烏丸ママのブログ -1113ページ目

行きました


今日は科学センターでの学習で行きましたラブラブ
送って行きましたが、
頭が痛かったりダウン
お腹が痛かったりガーン
彼には一大決心で
行ったに違いない。
行かなければ心配で
行ったら行ったで
心配
子どもの体調で
親の体調も
上がったりアップ
下がったりダウン

ケンタッキーの危機

うちの子はケンタッキーフライドチキンが好きです。
モスよりもマックよりもケンタッキードキドキ
しかしそのケンタッキーが食べられなくなるのでは?
ということが少し前にありました。

それはボーイスカウトのサバイバルキャンプ!
その名の通り、サバイバル。
持ち物は米、水、食器、寝袋。
場所は何もない山の中。
支給されるのは生きた鶏ヒヨコ

そうなんです。
生きた鶏をつぶして食べるというこのキャンプ。

双子は小学校では飼育係
それはそれは鶏をかわいがっていました。
二人の会話
「なあなあ、どの鶏がかわいい?」
「オレこっこ(鶏の名)」
「あ、お前もか!オレも!」

って、鶏ってどれも鶏やん!
と思っていた私。

そんな二人に鶏を絞め殺すことができるのか!?
たとえできたとしても
後からトラウマになったりしないのか?
それが心配でした。
実際私の母は絞められるのを見ていただけで
今も鶏は食べることができません。
冷蔵庫が普及していなかった戦前は
生きた鶏を買ってきて、食べるときにつぶしていたらしいです。
(都市部での話です。)

キャンプはテントもなく
ビニールシートを木に縛って屋根を作ったらしいです。
夜になるといろいろな動物の気配が。。。
ピーという鹿の声
木をたたくサルの声
目がさめると
あれ、リュックがない!
サルがリュックをひきずっていって
中身をさぐっていたみたいです。

「で、鶏どうしたん?」
と、尋ねると
うつむきかげんで
「ん、いややったけど、首ひねった・・・」
5人で1羽の鶏だったので、
双子の1人だけがつぶす役にあたったらしい。
それをみんなでさばいて、
ホイルで焼いてたべたらしい。
「おいしかった!」
へえ、そうなんや。

その後・・・
「ケンタッキー食べに行く?」
「うん、行く音譜
ああよかった。
チキンが食べられるんや!
これからもよろしく、ケンタッキー!



ある日突然

双子は小さい時から、
私のそばを片時も離れない子で
泣き虫で
下の子が生まれたときも
赤ん坊の5倍は泣いていた。

3歳になって幼稚園に入ると
突然大化けして
しっかりするんじゃないかと期待した。

しかし
参観日に行ってびっくり目
私の代わりに
担任のそばを片時も離れない双子あせる
他の子どもたちは着席しているのに
前に立つ担任の両脇に立つ双子
先生が動くとついていく
それはまるでカルガモの親子ペンギン

やっぱりある日突然ってないんだよなあ。。。
ある日突然白馬に乗った王子様が迎えに来る。
ある日突然果実がなる。
ある日突然勉強ができるようになる。
ある日突然ODが治って
ある日突然学校に行く。

やっぱり時間とこやしが必要なんだなあ。
(いや王子様は来えへんし。。。)






9.11テロ

私には日系アメリカ人のはとこが何人かいます。
そのうちの1人はニューヨークの消防士と結婚していました。
あの日
その人は夜勤明けで帰宅するはずでした。
しかし
ワールドトレードセンターに航空機が衝突したため
応援で駆けつけることになりました。
そして帰らぬ人になりました。

父のいとこは娘の住むニューヨークに向かいました。
飛行機が飛ばないので、
西海岸のシアトルから東海岸まで
昼夜兼行で車を飛ばしました。

幼い娘が残されました。

その後
私の両親がニューヨークに行きました。
グラウンドゼロ(WTC跡地)にある慰霊碑に
何気なくカメラを向けました。
何千人の名前が刻まれている碑は
遠くてよく見えないそうです。
それなのに
現像してみると
十人ほどの名前が写った
写真の真ん中には
はとこのご主人の名がくっきり写っていました。





校長先生

子どもは昨日放課後登校しました。
同じクラスの子が何人かいましたが、話をすることもできましたアップ
その間私は校長先生と面談。
ママ友の言葉をかりると、
くれよんしんちゃん
のまさおくんが大人になった顔
の人です。
「何ということはないのですが、一度直接お話を聞きたい」
ということでした。
学校にはよく出入りしていたので、校長先生とはちょくちょくお話をしていましたが、
昨日も読み聞かせのメンバーに自らお茶を出してくださるような気配りのできる先生です。
欠席の続く子どもにはお手紙をいただいたりしています。
通級学級*の説明会の挨拶でも
*主に発達障害の子を個人指導するためのクラス
「担任を持っていた頃、毎日漢字テストをしていました。みんなやればできると思っていたからです。今になって、そうではないことを知りました。配慮の足りないことでした」
と、謙虚な心を持つ方だと思います。


「今日『どうや?』と言ったら、本人も困るでしょうから、ただ普通に挨拶したら、返してくれました」
と、校長室に入るとおっしゃいました。
私のほうは、心身ともに上向きではあるが、
本人的には今のほうがしんどいということ、
うつの人は回復期の方がしんどいこと、
学校に行けないこと、勉強が遅れていることを気にしていることをお伝えしました。
「学校に何か望まれることはありますか?」
と、聞かれたので、
「『学校にほうっておかれるのは行けないし、かといって、来い来いと言われるのもプレッシャーである。
その点学校といい距離感を保っておられる』と、主治医には言われました。」
と、お伝えしました。
「それでは、今まで通り、来たいときに来て、担任が週1くらい訪問するという形でいいですね」
ということで退出いたしました。

ちらっと話題に出たのが、
今年11月にある4泊5日の宿泊行事のことでした。
今年からこんなに長くて、他校と合同叫び
無理だな。頭痛い。