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☆ 俺たちにはつきがある!☆彡

  ~ The Moon is always with us ~

 

あるものはある。

あらぬものはあらぬ。

真に「あるもの」(存在)は、

唯一、不生不滅、不変不動である。 (パルメニデス)

 

あらぬものについては語ることなどできない。

「あるもの」の住人である我々は、

あらぬものとは全く無関係である。

故にあなたはいたずらに「死」を恐れる必要などない。

死とはあなたが「妄想」するような、喪失ではなく、
有(ある)の中の一つの変化に過ぎない。

なぜなら、「あるものはあるだけ」なのだから。

そもそも、生きているあなたの体験は

「生の中だけ」にあり、
そのあなたは決して「死を体験することなどできない。」
生者の誰にも「死は見えない」のである。

それだのにその「死」というものついて妄想し、

いたずらに恐れ、狼狽するのは、それこそきっと

「ドクサ」(思い込み)という「亡霊」にでも

憑りつかれているのだろう。
 

それは愚かしい事だからやめることだ。

死を恐れるという心象は、

恐れにまつわれた亡者たちのドクサに過ぎない。

 

滅びゆくもの、消えゆくもの、

それは我ではない。これは我ではない。

 

われわれはある。

ただそれだけなのである。

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「死があるところには我々はない。

我々があるところには死はない」

 

エピクロス

 

 

アウグスティヌス曰く、

元来世の中には悪というものは無く、

神より造られたる自然はすべて善であり、

ただ、「本質の欠乏」として悪がみとめられる、

とのこと。

つまり、存在していること自体が善である、と。

 

また、神は美しき詩の如く、

「対立を以って世界を飾り」、

「影」が絵画の美を増すがごとく、

もし達観する時は、

「世界は罪を持ちながらに美である」、と。

 

これを自分自身にも当てはめると、

自分の欠点、失敗した経験も、

それも含めて神の創造である、

人間という芸術である、

という視点をもてないだろうか。

 

 

 

空海作 十喩詩の「詠如夢喩」を朗読しています。 

この世は夢の如し。 

そう確信するのは難しいですが、

 空海はそのヒントを見事な比喩で 示してくれています。

 

 「夢中に夢を説く」 道元もそんな事を言っています。

 仏道とはそういうものなのでしょうか。