそれで納得されてしまうようです。『お話聞いていただいただけで、肩の荷がおりました』と、おっしゃる人が多いです。」

 また通級学級に通う生徒については、発達障害の子供が対象になってきますが、希望する児童はほとんど通級教室に通うことができます。、中には発達障害の子もそうでない子もいるでしょう。発達障害だという診断を下すのは児童精神科医なのだそうですが、発達障害であるという告知をするのがまた難しい問題なのだそうです。落ち込んでしまう人が多く、子供でも「発達障害と聞いて、僕はほっとしました」と、作文に書いた子が一人だけいたそうです。

 ある精神科医が書いていましたが、日本語に発達障害と翻訳したのが間違いだと。これが周囲の偏見や誤解を生んでいると。英語のdisorderを障害と訳したそうですが、もともとの意味は「ある行動や日常生活で多少ハンディがあるもの」くらいの意味だそうです。(星野 仁彦著《発達障害に気づかない大人たち》より)