烏丸ママのブログ -1195ページ目

給食♪

子どもは給食を食べて掃除をして帰ってきました。
1年ぶりの給食です音符

給食代は払っていませんあせる
去年は明日行くか明日行くかと払っていましたが、
校長先生と話した時
「え、払ってるんですか?もったいないからどうにかしましょう」
と、食べたら払う後払い方式になりました。
明日行くか行くかと思っている時が一番しんどいですね。
休む時は毎日電話してくれと言われたし…

京都市は各学校に調理員さんがいて、それぞれ給食を作っています。試食会に行きましたが、意外とおいしいです。
転任してきた先生方がおっしゃっるには、メニューは同じなのに他校よりおいしいらしいです。

久々の給食の味はどうだったのでしょうか?
(あまり根掘り葉掘り聞くのは控えています。)

行きました


今日は科学センターでの学習で行きましたラブラブ
送って行きましたが、
頭が痛かったりダウン
お腹が痛かったりガーン
彼には一大決心で
行ったに違いない。
行かなければ心配で
行ったら行ったで
心配
子どもの体調で
親の体調も
上がったりアップ
下がったりダウン

ケンタッキーの危機

うちの子はケンタッキーフライドチキンが好きです。
モスよりもマックよりもケンタッキードキドキ
しかしそのケンタッキーが食べられなくなるのでは?
ということが少し前にありました。

それはボーイスカウトのサバイバルキャンプ!
その名の通り、サバイバル。
持ち物は米、水、食器、寝袋。
場所は何もない山の中。
支給されるのは生きた鶏ヒヨコ

そうなんです。
生きた鶏をつぶして食べるというこのキャンプ。

双子は小学校では飼育係
それはそれは鶏をかわいがっていました。
二人の会話
「なあなあ、どの鶏がかわいい?」
「オレこっこ(鶏の名)」
「あ、お前もか!オレも!」

って、鶏ってどれも鶏やん!
と思っていた私。

そんな二人に鶏を絞め殺すことができるのか!?
たとえできたとしても
後からトラウマになったりしないのか?
それが心配でした。
実際私の母は絞められるのを見ていただけで
今も鶏は食べることができません。
冷蔵庫が普及していなかった戦前は
生きた鶏を買ってきて、食べるときにつぶしていたらしいです。
(都市部での話です。)

キャンプはテントもなく
ビニールシートを木に縛って屋根を作ったらしいです。
夜になるといろいろな動物の気配が。。。
ピーという鹿の声
木をたたくサルの声
目がさめると
あれ、リュックがない!
サルがリュックをひきずっていって
中身をさぐっていたみたいです。

「で、鶏どうしたん?」
と、尋ねると
うつむきかげんで
「ん、いややったけど、首ひねった・・・」
5人で1羽の鶏だったので、
双子の1人だけがつぶす役にあたったらしい。
それをみんなでさばいて、
ホイルで焼いてたべたらしい。
「おいしかった!」
へえ、そうなんや。

その後・・・
「ケンタッキー食べに行く?」
「うん、行く音譜
ああよかった。
チキンが食べられるんや!
これからもよろしく、ケンタッキー!



ある日突然

双子は小さい時から、
私のそばを片時も離れない子で
泣き虫で
下の子が生まれたときも
赤ん坊の5倍は泣いていた。

3歳になって幼稚園に入ると
突然大化けして
しっかりするんじゃないかと期待した。

しかし
参観日に行ってびっくり目
私の代わりに
担任のそばを片時も離れない双子あせる
他の子どもたちは着席しているのに
前に立つ担任の両脇に立つ双子
先生が動くとついていく
それはまるでカルガモの親子ペンギン

やっぱりある日突然ってないんだよなあ。。。
ある日突然白馬に乗った王子様が迎えに来る。
ある日突然果実がなる。
ある日突然勉強ができるようになる。
ある日突然ODが治って
ある日突然学校に行く。

やっぱり時間とこやしが必要なんだなあ。
(いや王子様は来えへんし。。。)






9.11テロ

私には日系アメリカ人のはとこが何人かいます。
そのうちの1人はニューヨークの消防士と結婚していました。
あの日
その人は夜勤明けで帰宅するはずでした。
しかし
ワールドトレードセンターに航空機が衝突したため
応援で駆けつけることになりました。
そして帰らぬ人になりました。

父のいとこは娘の住むニューヨークに向かいました。
飛行機が飛ばないので、
西海岸のシアトルから東海岸まで
昼夜兼行で車を飛ばしました。

幼い娘が残されました。

その後
私の両親がニューヨークに行きました。
グラウンドゼロ(WTC跡地)にある慰霊碑に
何気なくカメラを向けました。
何千人の名前が刻まれている碑は
遠くてよく見えないそうです。
それなのに
現像してみると
十人ほどの名前が写った
写真の真ん中には
はとこのご主人の名がくっきり写っていました。