雲ケ畑 志明院の紅葉
喉が痛いです。
ちょっとパワー不足。。。
志明院は鴨川の源流 雲ケ畑にあるお寺です。
路線バスがなくなって、乗り合いタクシーが一日2便出ています。
その名も《もくもく号》
なんでかなとおもっていたら、今 雲とうつのに、もくもくと出てしまって、
ああ、そういうことか
と思いました。
(ちなみに私は車でいきました。乗り合いで往復することは時間的に
大変中途半端です。)
《もののけ》ともなんとなく、もで語感が似ています。
志明院は司馬遼太郎氏のお気に入りの場所だったそうで、
ご自身が宿泊した際にもののけの気配を感じられたそうです。
そして、その話ヒントに宮崎駿監督が
《ものもけ姫:》を作られたということです。
志明院は役行者が開山し、
空海によって再建されたという由緒あるお寺です。
鴨川の源流ということで、皇室の信仰も深かったそうです。
室町時代に建てられた山門
この手前で荷物を預けます。
中は撮影禁止
「え、京都の人?めずらしいですね。
来られるのは府外の人で、中には海外の方もいらっしゃいます。
シラク元大統領もこられたことがあります。」
こちらは歌舞伎十八番の《鳴神 》の舞台だからだそうです。
振り返れば紅葉
この山門にはりっぱな金剛力士像が。。。
運慶と堪慶の作と言われています。
本堂には不動明王がお祀りされていて、4月29日にご開帳があるそうです。
最古の不動明王で、空海が彫られたそうです。
→妙法院の不動明王も最古とか、言っていたような気がするのは記憶違いか?
途中 飛龍の瀧があり、弘法大師や鳴神上人の修行のばだったそうです。
そして
《鳴神》の舞台と合わせて、2つの岩屋があります。
一つは護摩の岩屋
役行者や弘法大師が修行され、鳴神上人が護摩行をおこなったそうです。
上のほうの岩屋根本中院
岩肌から水がしみだしています。
やはり磐坐なんでしょうね。
よく聞き忘れましたが、桜天満宮は菅原道真が造ったそうです。
ホントに山
昨年の大雪で、電気が来ない日が続いたそうです。
途中の倒木もみんなその時のものだそうです。
以前 峰定寺 に1人で行ったら、怖かったので、
今回は隣人(京都検定一級)を誘って行きました。
しゃくなげ(天然記念物)のころもいいそうです。
あ! 21日BSプレミアムで《鴨川紀行》というのを放映していたそうで、
志明院も出てきたそうなんです。
どなたかごらんになりましたか?
また再放送してくれることを祈ります。
ちょっとパワー不足。。。
志明院は鴨川の源流 雲ケ畑にあるお寺です。
路線バスがなくなって、乗り合いタクシーが一日2便出ています。
その名も《もくもく号》
なんでかなとおもっていたら、今 雲とうつのに、もくもくと出てしまって、
ああ、そういうことか
と思いました。
(ちなみに私は車でいきました。乗り合いで往復することは時間的に
大変中途半端です。)
《もののけ》ともなんとなく、もで語感が似ています。
志明院は司馬遼太郎氏のお気に入りの場所だったそうで、
ご自身が宿泊した際にもののけの気配を感じられたそうです。
そして、その話ヒントに宮崎駿監督が
《ものもけ姫:》を作られたということです。
志明院は役行者が開山し、
空海によって再建されたという由緒あるお寺です。
鴨川の源流ということで、皇室の信仰も深かったそうです。
室町時代に建てられた山門
この手前で荷物を預けます。
中は撮影禁止
「え、京都の人?めずらしいですね。
来られるのは府外の人で、中には海外の方もいらっしゃいます。
シラク元大統領もこられたことがあります。」
こちらは歌舞伎十八番の《鳴神 》の舞台だからだそうです。
振り返れば紅葉
この山門にはりっぱな金剛力士像が。。。
運慶と堪慶の作と言われています。
本堂には不動明王がお祀りされていて、4月29日にご開帳があるそうです。
最古の不動明王で、空海が彫られたそうです。
→妙法院の不動明王も最古とか、言っていたような気がするのは記憶違いか?
途中 飛龍の瀧があり、弘法大師や鳴神上人の修行のばだったそうです。
そして
《鳴神》の舞台と合わせて、2つの岩屋があります。
一つは護摩の岩屋
役行者や弘法大師が修行され、鳴神上人が護摩行をおこなったそうです。
上のほうの岩屋根本中院
岩肌から水がしみだしています。
やはり磐坐なんでしょうね。
よく聞き忘れましたが、桜天満宮は菅原道真が造ったそうです。
ホントに山
昨年の大雪で、電気が来ない日が続いたそうです。
途中の倒木もみんなその時のものだそうです。
以前 峰定寺 に1人で行ったら、怖かったので、
今回は隣人(京都検定一級)を誘って行きました。
しゃくなげ(天然記念物)のころもいいそうです。
あ! 21日BSプレミアムで《鴨川紀行》というのを放映していたそうで、
志明院も出てきたそうなんです。
どなたかごらんになりましたか?
また再放送してくれることを祈ります。
大徳寺で会ったイタリア人
金閣寺に行くと、修学旅行生や東西を問わず
いろんな国からの観光客でにぎわっています。
大徳寺では、ヨーロッパ人である確率が意外と高く、
知日家が多いような気がします。
たまたま大徳寺で話をした人は禅に興味があるイタリア人でした。
禅の庭や画は瞑想のためのものだから、とてもシンプルだよね
とか、言う話で盛り上がり?ました。
「イタリアに来たことがある?」
と、言うので、
「アッシジ(聖フランチェスコの生地)がとてもよかったです。」
と、言うと
「聖フランチェスコの生き方はすごく禅に似ているんだ」
と、言っていました。
どう似ているかそのときはわかりませんでしたが、
聖フランチェスコの生涯をwikiで調べてみると、
なるほど!
と思いました。
裕福な家庭に生まれたフランチェスコは放蕩をつくしましたが、
すべてを捨て、托鉢と瞑想をしたそうです。
世界の宗教は通じるものがある。
そんな気がしました。
教科書にもよく出てくる大徳寺塔頭 大仙院
そのせいか、修学旅行生なんかもよく来ています。
大仙院から芳春院に行く途中は人が多くて、上にカメラを向けるしかなかった。
いろんな国からの観光客でにぎわっています。
大徳寺では、ヨーロッパ人である確率が意外と高く、
知日家が多いような気がします。
たまたま大徳寺で話をした人は禅に興味があるイタリア人でした。
禅の庭や画は瞑想のためのものだから、とてもシンプルだよね
とか、言う話で盛り上がり?ました。
「イタリアに来たことがある?」
と、言うので、
「アッシジ(聖フランチェスコの生地)がとてもよかったです。」
と、言うと
「聖フランチェスコの生き方はすごく禅に似ているんだ」
と、言っていました。
どう似ているかそのときはわかりませんでしたが、
聖フランチェスコの生涯をwikiで調べてみると、
なるほど!
と思いました。
裕福な家庭に生まれたフランチェスコは放蕩をつくしましたが、
すべてを捨て、托鉢と瞑想をしたそうです。
世界の宗教は通じるものがある。
そんな気がしました。
教科書にもよく出てくる大徳寺塔頭 大仙院
そのせいか、修学旅行生なんかもよく来ています。
大仙院から芳春院に行く途中は人が多くて、上にカメラを向けるしかなかった。
高桐院の紅葉
大徳寺 塔頭高桐院は細川家の菩提寺です。
細川忠興が父の幽斎の菩提を弔うために
幽斎の弟である玉甫和尚様を開祖として、建てられれました。
私が歴史小説を読み始めたのは、
司馬遼太郎についで、三浦綾子の《細川ガラシャ夫人》がきっかけなので、
結構思い入れのあるお寺です。
美しい紅葉ですっかり有名です。
左は紅葉ですが、右手はドウダンです。
細川忠興作の茶室 松向軒の横です↑
忠興は茶人としても有名で、利休七哲の1人です。
こちらは三斎(忠興)井戸 後ろが本堂
スローシャッターのため、ぶれてしましましたが、
加藤清正公が朝鮮より持ち帰ったつくばい
黄梅院の鐘も、総見院の井戸枠も加藤清正公だって!
細川家墓所から
こちらが天下一とよばれる有名な燈篭で、細川忠興夫妻の墓
この燈篭 後ろがかけているのおわかりでしょうか?
豊臣秀吉がほしがったため、
千利休がわざとかけさせて、
「これは疵物なので、差し上げられません」
と、ことわったそうです。
微妙な関係がこのへんからもわかりますね。。。
そして、こちらは忠興への形見となったそうです。
忠興はこの燈篭を墓石にするように遺言したということです。
細川ガラシャ夫人は関が原前夜
石田三成の人質になることを拒んで
自刃(クリスチャンは自殺できないので、家来が突いた)享年37歳
忠興は83歳の天寿をまっとうされました。
舞鶴に行った時(細川家ゆかりの田辺城)大河でとりあげてもらおうと
署名活動をされていました。
実現するのでしょうか。
細川忠興が父の幽斎の菩提を弔うために
幽斎の弟である玉甫和尚様を開祖として、建てられれました。
私が歴史小説を読み始めたのは、
司馬遼太郎についで、三浦綾子の《細川ガラシャ夫人》がきっかけなので、
結構思い入れのあるお寺です。
美しい紅葉ですっかり有名です。
左は紅葉ですが、右手はドウダンです。
細川忠興作の茶室 松向軒の横です↑
忠興は茶人としても有名で、利休七哲の1人です。
こちらは三斎(忠興)井戸 後ろが本堂
スローシャッターのため、ぶれてしましましたが、
加藤清正公が朝鮮より持ち帰ったつくばい
黄梅院の鐘も、総見院の井戸枠も加藤清正公だって!
細川家墓所から
こちらが天下一とよばれる有名な燈篭で、細川忠興夫妻の墓
この燈篭 後ろがかけているのおわかりでしょうか?
豊臣秀吉がほしがったため、
千利休がわざとかけさせて、
「これは疵物なので、差し上げられません」
と、ことわったそうです。
微妙な関係がこのへんからもわかりますね。。。
そして、こちらは忠興への形見となったそうです。
忠興はこの燈篭を墓石にするように遺言したということです。
細川ガラシャ夫人は関が原前夜
石田三成の人質になることを拒んで
自刃(クリスチャンは自殺できないので、家来が突いた)享年37歳
忠興は83歳の天寿をまっとうされました。
舞鶴に行った時(細川家ゆかりの田辺城)大河でとりあげてもらおうと
署名活動をされていました。
実現するのでしょうか。







